第19話「それぞれの心」

「よう清久。久しぶり」


 通学の途中でかつての中学のクラスメイトであった別高校の生徒に会った。

 何気ない挨拶と会話のみだったが、ふと真琴から聞いた『ふたば』という少女のことについて質問してみたら、意外なことを知ることができた。


「ああ、聞いたことがあるよ? この街の土着の神様らしいな」

「土着の?」

「……ずっと前にうちのじいちゃんから聞かされた昔話だったかなあ。確か、この土地の神様だ」


 曰く……。

 土地の人にとっては、霊験あらたかな少女の姿をした神で、その少女の神様が出てきて願いを叶える伝承があるらしい。


「そんな有名なんだ」

「有名ってほどでもないさ。俺の家、昔からここに住んでるから、じいちゃんばあちゃんからよく聞かされるんだ」


 僕はただの噂話でないことを身を持って知っている。


「だが、願いをかなえて貰うには、何か代償というか代わりに何か約束をしないといけないらしいんだ」

「何だい? それは?」

「それがよくわからないんだ。聞いたような気もするが、忘れちまったなあ」

「そうか……」

「……ま、でもこんな奇跡を信じている奴は、流石にいないよ」


 あっけらかんと言ってのけた。


「でも清久はいいよなあ」

「え? ……」

「天聖館って女子高だっけか。可愛い子が多いよなあ。なんで、清久は男子なのにそこに通ってるんだ?」

「……」


 その生徒は首をかしげる。が、やはり何も気付かない。


「みんな綺麗な子ばっかりでさ、あの胸にリボンの制服見ると、本当、興奮するぜ」

「そうだな……」


(外から見るとそんなふうに見えているのか)


「本当は清久と代わりたいぐらいだよ」

「ま、まあ。ありがとう、じゃあな」


 別れた後、学校へ向かう階段の道へ歩みを進めた。

 先にはチラホラ天聖館高の制服を着たやつらが見える。

 階段を上りきったところに、校舎が建っていて振り返ると、そこから見える景色がとても良い。

 街が一望できる。

 山なみや麓の街並み。

 この景色、僕は好きだった。


 ガラリと扉を開け、教室に入る。


「お、きたきた」

「噂の本人が来たよ」


 一斉にクラスにいた生徒がこっちに向いた。

 スカートとブラウスを着た生徒達が一斉にこちらを見る。

 やはりいつまでたっても慣れるものではない。

 僕はこの女子生徒たちが、男だった時のことを知っているから。

 こっちに向けられた顔。

 以前の女性恐怖症では、この時点でもう胸が高鳴って緊張が始まった。

 だが――とりあえず深呼吸した。

 椅子に座っている一人がつぶやいた。


「ねえねえ、清久、誰と話してたの?」

「何だ?」

「どっかの男子生徒と電車の中でしゃべってたらしいね~」


(くそ、見られていた……)

 県立天聖第一高はこの近辺では有名な学校の一つ。僕がさっき話した生徒も一高の生徒だ。

 地元で一番良いとされ、一高を落ちて天聖館に来た生徒も多い。コンプレックスを持っているのも多い。純もその一人である。


「別にいいだろ」

「ああ、やっぱり本当だ」

「清久も、うちらが目の前にいるのになあ」


 いつもは嘲笑と無視なのだが、他校、特に一高生の話になると妙にむきになる。


(まったく面倒な奴らだな)


「会ってたとしてもだ、君らには何の関係もないし、僕の自由だ」


 一瞬黙った。僕から思わず強い反論を受けたので戸惑ったようだ。

 だが、それが気に食わなかったのか――より一層絡んできた。


「清久ってさ~もう女の子には興味失ったの? ごめんね、うちらやりすぎちゃったみたいで」


 一人が近付いてきた。このシチュエーション、僕にとっては、しばらくぶりで懐かしく感じた。ここのところ真琴のガードがあって手出しができなかったのだ。


「また清久に見せてあげようか? 女の良さを教えてあげるよ」


 机の上に脚を組んで座ってた一人がスカートの先を摘む。


「いいよ別に」

「またまた~見たいんでしょ? 男の心なんてあたしたちはお見通し――」

「いいや、お前らなんか興味ない」

「は?何?」


 固まったそいつの体。


「興味ないっていったんだよ。どうせやるんなら、徹底的にやればいいだろ。中途半端じゃなくてさ」


 女として生を受けた者、あるいは男の娘と呼ばれる子たち。

 どれだけ頑張って女をやっているか。

 その覚悟が、この女子たちにはまだ無い。

 男として生まれて育って、ある日突然女になった。

 それが例え美少女でも。

 見方によっては両方を経験しているので、それはそれで優位なことなのかもしれないが――あえてそこをあげつらった。


「な…なにを言って……清久」


 浮かべていた余裕の笑みがみるみる消えていくのがわかった。


「僕から言わせてもらうと、まだまだだな。昨日今日なったばっかりで浮かれているお前らは覚悟がまだない」


 唯一の男である僕の立場を最大限利用させてもらった。

 クラス中がこの爆弾発言に、ざわざわと反応している。


「あたしたちが覚悟って……」


 とくに目の前の女はスタイルの良い体が、プルプル震えている。

 怒っている。

 怒っているということは、僕の言ったことに少しは同意している表れである。


「お、でも言葉遣いは様になってるよな」


 実際こんなに短期に女言葉を恥ずかしげもなく使うようになるとは僕も思わなかった。環境のせいなのだろう。


「……」


 急に教室が静かになってしまった。

 そしてちょうどその時ガラリと戸が開いて、生徒が入ってきた。

 真琴だった。

 走ってきたせいか、髪がやや乱れ気味だ。


「おはよう、清久」

「おう、おはよう。いや、間に合った」


 どことなく疲れた表情だ。


「ちょっと、真琴、何また遅れてきてんの――」

「学校に恥さらすのはいい加減にしなさいよ」

「まったく女子になりきれないなら、女やめちゃえば?」


 遅れてきた真琴に非難が集中した。

 さっきの僕とのやりとりで溜まった鬱憤を晴らそうとしていた。


「ゴメンゴメン、ちょっと寝坊しちゃったよ」


 突然真琴が声のトーンを変える。


「う、ま、まあ遅刻じゃないからしょうがないんだけど……」


 その甘えるような声を聞いてあっさり引き下がってしまった。

(悪魔の声だ……)

