第27話 闇の蛇
曇り空の夜。
星一つも輝きを見せず、寂しくて冷たい暗黒の中を、リールフとミーナは歩いていた。
道路に設置されたランプは列を作った小さな陽光。
寂しさと不安を和らぎ、心を温めてくれる。
しかし、ミーナの心は熱さをもっと求めていた。
右腕に鞄を掛け、リールフに度々視線を向けながら左手を伸ばそうとするが、リールフの拳は固く握られており、まるで鉄の様だった。
遂に握る事を諦め、伸ばしかけていた手を落とす。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」
目を下ろしたその時だった。
突然、誰かの悲鳴が道中に轟き、二人の足を止めた。
「な、何?」
見上げたミーナは、リールフの顔を見ると、彼も驚愕し、目を丸くしていた。
「む、向こうからだ」
勝手に歩き出したリールフに、ミーナは戸惑いながらも後を追う。
悲鳴が聞こえた方角には、枯れた木材が何とか家の形を保っている廃屋があった。
暗黒の中で、何かが激しく動いている事に気付き、唾を呑み込む二人。
生唾を飲んで恐怖を抑え込みながら、リールフはミーナの手をさり気なく握った。
ほんのりと伝わる温かい手はミーナの心を安心させ、それに応える様に自分もリールフの手を強く握り返した。
そして、二人は忍び足で近づき、獣の正体を掴んだ。
「な、何あれ……!?」
「ま、魔獣みたいだ……」
ミーナの震える声が漏れた。
血の様な瞳を光らせた魔獣が男性を腸から食っていた事に、リールフは気付く。
男性は白目を向けながら息絶えており、その無惨な光景を前に二人の心臓は激しく動き、額だけでなく体全体から汗が流れ始めた。
「でも、一体誰が……」
「さ、さあな……」
「ど、どうする?」
「俺らじゃ手に負えない。ここを離れて、騎士団かGOHの人達に知らせよう」
リールフの提案にミーナが頷いたその時、食事をしていた魔獣が二人を睨んだ。
気付かれた二人は魔獣と視線を合わせてしまう。
恐怖に体が凍る二人。
リールフはミーナに囁いた。
「動くな。大声とかも出せば絶対に襲われる」
「く、熊とかじゃないんだよ。無作為に襲うよ。絶対!」
「どの道、死ぬな。ゆっくり下がろう」
「う、うん」
ミーナの手を引っ張りながら、リールフは慎重に後退するが、魔獣も食事を止め、二人を睨みながら一歩、二歩と前進する。
「ミーナ、手を離したら少し下がれ。彼奴を足止めさせる」
暫く魔獣との間に緊張感が続いたが、これではキリがないと判断したリールフは、ミーナの手を離し、彼女を下がらせた。
そして、リールフは掌を重ね合わせながら、ジグザグに痺れる熱い光を強くイメージし、掌の中で実体化させた。
火花を散らしながら黄色に光る
自然幻想術の中で最強にして難解と謳われる『雷の幻想術』。
リールフの得技であり、彼が優秀な生徒だと一目される要因の一つだ。
炸裂した雷は激しい熱と共に魔獣を中から痺れ上がらせ、醜い悲鳴をも上げさせた。
正に天からの裁き。
あまりの痛さに身体を震わせる魔獣。
魔獣が怯んでいる隙にリールフはミーナを連れて逃走しようとしたが、痛みを堪えた魔獣が先回りし、二人の行く手を阻む。
魔獣の目は怒りに燃えており、二人を食らう気満々であった。
恐ろしく燃える目に、身体が硬直する二人。
「わ、私、魔獣と戦った事ないんだけど」
「それは俺も同じだ。無茶すんなよ」
「やるしかない……か!」
飛び掛かる魔獣に、二人は左右に別れてその身を避けた。
魔獣はミーナを睨み、次にリールフを睨むが、荒い呼吸を立てながらミーナに襲い掛かった。
危険を感じたリールフは掌から雷を発生させ、魔獣へ放とうとしたが、リールフの目に映っていたものは、魔獣の牙を紙一重で避けて、細く、美しい、鹿の様な脚からでは考えられない強烈な蹴りだった。
目元を豪快に蹴られた魔獣は顔を縦横無尽に振り、その痛みを和らげる。
上手くいくと思っていなかったのか、少し目を丸くしたミーナが距離を置いて片膝を付いていた。
――や、やった!?
