第52話「和解」

 翌朝。

(うーさぶ……)

 吐くと白い息がでる。

 外に出た途端背中が震えた。

 寒気に当てられて思わず咄嗟にスカートの中で太股を擦り合わせてしまう。

 プリーツのスカートから伸びる黒タイツに覆われた二本の脚は寒々と震えている。

 やっぱりタイツ穿いてきて正解だと思った。

 ミニスカの天聖館高校とは違うが、それでも寒くてしかたない。

(冷え性になってんのかな)

 ズボンが懐かしかった。

 夏は涼しくて良かったが、冬はスカートでは完全無防備。

 これからもっと寒くなる一方で、もっと暖かいものに変えないといけないとも思う。

 この辺は厳寒の時期に、雪も沢山積もるのだ。

 そう、もうすぐ冬がくる。

 寒いが天気はよく空気が澄んでいる。マンションや遠くの山なみまで綺麗に見える。

 駅前から、男女の群れが一つの方向へぞろぞろと歩いていく。

 学生服にセーラー服。

 反対側からは自転車を漕いでヘルメットを被って来てるのもいる。

 公立の第一高校、通称イチ校。

 ありきたりな朝の登校風景だった。

 オレは、ふと思い出した。

(そういえば、TS高の頃は山の上にあったから長い階段を上がらないといけなくて、朝の昇りがきつかった)


「おっはよ~う、真琴」

「よ、おはよう、明美」


 明美がいた。

 交差点から先は一本道の銀杏が続く並木道で、登校するには必ずイチ高生の生徒はここを通る。

 紅葉の季節は舞い散る銀杏の葉で壮観だが、その銀杏もすっかり散ってしまっている。

 そして、この場所でいつも明美がオレを待ち構えている。

(今日もいつもどおり、だ)

 明美は、きちっとアイロンかけされて皺1つない制服。

 セーラー服の大きな襟やスカーフの結び方も完璧だ。

 凛としてて流石、地元の伝統校の女子って感じだ。

(やべ、オレは制服は、いつも壁にかけてるだけなのにな)

 それにスカーフも歪んでる。

(それに連続何日使用してるかな?)

 もう薄ら寒くて蒸れにくい季節だから、そのまま連続で着てしまっていた。

(臭わないかな?)

 鼻で嗅いでみた。

(何も臭わないと思うのだが……)


