下 笑顔を届ける者

 あの薬師の一件から暫くの時が経ち、またカームの仕事の時期が来た。春と同様に彼女とファンロは山の頂上に立つ。


「始める」

「はっ」

 その声と共に、また翠玉色すいぎょくいろの翼竜が姿を現し、月光に照らされたその身が静かに輝く。そして強い風が吹き、街へと伝う。いつもの事が当たり前に起き、当たり前の様に終わる。


「帰る」

 カームはなびく髪をひるがして後ろを向いた。


 その時だ。


 二人の「いつも」が崩れたのは。



「カーム様!」

 ファンロは倒れかけたカームを間一髪、受け止めた。

「……」

「どうなされました! ……酷い熱だ」

 呼びかけても返事はなく、荒い息遣いがあるだけだった。ファンロはとにかく家へと急いだ。


――

――――


「なんとか落ち着きはされたが……」

 ベッドに横たわるカームを看ながらファンロは呟く。できる限りの手は尽くしたが完全には安定しない。

「病を患う事すら珍しいカーム様がいきなり何故こんな……いや、これが病かどうかも分らない……」

 ファンロには病や薬に関する事は専門外で判断のしようがない。そんな時、彼は閃いた。

 メディケイウスの花の薬師。彼に白羽の矢が立った。外は夜で出発するなら今しかなく、もちろん彼に迷いは無い。だがそれをカームが引き留めた。

「ファンロ、待って」

 かすかな声。

「お気づきになられましたか! 今からあの薬師に……」

「行かなくていい」

 カームは遮る様に言った。

「私の運命がここまでならそれでいい」

「何故そんな」

「私が居なくても後はファンロだけでどうにかなる筈」

「私だけでは季節を届ける事など……」

「大……丈夫……だから」

 それだけ言ってカームはまたしても意識をなくした。

 

「……我が主よ、身勝手をお許し下さい」

 ファンロは始めて主に背いた。主を救わんが為に。翠玉色の翼竜はあの薬師の元へと天を駆ける。


「薬師さん、いらっしゃいますか!」

 ファンロは人の姿で薬師の家の玄関をノックし続ける。こんな夜中だ、眠っていて気が付かないかもしれない。出かけているかもしれない。だが彼には薬師だけが頼りだった。

「こんな夜中に一体誰で……ファンロさん、どうしたんです、血相を変えて?」

 ファンロは事の経緯いきさつを説明する。それを聞いた薬師は恩を返す時だと言い、一〇分とかからず用意を済ませ翼竜の背に乗って、カームの元へと向かった。


――

――――


「どうですか、薬師さん」

「うーむ」

 家に着いてから一時は本当に命が危なかったが今は少し安定している。だが意識は戻らず安定したとは言えいつ容態が急変してもおかしくないのが現状だ。そしてもう普通では打つ手がない。

 メディケイウスの花を用いた薬でさえも僅かに安定させることが限界だった。そして薬師は苦々しく言葉を口にする。

「たった一つ、助かるかもしれない方法があります」

「! 何ですそれは」

「竜の魂、それを溶かして渡す術です。調べていた他の古代文献に禁術としてその様な記述がありました。しかしそんな物おいそれとは……それに私の腕では術後に魂の主は死んでしまいます。私では溶かした魂の主の情報を保持して再構築というのは出来ないので」

「……」

 ファンロは考え込んだ。薬師が事情を織り込んで話をしている事を彼は分かっている。

「少し時間を頂けますか」

「ええ、大丈夫です」

 彼は家を後にして山頂へ飛んだ。ここはカームといつも仕事をする場所。翼竜の姿になった彼はそこに残すべき物を残し、少し辺りを見回した。夜空には星々が輝き、月明かりが彼を照らして翠玉色の片翼がかすかに光る。彼にはこれしか出来なかった。

