第34話「日常へ戻る」

 あれから一ヶ月――。

 真実がこの下宿の住人になって一月。手狭な部屋だが、ここが俺たち二人の居場所だった。


「お、今日は味噌汁の出汁を変えたか?」

「ああ、わかったか?」


 あれ以来、マミの朝食を食べるのが習慣になった。

 マミの料理は美味い。

 二人分の食費がかかるため、贅沢なものは買うことが出来ないが、それを上手に作るのだ。

 マミの料理を食べるのが楽しみだった。

 そして今日もマミの作った朝飯にありついている。


「ごちそうさま」

「お粗末様でした」


 朝飯を喰い終わると、マミは俺の食べた食器を片付ける。

 これもオレにやらせてくれ、といってマミがやっていることだが……。

 本当にきちんと家事が出来る。ピカピカの部屋、トイレも風呂も。

 皿を洗っているマミをちらっと見た。

 格好は赤いスカートにTシャツ、水玉模様の靴下。オーソドックスに過ぎて地味といえば地味。

 今時、小学生といえどもファッショナブルな子が増えて いるというのに……。

 もったいないの一言。

 もともと、旅館の老夫婦から貰ったお古。そればかりで身を固めている。あれもなんとかしないと。


「そろそろ卒業も近いし・・・・・・卒業論文の方は大丈夫か?」

「ああ、ようやく目処がついたよ。お前が手伝ってくれたからな」

「それが終われば就活も……」


 真実の専攻していた民俗学の知識とか、歴史の知識は、バイトと飲み会で遊んでいた俺と比べて遥かに上だった。

 帰ってきて、ここしばらくマミが手伝っていたというのも内緒だ。

 そのせいでかなりはかどった。卒業はとりあえず心配は無くなった。

 まったく、なんて少女だ。

 姿格好は、赤いランドセル背負っていても、自然なのに、家事はできる、大学の論文もできる。

 そこいらの女児のように、我がままも言わない。

 そして美少女。

 こんなの他にどこにもいない。

 その日も大学では一日マミのことだけ考えていた。帰ったら何をしよう、今度の週末、日曜日……。


「よう、清弘! 今度の週末合コンあるんだけどさ、来ないか?」


 学食のカフェテラスで昼飯を食っているとき、飲み仲間数名が声をかけてきた。


「悪い、俺用事が在るんだ」

「おいおい最近付き合い悪いじゃねえか」

「金が無いんだよ」

「仕送り貰ってるのにか?」


 その日は、ゼミが終わったら、アルバイトだ。

 アルバイトから帰って来たら、マミが作った夕食を食べる。

 忙しいが、マミがいるから、耐えられる。

 俺は遊んでいる暢気な大学生とは違うんだ。

 一日の講義が終わると真っ先に家に帰った。


「あいつ、何か急に所帯じみてきてねえか?」

「さあ、学生なのにな」


 下宿アパートの窓の軒さしを見ると洗濯物が干してあった。

 俺とマミの分だ。子供用の女児用パンツから、最近は、大きくなったからと、ジュニアショーツに変えていた。

 服もどんどん着られなくなってゆく。

 ここ一ヶ月でもだいぶ入れ替わった。

 そうか、思春期の女の子って成長が早いらしいからな。

 確か男の子より成長が早く始まるらしい。

 ちょうどその時期なのだろう。


「よ、お帰り。今日は早かったな」

「ああ、ただいま、マミ」


 帰ってきたときに誰かがいるなんて、なんて気持ちが安らぐんだろう。

 それも女の子が出迎えるとは。

 なんだろう、この気持ちは―

 父親ってこんな気分なのかな。娘が元気な姿で笑顔の出迎えを受けると、疲れた体がどこかへ吹っ飛ぶ。


「マミ、買い物へ行こう。そろそろ新しいのを買わないとな」

「ふ、服!?」


 服を買ってやろう。

 駅前のデパートには、衣料品のコーナーがあり、子供用の服も売っている。


「いいよ、これで。まだ着られるし……」

「そうはいかないだろ、ほら、シャツもスカートもほつれてきてるだろ。それに靴下もさ」


 実際古くなってきているもの事実だった。

 だが、新しいものをマミに着させてやりたいという気持ちが強かった。

 もっと女の子らしくさせれば、もっときれいになるはずだ。それもマミならなおさらだ。


 躊躇するマミを連れて近所のスーパーの3階の一角の、子供用の洋服コーナーに行く。

 意外に服って高いんだな。

 特に女の子の服。

 いろんな種類があるし、

 タートルを手に取ったら、その値札を見て驚いた。

(ぐ……)

