第13話 ネギまみれ
活気溢れる村を抜け、静寂が支配する原野を歩く。
なだらかな、しかし斜めに登っていく坂道は、土を踏みしめる音と荒い息遣いが奏でるハーモニーを生み出す。規則的なその音は、ゆっくりと流れる雲に合わせて少しずつ遅くなっていく。
手入れの成されていない樹木に雑草で埋め尽くされた山道は人々の暮らしから離れた場所であることを暗に示していた。
露わになった岩肌からこぼれた砂とも石とも言えぬ大きさの欠片が風に流されて着地点を見誤る。勢いよく地面に落ちて飛び跳ねる。
「ずいぶん歩いたけど、本当にここがノアのいる丘なんだろうな。もう村があんなに小さくなっちゃったよ」
「思えば遠くへ来たもんだって感じッスね」
「リオルガーって物語の中には自由に出入りできるのに、物語の中じゃ普通の人間と同じようにしか行動できないんだよなぁ。もっと場面転換する要領で瞬間移動みたいなことができたら便利なのに」
「それをやったら会話シーンが減るからじゃないッスか?」
「おっと久しぶりに無表情マナちゃんの登場だ」
「もしかしてシショーお疲れモードに突入ッスか? おんぶして欲しかったらいつでも言ってもくれたら良いッスよ」
「いやいくらなんでもそこまで頼っちゃいけない気がする……」
体格差からして危険と言いたいところだが、この子力持ちだし普通に軽々持ち上げられそうだ。
「もーすぐ頂上ッス。視界が開けてきたッス!」
「よし、それなら頑張るぞ」
「こうやって高いところから下を見ると、まるで世界の支配者にでもなった気分ッス」
「悪役の台詞だよ、それ」
「さあ鳥たちよ、今すぐ麓の村に食料を届けるッス!」
「違った、良い奴だ」
「本日お届けする食材は白ねぎッス」
「それ絶対焼き鳥にされるパターンだ! 鳥たち今すぐ逃げて!」
旧約聖書にネギマが登場してしまう。
「それにしても、なんで突然ネギの話に」
「あそこに見える長細い影がなんか白ねぎみたいに見えないッスか?」
「ん……なんだあれ、もしかして人影か」
そこに見えたのは茂みに隠れた奥からスラリと伸びた人影だった。小刻みにゆらゆらと揺れている様子は木が揺れるにしては不自然だ。
正体を探ろうと一歩近づくと、影はより一層大きくその身を揺らしガサガサと物陰から音がする。
「人の子よ、何故此処を訪れた。長居は無用と思えばこそ、早々に立ち去るがよい」
「人の声!?」
「誰かがいるみたいッス」
恭しい言い回しで、静かに、しかし力強い男の声がした。
「もしかして――あなたが預言者ノアなのですか?」
やや沈黙があって、再び影の向こうから声がする。
「いかにも。我こそ預言者ノアなり」
「その、聞きたいことが」
「もうすぐ日も暮れる。今は時間が惜しい。人の子よ、早よ帰れ」
重々しい言い方だったのに、最後の方は急に新喜劇みたいなくだけた口調になった。
「えー、迷える子羊の話も聞いて欲しいッス」
その言い回しは新約聖書だから、多分ノアに言っても通じないだろう。
「だからと言って、はいそうですかってこちらも帰るわけにはいかないんだよ」
わたしは影の伸びている場所に向かって歩き出す。
「えっ、ちょっ、ちょっと待って」
急に影が慌てだし、岩陰がガサゴソと音を立てる。
「まさか逃げる気か!?」
わたしは歩みを早め、駆け足でその場所へ急ぐ。
覗き込んだ先には台になるような木箱が一つ置かれているだけだった。
「誰もいないッスね」
「まだ遠くには行っていないはずだ、どこかに隠れているはず」
「なんか悪役の台詞みたいッスよ、シショー」
にやにや笑いで同じ台詞を返された。
「えっ、さっきの実は気にしてたの!?」
そっぽ向いてなかったじゃん! 実はこっちを向かずに台詞を続けたのがそういう表現方法だったのか。くそう、行間を読むなんて高度なことを要求してくるのか。
いや、それはとりあえず置いといて。
先程まで声の聞こえていた男の姿はなく、少し先の茂みから物音が聞こえた。
「あれ、もしかして……犬かな?」
「くぅ~ん」
「なんだ、犬か」
するとマナちゃん、こっちを見ながら勢いよく手を挙げる。
「面白そうッス。マナちゃんもそれやりたいッス」
彼女がさらに一歩物陰に近づくと、またも大きく茂みの奥からゴサゴソと音がする。
「もしかして、猫ッスか?」
「ミャー」
「ふふ……策士策に溺れるとはこのことだな」
「どうしたんスか?」
「実を隠そう、この世界には猫が居ないのさ!」
そう、旧約聖書には犬は出てくるが猫は登場しないのだ。
「何を言うか、異教の獣だから煙たがられているだけでちゃんと存在するわ!」
茂みの奥から男が飛び出した。
わたしの浅知恵は一瞬で否定され、しかし予想外に間抜けな預言者をおびき出すことに成功した。
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