 そして彼は家に戻る。自らの魂を主に捧げる為に。


「薬師さん、その術、私の魂を使って下さい」

「仰るとは思っていましたが、しかしこれでは」

「いいんです。カーム様の中に生きられるならばそれで……」

「分かりました、すぐにでも始められます」

「……ありがとう。ああ、これを持っていて下さい。帰る時に必要になりますから」

 そう言ってファンロは翼爪の欠片を薬師に渡した。

「申し訳ない……ではいきます」

 薬師が術を唱えるとファンロが光に包まれ、同時にその光がカームへと流れる。その光は紛れもなくファンロの魂そのものだ。


「カーム様、私は貴女のお傍にずっと……」


 その言葉を最後にファンロの姿は霧散した。カームに微笑みかけながら。


「本当に、本当に……申し訳ないっ! 私の力が及ばぬばかりに、こんな、こんな事が……!」


 薬師はただ、自らの無力さを悔いた。


――

――――


 薬師は朝日で目が覚めた。

「あのまま私は眠ったのか。そうだ、カームさんは、っ!」

 カームはあどけない無表情のまま、涙を流していた。虚空を見つめて。

「ファンロ……」

 彼女は全てを悟っていた。

「薬師さん、ありがとう。でも今は」

 カームは視線を動かさずにそう言う。

「私が至らぬばかりに……申し訳ない……」

 薬師はそう言って家を出た。外は快晴。ファンロから貰った翼爪の欠片の効果は絶大な物であった。山を無事に下りられた程に。薬師の足元が豪雨で見えなくなっていても。


「ファンロ……」

 カームは時折そう呟いては涙した。表情一つ変えず。


――

――――


 それから幾日もしない内、街の季節がおかしくなり始めた。昨日春めいたと思えば今日は真冬の寒さ、夏の日差しなのに落ち葉が積もる。日毎に季節が変わるならまだしも朝と昼で季節が変わり、挙句の果てには一時間で変わってしまうという所まで来たのだ。

 街の人々は山に居るとされてきた翠玉色の翼竜が居なくなってしまったのではないかという話題まで出始め、それは遥か昔の言い伝えで敬いこそすれ実際には居ないとだろう言う者や誰かが翼竜の怒りを買ったのでないかと言う者も出て様々な話が上がった。

 が、皆が分かっている事は普段でさえ近寄れない山が暗雲に包まれ、より一層近寄れなくなっている、という事だった。


 季節の急激で奇っ怪な変化のせいで体調を崩す者や怪我をする者も多く、あの薬師は日夜治療にあたっていた。彼の作り出した薬の素晴らしさは遺憾なく発揮されたが薬師は素直に喜べない。

 それはそうだろう、薬師には分かっていた。この狂った季節は間違いなくカームに関係しているという事を。

 彼は居ても立っても居られなくなり、助手の一人に診療を任せて山へと向かう事にした。


「先生! いくら何でも危険過ぎます、考え直して下さい!」

「いいや! 私は行かなくてはならない、薬師としてあの山に!」

「どうしてそこまでするんです!」

「私は、薬師としての私は、あの山に大きな恩がある!」

 彼は助手の静止を振り切り一人で山へと駆けた。ファンロの欠片を持って。


 山の麓につけば猛烈な嵐が起こっている。ただでさえ危険な山が輪をかけて凶暴になっているのだ。当然薬師は足止めを食らってしまう。が、その時ファンロの声が頭に響く。

『薬師さん、カーム様をどうか』

『ファンロさん! 一体これは』

 聞けばファンロは魂の一部をこの翼爪に込め、山の風から守る加護を二回分だけ付けたのだという。だが一度語りかけると同時に最後の一回分が発動し、会話も出来なくなってしまうらしい。そして薬師にファンロは重大な事実を告げる。

