第35話 風の再来

 今日も朝から、王立高等学校は賑やかな声に包まれている。

 生徒達が他愛もない会話をしながら昇降口へ入っていく。

 相変わらず、ダージリンは虚ろ目なまま、下駄箱で靴を履き替えていた。


「ダージリン君、おはよう」


 聞き慣れない素敵な声。

 ダージリンは横へ向くと眩しい笑顔の少女がいる。

 この前数学を教えてくれたシレットだ。

 ダージリンは呟く様に返事をした。


「……お、おはよう」

「昨日、倒れたらしいね」

「え? 誰から聞いたの?」

「アクバル君」

「そ、そうなんだ」


 知らない筈の事実にダージリンは少し固まってしまう。

 しかし、友の名前を聞いてひとまず安心した。

 ――アクバル、余計な事を。


「今は大丈夫?」

「……うん」

「そ、それなら……良いけど」

「……ねえ」

「ん?」

「……僕、言ったよね? 友達はもう必要ないって」


 真っ直ぐの視線。

 シレットが持つ紫の瞳には濁りがない。

 その瞳に、ダージリンは捕らわれてしまった。

 吹き込まれたそよ風が灯火を揺らす。


 虚ろな瞳も輝きを増していく。

 いや、戻っている。

 夢中になってしまった。

 間を置いた所で、シレットの口が開く。


「うん。言ったよ」

「じゃあ、なんで」

「……実は……わかんないんだ……私も。ただ会った時から、これっ切りの関係にはなりたくなかった」


 少し俯くシレット。

 ダージリンは苦しみが増してくた。

 まだ胸を抑えたり、頭を抱えたりする程ではない。

 だが、時間の問題だった。


「だってダージリン君、凄く良い人だから」

「……僕といたら、不幸になるだけだよ」


 見上げた笑顔が再び向けられた。

 強く瞼を閉ざし、ダージリンはシレットの瞳から逃げた。

 必然と浮かぶ思い出。


 それは、高校に上がる前の時だ。

 中学校で今と同じ様に下駄箱で履き替えている時、『あの子』はいつも言ってくれた。

 ――おはよう。ダージリン。

 眩しい笑顔だった。

 凍った思いが溶けていく様な響きだった。

 後悔している。

 何であの時、『おはよう』の一言も返せなかったんだろう。

 嬉しかった筈なのに。


「お願いだから、その気持ちを僕に向けないで」


 曇った思い出を掃う為に、ダージリンは強くぶつけた。

 眉を寄せるシレット。

 真っ直ぐだった瞳も揺れている。

 そして、何も言わなくなってしまった。


「ちょっとアンタさ、なにカッコ付けてんのよ?」


 背丈の小さい少女が割り込んで来た。

 テレーズだ。

 突然現れた少女にダージリンは動揺してしまう。

 視線をシレットに向けたがもう一人増えている。

 フラウアがシレットの背に手を添えていた。

 テレーズもフラウアも、目くじらを立てている。

 ――友の心を裂いた。

 特にテレーズの憤りは凄かった。

 低い位置から放つ目力はダージリンの心を縛る。

 しかし、ダージリンも目に力を込めて抵抗した。


「……か、格好なんか、付けてない」

「あっそ。ボッチになりたいのはそちらの勝手だけど、せっかくシレットが親切に接してくれているのに失礼だと思わないの? 王子様なら尚更やっちゃいけない事だと思う」

「……優しさはわかってる。だから言ってるんだ」

「アクバルだっけ? 彼奴らとの関係も、薄っぺらいものなの?」

「そ……」


 何故か、ダージリンの口が封じられた。

 アクバル。

 ブランドン。

 スティーブ。

 三人の顔が急に出て来たのだ。

 ――そうだ。

 たった一言だけなのに。

 ダージリンは気付き、固まった。

 自分が、気を許してしまっている事実を。


「関係ないだろ。そっちには」


 歯ぎしりしてから、静かに口を震わせた。

 鞄を持ち換えて、ダージリンは振り返った。

 足早に去る彼をシレット達は見つめた。


「シレット、大丈夫?」

「うん。ありがとうフラウア」


 姿が見えなくなった所で、フラウアが口を開いた。

 背と肩をゆっくり摩り、自分の温もり与えている。

 そのおかげで、シレットも笑顔を取り戻した。


「酷いよ王子様。何であんな酷い事が言えるんだろう?」

「病んでるのはわかるけど、最低よ」

「流石にあれは、うちも嫌だな」

「もう関わんない方が良いわよ。シレット」


 苦笑いするフラウア。

 テレーズは相変わらず目を鋭くしている。


「二人とも、あんまりダージリン君を悪く言わないで」

「シレット、どうして? まだ王子様をフォローするの? 王子様は……」

「わかってる。流石に少し辛かった。もう少しで泣きそうになった。だけど……」


 批評するフラウアとテレーズに、シレットは擁護。

 瞳を震わせながら、話を続けた。

 自分を傷付けた男を庇った事に、フラウアとテレーズは目を丸くしてしまう。

 様々な思いが混じっていたが、まずは友の思いを静かに聞いた。


「何というか、ダージリン君から凄く伝わるんだ。懐かしい雰囲気が」

「懐かしい雰囲気?」

「うん」


 握る拳を胸に添えて、シレットは微笑む。

 しかし、テレーゼとフラウアは気の毒に見つめた。

 教室へ流れていく様に同級生達が向かう中、三人は時が止まった様に立ち尽くす。


「テレーズ。話があるんだ。良いか?」


 男の先生が声を掛けた。

 呼ばれたテレーズは、一人振り返る。








 一年C組と書かれた表札。

 クラスメイトが賑わう中、深刻な顔を浮かべた二人がいた。


「ね、ねえ、あの後どうしたの?」

「どうしたって、真っ直ぐ帰ってすぐ寝た」

「わ、私も……」

「これから夜道を歩く時は、もっと明るい所じゃねえとな」

「そういう問題かな?」

「何が言いたいんだ?」


 自席に座り、肘を付けながら外を眺めていたリールフは睨む様にミーナの方へ振り向いた。

 心なしか、いつもより暗く見える。

 多分、魔獣の恐怖がまだ染み付いているのだろう。

 ゆっくりと開くミーナの口。


「これからもしかして、い、嫌な事が起きそうというか……」

「もう過ぎた事だ。忘れろ」

「でも……」

「魔獣に襲われたのは偶々だろ。この世の中だ。何が起こってもおかしくねぇよ」


 ミーナは俯いたまま立ち尽くす。


「もうすぐ集会だ。行こうぜ」

「……うん」


 ポケットに手を突っ込みながら、リールフは廊下へ歩む。

 ミーナもその後を追った。

 生徒が次々、学校のアリーナへと向かっていた。

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