 そのまま清久のとなりに鞄を投げ出し、ドサッと座る。相変わらず仕草はどっかのオヤジのままだな。


「なんかあったのか?」


 真琴も雰囲気を察したようだ。静かになっている教室を見回した。






 学校の帰り道、真琴が笑う。


「あはは、そうか。朝からそんなことがなあ。それであいつらあんなに機嫌が悪かったのか」


 オレもその場に参加したかったといいたげだった。


「あいつらの弱点がわかったような気がするよ。どんなに最高の体でも、あいつらはこれまで培ってきた裏づけがないんだ」


 だから時としてそれがコンプレックスとなる。

 実際には覚悟だなんだははったりなんだが、あっけなく冷静さを欠いてしまっていた。

(僕だって別に男の覚悟なんてないんだがな……)


「厳しいな……オレだって覚悟が無いよな」

「あ、悪い。そんなつもりじゃ……本心ではそうは思ってないよ」


 真琴に頭を軽く下げる。結局真琴はまだ男言葉を使っている。


「いや、清久の言うのは事実だよ。この姿のままでいるなら、腹をくくらないとな」


 少し真琴が目を伏せた。

『少女』とやらに与えられた姿を、無抵抗にみんな受け入れている。

 親に従う雛鳥のように。

 真琴ですら、疑問をほのめかす事はあるが、実際に行動するわけではない。

 その意味では真琴も「向こう側」の人間ではある。

 でも、真琴がいなければ、自分はどうなっていたか、と思う。

 このおかしな異変のせいで自分自身を保てなくなっていた。

 でも今はもう違う。

 いつの間にか僕と真琴は、共に過ごす時間が多くなっていた。

 女性恐怖症も治りつつあるようだ。特に真琴には普通に接することができるようになった。会話も交わせて、自然に自分の気持ちを言える。

(ありがとう、真琴。こんな僕のために力を尽くしてくれて)

 そして、これはまだ言えないことではあるが、ここ最近、真琴と接する時に、変な気持ちになるようになった。。

 実際今も並んで歩いていて、恐怖症とは別に胸がドキドキする。

 真琴が僕に笑いかけたとき。見つめられ目をそらしたとき。何気ない仕草が――。

 僕の中でいつのまにかその存在は大きくなっている。

 

「そうだ、真琴って携帯とかスマホはあるのかい?」


 話題を変えて真琴に聞いてみたかったことを聞いてみた。


「オレ、携帯持ってないよ」


 言われてみれば、真琴が使っているところをみたことが無い。


「あ……そうなんだ。珍しいな、……僕も前はそうだったんだけどな」

「そうか、一緒だったんだな。でももう買ってるんだよなあ。スマホ無い仲間が減っちまったな」


 真琴が笑った。なぜか自慢する話でもないが、共通しているところができたことに嬉しさを感じた。

 今時珍しい。スマホを持っていないだけでも、珍しいのに携帯そのものを持っていない。


「別に必要ないだろ、毎日学校で顔を合わせるんだし」


 まったく臆するところがないのは、いかにも真琴らしかった。


「ところでなあ、清久。今度の日曜空いてるか?」


 今度は真琴の方から話題を振ってきた。


「ああ、空いてるけど」

「じゃあ、二人で一緒に行かないか?」

「えっ!?」


 大きく、ドキンと胸が鳴った。

 突然の真琴の提案に、面食らった。

 ま、まさか……で、デー……映画? 遊園地? そんな言葉が頭を駆け巡る。


「ど、どこに!?」

「図書館だよ、市の図書館。今探している本があるんだけどさ」

「あ……」

「この間言っただろ? うちの学校の図書室、しょぼくてあんまり手がかりが少なくてさ」


(そういえば……)

 思い出した。

 この間の純と真琴がいっぺんに僕のうちにやってきた時のことだ。

 真琴が『母さん』と呼ぶふたばという少女の話をしてくれたとき、僕が喜んでお礼をいった。

 そしたら真琴が、『よし、もっと調べてこの異変の原因についても解き明かそう』と気勢を張ったのだ。

 それ以来、真琴は、放課後に図書室に頻繁に行くようになった。

 本や記録、新聞記事。


「あ、そうそう。今日さ、中学の同級生と話して『ふたば』って子の新しい情報が入ったんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。この先の公園で話を聞こう」


 真琴は慌ててノートと鉛筆を取り出す。


「それなら、この先のファミレスに入らないか?  結構じっくり話せると思うけど」

「そうだな、その方がいいな。そうするか」


 嬉しそうに笑った真琴の顔が胸に焼きついた。だが――。

 確かに真琴が、自身に起ったことを話してくれたのは嬉しかった。

 真琴が真相を話してくれて、やっと救われた気がした。

 一方で僕にとっては、異変のことは、もう小さくなりつつあった。

 もう時計の針は、戻らないことを確信し始めていた。

 正反対に僕の中で、大きくなりつつあるのは、真琴そのものだった。

(僕は……真琴が……いや、やめておこう)

 またこの穏やかな時間を壊したくもなかった。

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