「こら、何服を嗅いでるのよ」

「あ、いや……」


 いつもは明るくはっちゃけている、明美は今日は寡黙だ。

 真面目モード入っているのがわかる。

 次に声を発したのはオレの方であった。


「明美は、脚むき出しで寒くないか?」


 明美はスカートから、太股むき出しで、寒そうに時折プルプルと震えている。


「わたし、タイツ嫌いなんだよね。何かイモっぽい気がして……ギリギリまで避けてたんだけど」


 明美がオレの黒く覆われた太股を見た。


「そうか、暖かいけどなあ」

「はあ……でも真琴には本当、何でも似合うね。そのタイツ、カッコいいし、様になってるよ」


 一高の制服スカートは、天聖館みたいなミニスカートではないが、やっぱり冷たい風が股に入りやすく、股間も腹も冷えやすい。

 タイツを穿くか穿かないかは、それは女子の間でもこだわりのようだが、オレはあっさり穿いた。自分の着心地重視であった。


「そうか、ありがとう」


 スーパーの安売りで買ってきたものだが、褒められれば嬉しくはあった。

 日ごろ、やたらもっとおしゃれしろとか、みだしなみがどうとか口やかましくいう明美だったからなおさらだ。


「昨日のこと、聞いたわよ。春香に色々言われたんだってね」


 そして明美が本題に入った。


「何!? どうして知ってるんだ?」

「ふふ……」


 明美の含み笑い。


「同じクラスの女子のことなんだから、これぐらい知ってて当然よ?」


 オレもどうして明美が昨日の春香との顛末を知っているかは、その理由は想像に難くなかった。

 明美は、凄まじいネットワークを持っている。

 クラスメイト、生徒会、部活動、職員室。

 校内校外にくもの巣のように張り巡らされた、情報網を駆使してさまざまなニュースやネタを仕入れる。

 これまでも、その情報の正確さ、速さに驚嘆させられたことが多々あった。

 その秀でた能力はオレには魔法に映るぐらいだ。

 こういう能力に秀でたタイプは天聖館高校にはいない。


「じゃあ、大体知ってるんだな?」

「ええ、郷土史研究会、そこに行ったんでしょ? 春香が待ち伏せしてて……」


 今もその目に焼きついていた。

 春香が夕焼けに染まる校舎の廊下でオレの前に立ちふさがっている光景――。


「……」


 オレは黙った。


「はあ、その様子だとだいぶ春香にへこまされたようね……」

「あいつと喧嘩しちまった……」


 オレのため息に、しばしの間明美が沈黙した。


「真琴は、春香が本当に喧嘩うってきていると思うの?」

「喧嘩、じゃないのか?」

「真琴……。私が思うに、春香は真琴と喧嘩したかったわけじゃないと思う」

「じゃあ、何なんだ?」

「意地……春香は、真琴に女の意地を見せたかったんだと思う」

「意地? なんだそりゃ?」

「女子の喧嘩は違うのよ。無視したり、除け者にしたり、本人のいない所で悪口言ったり。直接対峙なんてそうそうないのよ。真正面からぶつかるのは、喧嘩でもなんでもない」

「喧嘩じゃないって――」

「本当に春香が真琴をつぶそうとかかったら、そんなことはしない。そうね、あたしを含めて他の女子に真琴のあることないこと吹き散らして、真琴の精神に圧力をかけまくるって、ことをやるかしらね。淫乱、アバズレ、男好きなんて噂を立てるのは常套手段ね」


