穏颪

物書未満

上 翡翠の魔法使いと薬師の花

 これは遥か昔の話、ある所に季節が無くなってしまった街があった。季節が無くなった事をうれう者、どうしようもない無いと街を後にする者、ただただ何かに祈る者、多種多様だったが確実に街は弱っていった。

 そんな時、街の遠くにある山の頂上に光がさし、同時に春風がもたらされた。それ以来、街から季節が無くなる事はなく、光の中にかすかに見えた翠玉色すいぎょくいろの翼竜を人々は季節を運ぶ者として畏れ敬った。


――

――――


 山の上、人も寄り付かず人の目にも触れない場所。そこに小さな魔法使いが住んでいた。彼女の名はカーム。今夜は仕事があって外に出る、従者を連れて。

「ファンロ、今日はお仕事」

「はっ、そろそろでしたか」

 この者はカームの従者ファンロ。カームの唯一の話相手だ。二人は家を出て多くを喋らず山頂まで歩く。


 山頂に着くとカームは身の丈程の杖を地面に刺し、こう言う。

「ファンロ、始めて」

 その言葉と同時にファンロが姿形を変えていく。

 強靭な足、鋭利な爪、輝く翼と鱗、突き刺す様な鋭い目。

 そう彼は翼竜に姿を変えたのだ。その月明かりに照らされた輝く翼で空を一扇ぎ。

 すると彼女の長い翡翠色ひすいいろの髪をなびかせた強い風が山を伝って街へと流れていく。

「これで宜しいでしょうか?」

 主の少女よりも遥かに大きい翼竜はその大きさとは不釣り合いな優しい口調で話しかける。

「春風は届いたと思う」

 少女はあどけなさの残る顔の表情一つ変えずにそう言う。彼女の仕事はファンロに命じ、季節を届ける事。季節を運ぶ者の正体はカームだ。この事は誰も知らない。


「帰る」

「はっ、ではお運びいたします」

 人の姿に戻ったファンロはそう言ってカームを背負い、帰路につく。別にカームが命じている訳ではないがいつもこうしている。

「疲れた。眠い」

「どうぞお休み下さい。後は私が片付けておきますので」

「任せた。お休み」

 カームはそのまま眠った。季節を運ぶのは想像以上に体力を使う。ファンロの方が疲れる様に見えるが命じているカームの負担がかなり大きく、それ故すぐに眠くなってしまうのだ。ファンロがカームを背負うのはこれが為である。


「深く眠っておられる。このままベッドへお連れして、私もお休みさせて頂こう」

 家に着いたファンロはそう言ってカームをベッドに休ませ、自らも眠りについた。


――翌朝

 先に目覚めたのはファンロだ。彼はカームが起きる前に朝の仕事は終わらせる。これもカームが命じている訳ではなく、ただ彼が主を想ってやっていることだ。毎日こうである。


「ん、おはよう」

「お目覚めですか。おはようございます」

 カームが寝ぼけ眼で起きてくる。相変わらず無表情で。

「もうすぐでパンが焼き上がりますので少々お待ちを」

 彼はそう言いながら彼女の長い髪をいて整える。彼女は少しうつらうつらしながら椅子に座り食卓につく。これも毎日の事だ。そうやって静かに時が過ぎるとパンが焼けた。


「いただきます」

 二人で一緒に朝食を摂る。カームの食べる速度はとても遅く常人の三倍はかかっているがファンロは特段気にしない。いつもこうやってのんびりとした朝の時間を過ごしている。


「ごちそうさま」

 カームの長い朝食が終わる。

「いかがでしたでしょうか?」

「いつも通り、美味しかった」

 カームは表情を変えず、感想を言う。はたから見れば不満そうだと思えるだろうがそうではない。だがこれを理解出来るのもファンロしか居ない。


「では、今日は街に買い物へ行ってきますので」

 ファンロはそう言って準備を始めた。ここは山の上、時々街に行かなければ生活物資が手に入らない。彼は先程焼いたパンを数十本、鉱石の一部を持って街へと向かう。

「早く帰ってきて。ファンロ」

 カームはほんの少しだけ表情を変え、不安そうに言う。彼女はこの山から離れられない。カームがここを離れると風向きがおかしくなり、季節が狂ってしまうのだ。それ故、買い物はファンロが行く事になっている。

「今日の夜には帰って来ますから大丈夫ですよ」

 彼は優しく微笑んでその場を後にした。


 ファンロの移動はとても早く、まさに風の如く山を下りる。人間にはとても真似できない速度で切り立った所をひょいひょいと進む。当然この辺りに人はおらず、また人目につくことも無い。

 そうやって平地に着くと普通の速度で歩き始める。これは彼の正体がバレない様にする為だ。山を下りた彼は普通の人間として振る舞う。それは山に人を近づけさせない為。あの山は二人にとっては何ともない場所だが人間にはとても危険なのである。常に身を切り裂く様な冷たく鋭い風が容赦なく体力を奪い、どこから登ってもあまりに急峻きゅうしゅんすぎる斜面は風と相まって人を簡単に奈落へと突き落とすのだ。