「無茶すんなって言ったのに――ミーナ!」
リールフの声に反応したミーナは、聞こえた方に顔を向けると、リールフが何かを手に持ち、こちらへ下投げした。
バチバチと火花を散らした鉄屑が向かって来る事を理解したミーナは、爪先から脛全体をスパークさせ、雷の幻想術を発動した。
そして、身体を捻りながら飛び上がり、ここだと思った瞬間に鉄屑を豪快に蹴った。
リールフの雷に、ミーナの雷を加えた鉄屑は、普通に蹴る際には有り得ない轟きを発しながら、渦巻く黄色や青と共に魔獣と激突した。
濁った悲鳴を上げながら、魔獣は宙へ浮かび、着地と同時に身体を滑らせると、そのまま動かなくなった。
乱れた呼吸に、顔中が汗だらけのリールフとミーナ。
特にミーナの方が苦しそうで、両膝に手を付け、くの字になっている。
「カッコつけて『雷の幻想術』を使うな」
「そっちこそ、疲れてるじゃん」
「疲れてねぇ」
「あの魔獣、意外とあっさり死んだね」
「いや、勝てたのは奇跡だ」
倒れた魔獣に視線を外さず警戒する二人だが、幸い起き上がる様子はなく、撃退に成功した様なので肩の荷が下りると同時に崩れる様に座り込んだ。
壁に背を付けながら立膝をし、顔を真上に息を吐くリールフ。
ミーナも正座を崩した様な姿勢で息を吐いた。
「ほら、座ってねえで、こっから逃げんぞ。まだ何が起こる――か?」
立ち上がったリールフは、ミーナの所へ歩み、彼女の腕を引っ張ろうと手を伸ばした直後、魔獣の異変に気付き硬直した。
魔獣の身体から不気味な煙が抜き出ていたのだ。
煙はただ立ち上るのではなく、右往左往しながら渦を巻いている。
その奇怪な光景は再び二人を冷えつかせ、逃げる考えを浮かばせず、ただその煙がどうなるのかを凝視させた。
煙は意思がある様に動きを止めると、先端から二つの赤い光を輝かせ、口の様な動きをすると薄気味悪い音を鳴らした。
それは『闇』。
蛇に勝る恐ろしさを持つ『闇の蛇』であった。
くねくねと動く闇は一気に加速すると、リールフの中へ飛び込んだ。
「ぐは!?」
体の中へ入り込まれたリールフは胸に手を当てながら蹲り、全身を走る激痛に襲われた。
意識は徐々に蝕まれ、苦痛と同時に快楽さも感じた様な気がした。
しかし、意識を乗っ取られたら最後、もう後戻りが出来ないと察し、リールフは雷の幻想術を発動、胸の中心から全身へ電気を走らせた。
「リールフ!」
叫ぶミーナ。
リールフを助けようと考えるより速く体が動き、勢い付けて走り出すと、リールフに飛び蹴りを食らわした。
道の上で豪快に回るリールフだが衝撃が伝わった事で、憑依した『闇』が飛び出した。
往生際の悪い『闇』は、再び奇怪な動きをしながら迫って来る。
また同じ手を食らってしまう。
リールフは掌を伸ばし、雷を放った。
強力な痺れを食らった『闇』は悲鳴をあげ、じりじりと後退する。
その隙をリールフは逃がさず、雷を放ち続け、ミーナも雷の幻想術を発動し、加勢した。
二つの鋭い閃光が交わり、『闇』を
そして、もがき続ける『闇』は、力が抜けていくに連れてその身体が縮んでいく。
「や、やったか……」
「はあ……よ、良かった……」
先程以上に汗を掻き、立つ気力も起きず、地面に這いつくばらない様に四つん這いで保つのが精一杯だ。
「今の一体何だったの?」
「魔獣には違いねえが、その中でも恐ろしい奴だった気がする」
「でもどうして? カメリアに、ステュアートにこんな恐ろしい化け物が?」
「こっちが知りてぇよ」
やがて『闇』は小さな黒い玉を発した後、跡形もなく消えた。
短い激闘の末、夜空は尚も星一つも光らせず、二人を孤独に包む。
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