 春香が、あるいはその他女子が一斉にそんなことをしにかかってきたら……と思うとオレの背筋が寒くなった。

 いくらオレでも居場所がなくなる。

 ネタはいくらでもある。

 天聖館高校の異変のこと、オレが元男子だとか、この体は人形だとか。

 春香が知っていることを全部ばらされて、校内に広められたら……。

 好奇心、白い目、オレは耐えられる自信はなかった。


「安心しなさい。春香はそんなことをしていないから。真琴を貶めることはしてないわ」

「なんでだよ?」

「だから、言ったでしょ? 春香の意地だって。自分の目と耳で確かめてみなさい」

「?」

「今日中に、春香ともう一度話し合うことになると思うけど、そのときに確かめなさい」

「なんでそんなことがわかるんだよ?」

「うーん、私の経験上……かな」


 その自信たっぷりな様子にあっけにとられたが登校した途端、明美の予言どおり、春香から呼び出された。

 階段脇の人気のないところで二人。

 春香とオレとで、再び向き合った。


「真琴さん――」


 だが昨日の鬼気迫る雰囲気は春香に無かった。


「ごめんなさい! あたし、昨日ひどいこと言って……」


 開口一番、春香は頭を下げた。

 昨日見せた激しい口調はどこかへ行っていた。


「真琴さんのせいじゃないのに……」


 昨日、郷土史研究会でのこと。

 春香は真琴を、人形と例えた。

 それはあまりにもオレにクリーンヒットして、やり込められた。一方的に。

 あまりのへこみ様に、その場にいた春香や周りにいた連中も驚くぐらいだった。

 その後のことはオレは、あまり覚えていない。

 的を射ていたのだ。

 天聖館高校での異変、不思議な少女の正体。そしてオレたちの正体がなんなのか、ずっと研究を続けてきた。

 その疑問に、端的に筋の通る一言だった。

 天聖館高校が全員猫も杓子も、容姿端麗で、非の打ち所の無い美少女になってしまった理由。

 純、あの生徒会長の皆川環。そして生徒、教員に至るまで、清久を除く全ての人間。

 オレ自身もそうだ。

 作られたのなら皆一様に綺麗なのは当たり前。

 人間なら本来は、老若男女、不細工も美人もハンサムも不男も混じってるのが当たり前だ。

 人形。

 この体は人形の体、なのだろうか――

 飯は喰うし、汗もかくし、髪も伸びる。

 胸は乳首が擦れると感じるくらい大きい。

 小便も出るし、生理だってきた。

 痛いし、臭うし、下着は汚れる。

 だが、自分たちを産んだ「母さん」双葉は、人形の化身。

 その手で生まれ変った自分たちは人形なのだろうか。

 このまま生きたまま朽ちていく。

 今朝の夢のように手も足も――。

 そんな考え込むオレにはお構いなしに、春香は胸の内を打ち明ける。


「一昨日……告白したけど、見事に断られちゃったんです」


 言いにくそうに、だが意を決したようにポツリポツリと――。


「そうなのか……。誰だ?」

「バスケ部の先輩。入学の時の部活紹介からずっと好きになっちゃって」

「あー、あの縁のある眼鏡かけた奴かあ。イケメンだよな」


 憶えている。入学間もなくいきなり告白してきた。

 校舎裏に呼び出され、根掘り葉掘り聞かれて、付き合ってる奴はいないか、と。

 いないと答えると、告白だった。

『お前のことよく知らないし、ここに転校してきたばっかりでそんな余裕無い』

 そう言って、あっさり断って終わったと思ってた。


「私が告白しても、『気になる子がいるから、付きあうことはできない』って。真琴さんのこと諦めてなかったの。しばらくしたらまたアタックかけるつもりだったみたいです」

「そ、そうだったのか」


(つまり、オレの断り文句も、つまり転校したばっかりじゃなければ良いというニュアンスに取られたのか)

『男子って諦めが悪いから、きちんと言わないと駄目よ、真琴』

 そういえば、立て続けに告白を受けていた頃、明美からこんなアドバイスを受けたことを思い出す。


「オレが悪い。もっときちんと付き合う気は無い、と断るべきだった」


(失策だ……)

 男の時は、恋なんてせずに終わったし、女としても誰かを好きになるなんてありえないと思っていた。

(オレって男としても女としても未熟だな)


「オレの落ち度だな」


 傷つけないように、丁重に断ったつもりだったが、結果として巡り巡って、春香のプライドを傷つけた。

 想い人の先輩が、交際を断られても、なおも思いを寄せる。その姿は春香にはオレが惑わしているように見えた。

 魔女のように――。


「ごめんなさい、真琴さんは本当は悪くないのわかってるし、あたしの八つ当たりだってこともわかってる。本当は先輩が真琴さんのことが気になってるってのも実は前からわかってた」


 自分の心にある恋を打ち明ける春香の目は澄んでいた。


「根拠ないけど、あたしなら先輩のそんな苦しみから解き放つことができると想ったんだけど……やっぱり駄目だった」

「上手くいかないなあ……」


 何気なく呟いたオレは、はっとした。

(あ、これ……)

 どこかで同じ台詞を言ったような気がした。

 勝手に救える、できると思い込んでいたオレが侵した過ちだ。

(オレは、清久を……救える人間だと根拠も無く想っていた)

 そして無残な結果に終わった。勝手な思い込みで破れた思い。

 今回は、オレの行動で知らない誰かが傷つくかもしれない。

 そしてさらなる怖い疑問を思いつく。

(オレは……オレは、あいつを傷つけたことはないか?)

 悶々とするオレを知ってか知らずか、春香はさらに語った。


「ほんの、出来心だったんです。真琴さんが来た天聖館校の子たちってどういう子たちなんだろうって興味本位で付いてった。気が付いたら連れ込まれちゃって」


 天聖館校生に弄ばれた。

 昨日の春香の話によると、おそらく生徒会長の環と思われた。

 女の体となった天聖館の生徒たちの大半は元々あった嗜好が発露したのか、あるいは新しい体を得て目覚めたのか――。

 校内だけじゃ飽き足らず、他校生に手を出す奴がいた。

 環もその一人だ。

(まったく、ろくでもない奴らだな)

 この体になって以来、妙な力、心を惹き付ける力が高いのは、人形の特性なのだろうか。

 同性の女ですら惹き付けるのは、人形だからか……。

 でもオレもその一人だ。


「そのことは忘れておけって。気にしないほうがいい。オレも忘れておくからさ」

「あ、ありがとう……あ、あの! 真琴さん……あたしも、これ以上は何も言いません。天聖館高校のこと、真琴さんが人形とか男子だったとか……」

「もういいって」


 春香の頭を撫でると、猫のように嬉しそうな顔をした。

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