 そんな山だから誰も近寄らないし、近寄れない。ファンロがわざわざ普通の人間を演じなくても良いのだが念には念を入れている。


「ふう、着いたか」

 彼の行き着いた街はそこそこ大きく人も沢山いる。そこで彼はいつもの通り門番に挨拶して街の中に入るのだ。そして彼はここで別の名を使っている。

「こんにちは」

「おっと、ロウさんか。久しぶりだね、あのパンを売りに?」

「ええ、そうです。お久しぶりですね」

「……よしみで今売ってくれないかい?」

「言うと思ってましたよ。こちらでどうです?」

「有り難いねえ。お代、少し多めに渡すよ」

 彼が売りに来るパン、これが街でずっと前から人気の品なのだ。街に入った彼は市場へと向かい適当な店先を借りてパンを売り始める。と、言うよりは売り始める前から長蛇の列で少し高めの値段でも飛ぶように売れていく。二時間もしない内に完売だ。

「いつ見ても凄い売れ行きだね」

 借りた店先の主人はそう言う。

「いえ、そんな……あ、良かったらどうぞ」

「良いのかい? 嬉しいねえ。店先を貸した代金は半額でいいよ」

 これほどに彼のパンは人気だ。


 パンを売り切った彼は鉱石も少し売り、パンの材料と食材、生活雑貨を買って暫く休憩した後、門を出る。

「ロウさん、いつも夜に帰って行くけど大丈夫なのかい?」

「ええ、まあ。それに待ってる人もいるので早く帰りたいんです」

 門番と少し会話をし、そのまま夜闇に彼は消える。そしてそれと同時に月がかげり、少しばかり強い風が吹く。


(早く帰ろう。カーム様が待っている)

 翼竜はそう思いながら風を切った。


 これが昔から続くカームとファンロの日常。


――

――――


 ある日、カームとファンロは山を散歩していた。もっとも、常人の散歩とは訳が違うが。

「いい風」

「ええ、今日も快晴で何よりです」

 二人にとってはここの荒れ狂う風も微風そよかぜに過ぎない。現にカームの髪は優しくなびいている。そうやって山をぐるりと回るのが彼女の仕事以外唯一の外出と言っていい。ただそれだけでも彼女は満足だった。そしてそれに付き従うファンロもまた満足していた。