『申し訳ありません。今更な上、丸投げする様な形になってしまい』

『とんでもない! なんとしても行きます! 今回ばかりは私が未熟な薬師で良かった!』

 その会話を最後に言葉は途切れ、同時にカームの家に続く一本の道が嵐の中に朧げながら浮かんだ。彼はその道をひた走る。託された希望を渡す為に。



「ああ、着いた……」

 肩で息をしながら彼はカームの家に辿り着いた。玄関をノックして家に入るとそこには彼女がいた。涙を流し、無表情で虚空を眺める彼女が。


「カームさん」

「ファンロ……」

「……季節が変なんです」

 薬師がそう言うと間を置いて彼女が喋りだした。

「知ってる。でもどうにも出来ない」

「そんな……」

「ファンロが居ないと、私は何も出来ない」

 場には沈黙がもたらされた。


「カームさん、ファンロさんの魂は貴女の中にあるんですよ」

「え?」

「心の奥深くにファンロさんを探してみて下さい。きっと居ます」


 カームは半信半疑で心の内にファンロを探す。暗い場所を。

『ファンロ、やっぱり居ないの?』

 深くまで探す。すると僅かに輝く翠玉の欠片が落ちている。

『これ、ファンロの!』

 もっと探してみる。更に欠片が落ちている。探している内に暗かったそこはいつの間にか翠玉色に照らされていた。彼女の手にある欠片の光で。

『カーム様』

『!』

 光の中にファンロが現れる。本当に心の中にファンロがいたのだ。溶けて消えた筈のファンロが。

『カーム様、ここの私は長く在れません。どうか山頂へ。そこに私の最後の欠片を残してきました』

 そう言うとファンロは消えかかっていく。

『ファンロ!』

『大丈夫です。その手に持った欠片をどうか山頂へ。そうすればまた』

 そこまで言ってファンロは消えた。


「……山頂へ行く!」

「ファンロさんに会えたんですね!」

「ありがとう!」

「これも持っていって下さい」

 薬師は翼爪の欠片を渡し、嵐の中を行く彼女を見送った。彼は山頂まで同行する事ができない。



「これは……!」

 息を切らせたカームの目に飛び込んで来たのは、今までの嵐が嘘に思える程静かな山頂と、そこにそびえる翠玉色の片翼だった。

 ファンロが残した物、それは彼の片翼。カームにはこれの意味がすぐに分かった。

「!」

 彼女は杖を地面に突き立てる。


「今ここに翠玉と翡翠、我が魂を捧げる! そして降臨せよ!」


遥か昔に忘れた、しかしいつも口にする名を呼ぶ。


「『季節を司りし者ファンロ』!」


 カームが言い放った瞬間、その場に天を貫く光の柱が現れ、そこに翠玉色の翼竜が舞い、その咆哮で暗雲を瞬く間に払い除けた。

 そして翼竜はゆっくりと降り立ち人の姿で彼女の前に立つ。


「ファンロ……」

「カーム様……」


 二人に言葉は要らなかった。



――ファンロが魂を溶かして渡してもまた現れた理由。

 遥か昔にカームがファンロを降臨させた時、ファンロの魂は捧げられたカームの魂とほぼ完全に同一の物になり、カームの魂はファンロの魂、ファンロの魂はカームの魂、となっていた。故にファンロの魂を溶かして渡してもファンロの魂はカームの魂とカームの中で文字通り同化しただけで消えはしなかったのだ。全く別の魂ならこうはならない。

 そしてカームが心の深い所に潜り、自分の魂とは違う部分、ファンロをファンロ足らしめていた部分、つまりあの翠玉の欠片に気づきそれを以て再降臨させることで今までのファンロを呼び出したのだ。

 更に薬師の腕が未熟だったのも大きい。

 この二人の魂は二人の間でしか違いを認識できない。故に完全に溶かしてからファンロを再構築しようにも、カームとファンロの魂の違いを認識出来ない術士はファンロを再構築できずどちらでもない「何か」を構築してしまう。

 そして再構築できる程の者なら術を始めた時点で再構築を始めてしまい、しかも一度始めた再構築は止められない。それ故、最初から再構築など出来ない薬師が術を施したのは大正解だったのである。

 そしてこれはファンロ自身、実際に魂を渡すまで確証が持てないものでもあった。それ故、翼爪に伝言を残し、片翼を落として再降臨の欠片を補完する保険をかけるという事までした。

 主は悲しみでこの事に気が付かないだろうから、冷静でいられない筈だから。意識をなくした主にこれを伝えられなかった、だから薬師に希望を託した。託した希望で主が動き、再降臨を願ったとき遥か昔に忘れた記憶を思い出せる様に翠玉色の片翼を残して。


 つまりは


「この二人だったからまた会えた」


 それだけの事だ。

 難しい理由など必要ない。

 この理由が合っているのかも分らない。

 「想い」に理由など要らない。

 「想い」が奇跡を呼んだ、それだけの事。

 


「カーム様、お体は?」

「大丈夫、ファンロが中にいたから」

「では始めましょうか?」

「うん」


 カームはもう一度、杖を地面に突き刺す。

そして彼女は言う。

「街に笑顔と季節を!」

 ファンロは翼竜に姿を変え、陽光に煌めく堂々たる翼で一扇ぎ。

 優しくも強い風は狂った季節を瞬く間に元に戻し、山に吹き荒ぶ風を微風そよかぜに変え、今一度、春風を山から伝わせ街に運んだ。


 そして、カームの顔には穏やかな笑みが湛えられていた。


――

――――


 ある街にはこんな言い伝えがある。


 ある日、季節が狂った。

 人々は山に住む翠玉色の翼竜が居なくなったのかと思った。

 だがその真実は山でその翠玉色の翼竜を従え、季節を届けていた翡翠の魔法使いが愛しきその翼竜をうしなったその悲しみにあった。

 しかし、暗雲立ち込める山に駆けつけたある薬師の一言で彼女は希望を抱き、遂に彼女は翼竜と再会し狂った季節を元に戻した。

 彼女は今でも翠玉色の翼竜を従え、愛し、愛され、街に季節を届けている。

 そして山を離れられない翡翠の魔法使いの代わりに従者が時折街に現れて、美味しいパンを売り、買い物をして主の元へ帰るのだ。


……これは遥か昔のお伽話ではない。信じ難いだろうが今も正に続いている事だ。



 「翠玉色に輝く翼が山頂に見えるのぉ。そろそろ季節の変わり目か。ファンロさんがそろそろ買い物に来る頃のはずじゃ。儂も歳を取ったの。あの時は未熟で良かったわい。もし今の儂があの時にあれをやれば本当に二人を永遠に引き離す所じゃたわ……」


 白寿を迎えた名高き薬師そう呟く。

 メディケイウスの花を愛でながら。


「また、あの花園に行けたら……のう」


 穏やかな颪が春を運び、その風に撫でられ彼は従者の花に看取られた。


 その顔には優しげな笑顔が。







             ――穏颪おだいおろし 完


 



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穏颪 物書未満 @age890

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