Episode 32:医療団のカシラ
ブールは大刀をバンシーの首に押し付けた。
「……やりすぎだ。貴様を殺す!」
ブールがそのままバンシーの首を刎ねようとする。だが、バンシーは蹴りでブールの大刀を弾いた。ブールが目を見開く。刹那、バンシーの長大剣がブールの白銀の鎧を砕き心臓を貫き、斬り去った。ブールは唸り声を上げてそのまま前のめりに倒れこむ。
「うぜぇ。隊長だの副隊長だのバカじゃねぇの。俺はただ華麗に戦いたいだけ。相手なんか誰だっていい」
バンシーが笑いながら言った。アストロの中で何かが動いた。それは以前あったものよりも数倍近く激しいものだった。アストロの左目が赤く染まる。悪魔化が進行していた。大地が揺れ、空気が振動していた。
「兄貴! やめろ!」
「俺は怒りが治まりそうにない。悪いな、ドリウス」
そう言うとアストロの周囲に黒い風が巻き起こり、ドリウスはランスでその風を防いでいた。防ぐので精一杯だった。声をかける間もないままアストロは恐ろしい姿になった。
顔は黒いヤギの頭骨。頭には巨大な二本のうねりあげた角。背には黒翼が生え、足は太く、ひび割れた鎧に身を包んでいる。そして長い尾を持ったアストロの姿。
完全なる悪魔化。アストロの怒りが限界を越えて悪魔の牙がむき出しになった姿。見たこともない恐ろしい姿。バンシーは恐怖していた。
「貴様、恐怖しているな。貴様には俺がどう見える!」
アストロは大声で笑いながら言った。バンシーを掴みあげ、握り締める。ギリギリとバンシーの身体が悲鳴をあげる。
バンシーはさらに恐怖した。アストロという恐怖。死ぬ恐怖。身体が砕けていく恐怖。様々な恐怖がバンシーの中で渦巻いていた。その恐怖を吸い取りさらに力を溜めるアストロ。そこに居る全員が恐怖していた。
もう誰にもアストロを止めることはできなかった。アストロが雄たけびを上げて手を握り締める。バンシーの身体がひときわ大きな軋む音をたててバラバラに砕け散った。叫ぶ間もなかった。懇願する間もなかった。一言も発することなくバンシーは砕け散ったのだ。
バンシーの血を浴びて叫ぶアストロ。血を吸収していた。バラバラになったバンシーの肉片を喰らう。アストロは化物だった。化物以上に化物だった。おぞましく、黒く、怒りに満ちた化物だった。
「もういい、止めろ!」
ドリウスがアストロの前に出る。聞こえていなかった。アストロは肉片を貪っている。
「ドリウス殿。声は届いておりませぬ。ここは危険ゆえ一時退避しましょうぞ!」
ブルエがそう叫ぶとレフォルとレイラ、そしてフォラスを回収してその場を去った。ドリウスは家の扉を開けようとした。男の子を逃がすためだ。だが、扉は歪んでしまったのか開かなかった。
家の中ではダリオンが男の子を連れて逃げようとする。男の子は拒んだ。ダリオンは危険だと諭す。男の子は首を横に振って窓からアストロに呼びかけた。
「アストロ! 元に戻って!」
その声にアストロが反応する。アストロは男の子に向かって拳をつき出した。
「危ない!」
ダリオンが男の子を窓から離す。男の子の腕を掴んで家から出ようとする。家が崩れ始めていた。それでも男の子は諦めなかった。手を引こうとするダリオンを押しのけてまた窓に近づこうとする。
ダリオンは無理やり男の子を引っ張っていった。家の外に出る。ボロボロと家が崩れ去っていく。アストロが男の子の方を見て叫びながら拳を振り下ろす。アストロは完全に闇にとらわれていた。もう誰も止められない。男の子は目を瞑った。
「これはこれは……」
アストロの背後に立つ影があった。両手に鉄でできた両刃剣を持ち、頭には左右に広がり上向きに生えた巨大な角。そして碧色に輝く鎧を着た男だった。
「ずいぶん物騒な奴がいるなぁおい!」
男は軽口を叩くと両刃剣を捨てアストロの首すじ目がけて殴った。一撃でノックアウトする。アストロがよろめき、煙を上げて倒れこんだ。ドリウスがアストロに駆け寄る。
「兄貴、兄貴!」
男の子が目を開けると、倒れるアストロの後ろに男が首をゴキゴキ鳴らしながら立っていた。男の子は察した。この男がアストロを倒したのだと。男の子は男を睨みつける。
「大丈夫か坊主。安心しろよ、気を失ってるだけだ」
アストロは元の姿に戻っていた。男が指笛を鳴らすとブルエが戻ってきた。
「お兄上。戻られたのですな」
「おうおう、ずいぶんと派手にやられたもんだな。全員治療しろよ。ダリオンも手伝ってやってくれ。それからそこに倒れてるお三方もな」
そう言って男は二カッと笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ダリオンとブルエは返事をすると治療にとりかかった。ダリオンが薬や器具運びを担当し、ブルエは、それらを使って皆の傷を癒していった。
ブルエに治せない傷は殆どない。彼はこう見えても最上の名医だった。彼に医学を教えたのはフォラスだった。ブルエには傷を癒す不思議な力があった。フォラスが医学を教えたことでそれが開花したのだ。
だが彼に治せないものがいくつかあった。ひとつは肉片になってしまったもの。もうひとつは損傷が激しすぎるものだ。男はお三方と言ったがそこにバンシーは含まれていない。アストロとブール、アビゴイルの三匹だった。
ブルエは全員の傷を治療した。心臓を貫かれたアビゴイルとブールさえも治してしまった。ドリウスが感心していると男が口を開いた。
「俺は医療団のカシラ、ルタナスってんだ。お前らのことは噂で聞いてる。よろしくな」
「オレ様はドリウスだ。それより兄貴は大丈夫なのか!!」
「安心しろ。気を失ってるだけだと言っただろう」
ドリウスはそれでもなおオロオロしながらアストロを見ていた。男の子がジッとルタナスを見ている。
「人間の子ってのはこいつか。まぁ弱っちそうだな。ちゃんと守ってやらねぇと」
ルタナスが笑いながら言った。姿は先ほどの姿ではなく人間のような姿をしていた。顔に大きな傷があり肌が茶色く、いかにもワイルドで巨大な男だった。ルタナスが先ほど捨てた両刃剣を拾い、家の瓦礫に腰を下ろす。
両刃剣は何年も手入れが行き届いていないのかボロボロだった。刃は欠け、切先もつぶれてしまっている。到底役に立つような剣ではなかった。だが、ルタナスは剣を大切そうに腰についている鞘に仕舞った。
鞘といってもそれこそ初めは立派なものだったのだろうが、先は折れ、全体にひびが入っており、とても安全とはいえなさそうだった。下手をすれば歩いている最中にずり落ちるのではないかというほどボロボロで鞘の役目をちゃんと果たしているのか疑問に思うほどだった。
それでもルタナスはそのボロボロの両刃剣セットを身に着けていた。ルタナスが口を開く。
「お前、人間界ってとこから来たんだろ。こっちと比べてどうだ。やっぱ帰りたいか?」
「……ぼく、お兄ちゃんを探しに来たの。見つけたら帰るの」
ルタナスはそうかいと頷いた。男の子はまだルタナスのことを警戒していた。
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