「? 誰かいる」

「! ここには誰も近寄れない筈」

「あっち」

 彼女が杖で指した先、そこには人が倒れていた。

「見に行く」

「お待ち下さい。何者か分かりません。私が先に見てきます」

「分かった」

 かなり下の方とは言えこの山に人間が来る事自体珍しい。ファンロは警戒しつつ近寄る。

「意識を失っている。武器の類も魔術師の気配もない。一体この者は……ん? これは……」

「どう?」

「カーム様、どうやらこの者は薬師の類かと」

「そう」

「いかが致しましょう」

「連れ帰る」

「! 何故です?」

「死なれたら夢見が悪い」

「……分かりました」

 カームがこう言う以上そうするより無い。そして彼女は終始あどけない無表情だ。二人は男を連れ、帰路に着く。



「ここは……」

 男は見慣れぬ天井を見てそう呟いた。

 見渡すと少女が椅子に座って本を読んでいる。

「あの、一体何が」

 椅子に座る少女に問いかける。だが翡翠色の眼に一瞥いちべつされただけで返事はない。

「助けて下さったんですか?」

「……」

「あの……」

 どう声をかけても返事は無い。少女はただただ本を読んでいる。男は黙るしかなかった。暫くそうしているとドアから誰かが入ってきて、それと同時に少女が口を開く。

「ファンロ、お客、目が覚めた」

「はっ」

 そう言って背の高い青年が男に近寄ってくる。

「あ、あなた方が助けて下さったんですか?」

「そうです。しかし何故この山に。近寄れば命はないのですよ」

 翼竜のそれの如き鋭い目ににらまれた男は震えてしまうがそれをカームが制する。

「ファンロ、警戒解いて」

「申し訳ありません。カーム様、つい……」

 その声でファンロから威圧感が消え、男からも怯えは消えた。



「私はここにある薬草を探しに来たのです」

「ここの情報は無い筈です。何故ここだと?」

「……信じて貰えるか分からないですがこの本に書いてあったんです」

 男が出してきたのは何とも古い本だった。

 ボロボロでギリギリ本の体をなしている。

「まさかそれは古代文献……!」

「はい、なんとしても薬を作るべく大図書館の隅々まで調べ、時には危ない橋を渡って本を手に入れ……」


「その本、見せて」


 不意にカームが声を発し、杖を持って男の前に来る。

「は、はい。お見せします」

 男は得も言われぬ緊張を感じ、拒否出来なかった。

「あの、失われた古代文字なので読めるかどうか……」

「読める。少なくとも貴方より」

「!」

「ボロボロだから元に戻す」

 そう言い、杖を構えてスペルを唱えるとその本が新品の様な輝きを取り戻す。

「読むから待ってて」

 そう言ってカームは奥の部屋へ消えた。男は驚きを隠せない。だがファンロが落ち着いて男に話をする。

「良かったですね。カーム様に信用された様だ」

「どういう事です?」

「今に分かりますよ。さてもう少しお話を聞きましょうか」

「分かりました……」

 男はファンロに事の経緯を話し始めた。

 そして暫くの時が経つ。



「……と、いう訳なんです」

「成程、そういう事ならば。脅す様な事をして申し訳ない」

「いえ、勝手に入った私が悪かったんです」

「貴方の言葉に嘘偽りは無いですし、その信念、感服するより他はないです」

 この男にファンロがここまで感心するのは男の医薬に対する凄まじい熱意と信念を話の中で見たからだ。この男は現状の薬では対処できない病が多すぎる事、薬が高価である事、それ故に失われる命が余りにも多い事、それらを含め様々な医薬に関する問題をうれい、新たな薬を作れないのかと若き日からずっと研究を重ねてきたという。

 そんなものは無理だといわれ後援者もつかず、研究する仲間もおらず、それでもたった一人でやり続け遂にあの文献に辿り着いた、が古代文字であるが故解読も難航し、それでもようやくここの記述を見つけて今に至る、といった所である。

「助けて頂けなければ私は今頃……」



「読み終わった」



「! 何と!」

「カーム様、如何でしたか?」

「これは本物。見つけたの、凄い」

「おお……」

「では薬草が存在している、という事でしょうか?」

 ファンロが薬草の有無を聞く。

「有る。ついてきて」


「ファンロ、その人お願い」

「はい。薬師さん捕まってて下さい」

「こ、こんなに険しいんですか」

 怯える男を尻目にカームとファンロは歩を進める、とても人間では歩けない場所を。そうして暫く行くと少し広い場所に綺麗な花が咲いていた。標高が高い場所にもかかわらず。

「これがその薬草」

「本当だ……本当にあったんだ……」

 男は振るえながらその白く美しい花に触る。実物を見たのだ、無理もない。


「メディケイウスの花」

「!!」


 男がその単語に驚く。カームがくうに記した文字、それは男がどうしても読めなかったページの始まりの単語。

「このページには花の栽培方法、この文献に記されている限りの病に対する夫々それぞれの調合素材と方法、副作用の症状、対処方法、その他のこの花を用いた薬に関する重要な事が記されている。これらを解読せずにこの花を求め、そして薬を作ろうとした? ならそれは危険過ぎる。薬師ならこの意味、分かる筈」

 寡黙なカームが淡々と表情を変えずにそう言った。


「ああ……そんな」

 男は感動と同時にうなだれた。自らの余りに軽率な行動に今更気が付いた、いや気付かされた彼は。

「私はなんて事を……」

「カーム様……」

 ファンロも今気付いた。それは仕方がない、薬師ではないのだから。

 暫くの間沈黙が続き、彼女は男の手にある花をじっと見つめていた。


「……その花は枯れていない」

 カームが男の持つ花を見て言う。

「その花は資格なき者が触ればすぐに枯れる」

「!!」

「と、いうことは。カーム様、もしや……」

「貴方には資格がある。この本を読める、読めないにかかわらず」

「それでは……」

「薬師として責務を果たして。その花に恥じぬ様に」

「あ、あ、ありがとうございます……!」


 男の手の中で、メディケイウスの花はより輝きを増していた。

 花はながくの間、主となるべき者を待ち続けていたのだ。


――


 程なくして家に戻り、三人はテーブルを囲み花のことやら何やらを熱心に話していた。とは言ってもカームはずっと本を読んでいるばかりだったが。

 そしてファンロがこの男の帰る方法について話し出す。

「カーム様、この方のお帰りの方法なのですが」

「ファンロに任せる」

「はっ。では薬師さん、早ければ今日の夜にでもお送り出来ますが如何でしょう?」

「ではそれでお願いします。本当に何もかも、ありがとうございます!」

「帰る時になったら呼んで」

 そう言い残してカームは奥の部屋にまた消えた。



 暫くすると夜も深まり、そろそろ出発の時間である。

「忘れ物はありませんか?」

「ええ、大丈夫です」

「カーム様、お帰りの様です」

「ちょっと待ってて」

 カームから待つように言われて二人は一五分程待った。するとカームが本と透明な筒を持って現れる。


「この本はその文献を訳した本」

「ええっ! この量を先程までの時間で!」

「この筒はその花をそのまま保存する筒」

 男の驚きを気にせず続けて言う。

「どうして、こんな物を私に……」

「貴方は資格有る薬師、その花に選ばれた主。その者はその花を知らなくてはならない。貴方が自らそれを理解する前に引き合わせたのは私。貴方が本を読める様にするのは私の役目。引き合わせた者の為すべき事。それだけ。後、今日の事は絶対に口外出来ない術をかける」

 またも長く語ったカームはそのままベッドに入って眠った。


「なんというお方だ……」

「流石カーム様だ。さあお送り致しましょう、家はどちらで?」

「街の外れです」

「では行きましょう。乗り心地は保証できませんが」


 男はこの日、竜の背に乗るという、常人には体験し得ない事をした。

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