 隣の夫婦が子供と思われる女の子にワンピースを試着させていた。


「わあ、これ良い、パパ買って!」


 柄や模様がさわやかで綺麗だ。

 あれも、よさそうだ。マミに似合いそう。

 俺もこっそり値札を見た。

(ぐは……桁が違うぞ)

 おもわずワンピースを握り締めると視線を感じた。

 店員が、俺を監視するように見ていた。

 俺と眼を合わせると、逸らした。

 だが、一人、いや二人以上。あたりを見回すと俺をチェックしている―

 そりゃそうだ。二十代の男が一人女の子用の服のコーナー。変質者だ。


「よ、清弘。よさそうなのあったか? オレあんまりこういうのわからないからさ」


 渋々だったが、俺の度重なる要請に、くっついてきたマミが、ひょっこり洋服の合間から現れる。

 マミが現れると、店員は、気まずそうに持ち場に戻った。

 効果てき面だな。付き添いの女児がいるってのは。


「いや、俺もさっぱりわかんねえ。それに種類がいっぱいあるんだなあ。どうだ? これなんか?」

「それ高そうだぞ、これでいいと思うんだけど」


 マミの持ってきたものは、Tシャツやズボンといったオーソドックスな物だった。

 それもセール品ばかり。

 なんだか……今までとあんまり変わらない。


「そ、そうだ、下着もどうだ?」

「下着?」

「この際ついでに買っていった方が……」


 あえてマミがいる今買った方がよいと思って自分から切り出す。俺が一人で買いに来たら流石にやばい。


「こういうのは……? 興味あるか?」


 近くにある下着コーナーに寄る。

 どっかのメーカーが作ったブランド品だろうか。豪華に陳列されたものを取って見せた。

 フリフリのフリルのついたジュニアショーツ。


「ば、馬鹿! 何だよ、これ……凄い値段だ」


 怒った声はそれほど大きくないが、子供のキンキン声だから、よく聞こえる。


「パンツに五千円も使う馬鹿がどこにいる!!」

「ま、まあそうだな」


 険しい表情に、しり込みしてしまった……。

 このへんの感覚、二十歳の、それも男の感覚なのか?


「じゃあ……あ、あれでいいよ……」

「なんだよ、あれか?」


 マミが指差したのは、既に放送が終わった少女アニメのキャラがプリントされた女児用ショーツ。

 投売り百円で四枚。

 安いけど、いくらなんでも、あれは……ちょっと子供っぽすぎる。


「こんな可愛い娘、見たこと無いわー」


 レジで会計をしていると、マミが、子供連れのママ達に囲まれていた。


「ねえ、あなたどこの小学校に通ってるの?」


 マミは、少し困った顔を浮かべていた。


「待たせたな、マミ。会計終わったぞ」


 ママや子供たちに割って入ってマミの手を取った。


「あら、この人がパパ? それにしても若いわね」


 ママ達から、怪訝そうな顔をされる。


「きっとお兄さんだって」


 仲には露骨に怪しい視線をぶつけてくる。

 俺とマミは足早に、子供服売り場を後にした。

 正直よそ向けの体面で苦労する。

 まだ俺も大学生だ。

 マミは娘には大きすぎるし、彼女や同棲相手には、小さすぎる。

 とりあえず親戚から遊びに来た従妹、だがいつまでも一緒というのは不自然だろう。

 しかし、マミの心配通り出費がかさんでしまった。 ちょっと反省だ。

 買い物に行くと、もっともっと良い物を買ってやりたいという気になり、

 ついつい財布の紐が緩んでしまう。

 今月はヤバイな、おそらく完全な赤字だ。

 貯金を切り崩さないと……。

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