第15話 Kitty Girl
「とりあえずカベルネのところに行こうか。何日もお世話になるわけにはいかないけど、一日くらいなら泊めてもらえるかもしれない。というか、夜の世界は本当に危険だからまずは村まで早く戻らなくちゃ」
街灯もないような世界では、夜の世界は危険に満ちている。
しかも明かりも持っていないとなれば、まず身動きが取れない。
「この高さでも、暗くなってから丘を降りるのは危なそうッスね。遭難しちゃいそうッス」
「そうだね、早く下りよう」
「そこはそうなんだって言ってほしかったッス……」
「マナちゃんのそのオヤジ臭さは何に影響されてるの?」
しかしこれ以上やり取りを続けている暇はない。
何も見えなくなる前に村を目指して丘を下る。
既に道は暗く、地面のくぼみすら見分けられず一歩一歩が慎重になる。自然と早足になってしまうが、そのまま身を任せていては地上に飛び出している木の根っこに引っかかり転びそうになる。まるで罠にかかったイノシシの気分だ。
「おっと。だいじょーぶッスか」
「はは……。ありがとう」
その度にマナちゃんに支えられている。なんとも情けない。
「姿勢を低くして、ホントの足元じゃなくて少しだけ先に視線を向ければ転びにくいッスよ」
「なるほど。ああ、本当だ。姿勢を低くするだけでも地面に近くなって視界が少し見やすくなるね」
「もうお月さまが見えてるッス。ほとんど夜ッスね」
「夜になるかどうかというより、麓まで下りられるかどうかって話だよな。まだもうちょっと距離があるな」
「無理そうなら、野宿ッスか?」
「ええ……それは考えたくもないなぁ」
「あ、シショー。あの木とか寝るのにちょうど良い太さの枝ッスよ。ゆりかごモードにぴったりッス」
「まだその段階に入りたくはないなぁ! よし、頑張ろうか!」
まさかここでゆりかごモードという単語が出てくるとは。
しかも実践する羽目になろうとは。
くそう、絶対に村まで下りてやるからな。
「……あれ」
決意した直後。
前方にゆらゆらと揺れる小さな明かりを見つける。
赤い点のような光が不規則に宙を舞い、気のせいか少しずつ近づいているような。
「流れ星とかじゃ、なさそうだな」
「ええっ、なんスかなんスか。マナちゃんはユーレイとかおばけみたいな非現実的で非科学的な存在は信じないッスよ!」
非科学的で非現実的の権化が何を言う。
そもそも旧約聖書の時代に幽霊の概念なんて存在しないのでは。
存在しない概念が物語の中に登場するのはいささかおかしな話である。
「マナちゃんお化け怖いの?」
「腕力で捻じ伏せられない存在は嫌いッス」
「想定通りの答えをありがとう」
やはり、この子は怒らせると危険な子だ。気をつけよう。
しかし赤い点は近づくにつれ、それが人の胸の高さで上下に揺れているものだとわかり、どうやら超常現象の類ではないと判明した。
「超常現象以外ならどんと来いッス!」
預言者が登場する時点でこの物語は超常現象の宝庫だと思うんだ。
「…………」
無言のまま、明かりの持ち主が識別できる距離まで近づいてくる。
そこに居たのは口元を薄い布で隠し、一枚布ではなく胸元と腰回りでそれぞれに衣を纏った女性だった。左手には粘土で作られた小皿を持ち、芯の先が中の油を吸い上げ仄かに燃えている。
キリッとした目つきに服の上からでもわかる豊満な胸、ちらりと見える伸びた脚が周囲の闇に融け込み、妖艶な雰囲気を醸し出す。右手には水晶玉のようなものを持っており、水晶越しにこちらを見据えている。
これはマズい。
蛇に睨まれた蛙状態だ。身動きが取れないし、目を背けることすら不可能だ。
「シショーは大人の女性に弱いッスね……」
呆れたようにマナちゃんが言う。
違う、これは不可抗力なのだ。
そんな声にならない叫びは届くはずもなく、いや仮に届いたとしても好感の持てる言い訳などあるはずがないので届かなくて結構。
黙って水晶玉を掲げていた彼女だったが、やがてその手を下げ目をつむる。
かっと目を見開き、再び水晶玉ごと右手を伸ばして決めポーズを取る。
「そこの二人! アタシには全てまるっとお見通しだからっ!」
なんだろう、流行ってるのかその決め台詞。
「アンタ達、ズバリ言っちゃうと預言者様に会いに行ったっしょ! そして今晩の宿がなくて途方に暮れているって感じでしょ? でしょでしょ?」
見た目に反して発言がチャラい。よく見ると大量の髪飾りをあしらった赤髪、褐色の肌で腕にはところどころ化粧のようなものが施されている。
一言で表現するなら、ギャルっぽい。
だが、その内容は核心をついている。
「なんかすごく占い師っぽい人から困ってることを言い当てられたッスよ!」
「ああ、確かにその通りだ。アンタ、やっぱり占い師か」
「ふふん」
不敵な笑みを浮かべる。
「……何が目的だ」
「そんな怖い顔しなさんなって。宿に困ってるんならアタシん家に来ないかって話。ちょっと人手が必要でね、住み込みで働くってのはドーヨ? 悪くないっしょ?」
「なんと、渡りに船じゃないッスか!」
「いやでも、都合が良すぎないか? 怪しさ満点だろう……」
こんな美女が泊めてやるって、目が覚めたら身ぐるみ剥がされて追い出されるパターンじゃないのか。
「じゃじゃーん! じゅーだいはっぴょ~。なんと! アタシは預言者ノアの長子ハムの妻フィークスちゃんでしたー。って言ったら少しは安心した? ね? ね?」
暗がりの中、顔を思いっきり近づけて話しかけてくる。
「ダンナさんがいるんスね、それは安心したッス」
「安心するところ、そこなんだ」
なんか思いっきり胸をなでおろしている。
「これ以上暗くなると本当に歩けなくなるってゆーか、獣に襲われるかアタシに騙されたと思ってついてくるか、お好きにどうぞって感じだけど」
「……どこかから狼の遠吠えが聞こえるッスね」
「あーもーわかったよ、ついていけば良いんだろ!」
「そーゆーこと」
フィークスは再び不敵な笑みを浮かべて踵を返し、ゆっくりと歩き出す。
たとえ彼女の言葉が真実でなくとも、ここで獣の餌になるかそうでないかの二択でしかない。ならば誰だってもう一方の選択肢を選ぶのは必然だ。
「明かりを見てはぐれないようにしないと」
彼女は左手に持っていた簡易ランプを腰まで下げ、横に出して目印にしてくれている。歩く度に揺れるので、目で追うだけでも精一杯だ。足元まで注意がいかない。
「シショー、さっきからおしりばっかり見てるッス」
「明かりの位置的に仕方ないから! そもそも暗くてよく見えてないからね! ……いやいや、そもそも見てないから! っとと、足元が見えない方が怖いよ……」
「じゃあマナちゃんがシショーの手を取って誘導するッスから、シショーは足元に集中してくださいッス!」
「ああ、その方が助かる。って、マナちゃん早い、早いよっ」
「え? そうッスか」
おぼつかない足を必死に動かし、躓かないようについていくのがやっとだった。
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