第18話「融和」

 再び部屋は僕と真琴の二人に戻った。

 ようやく落ち着いて話せる環境にはなった。

 それに真琴の告白に僕自身も刺激を受けた。あれこれ下らないことに、こだわっている場合じゃない。


「な、なあ、真琴。純のことは悪く思わないで欲しいんだ」


 一応純のことも弁明しておく。


「ああ別に何も思ってないよ」

「あんなおかしなことを言う奴じゃなかったんけど……。ただ舞上がってるだけだと思うんだ」

「舞上がってるって何だ?」

「僕の推測だけどさ、純は自由に解放されたいって願望ってのがあったと思う。女になったことは純にとってはその願望が叶えられたってことなんだ。それであんなふうにタガが外れたんだろう。元々潜在的な女性化願望があったのかもしれない」

「へえ。女性化願望ねえ……オレは姉貴で女の良い部分も悪い部分とか見てきたから、そうでもなかったんだがな」

「いや、直接な願望じゃなくて……なんつーか、今の自分をやめたいって感じかな? ほら、こっち来なよ。純の家がみえる――」


 窓のカーテンを開けて真琴をこっち来い、と誘った。

 山の麓沿いで、なだらかに街並みが望めて結構景色が良い。

 そして少し離れた一軒の馬鹿でかい家を指す。

 周囲からも際立ってて目立つ。

 和風の作りの古めかしい屋敷。門だけで普通の家より大きかった。相当広いし、相当大きい。


「マジか」


 果たして真琴も感嘆の声を漏らす。


「ああ、あそこが純の家だよ。あれを見ると、わかるだろう?」

「そうだな、資産家って奴か」

「そう思うだろう? だけど純の家は、目茶目茶厳格な家でさ、しかも純は長男でさ、後継ぎとして厳しく育てられたんだ」


 小さい頃からろくに外で遊ぶことも出来ず、おもちゃやらも何も買ってもらえない教育家庭で、とにかく厳しい教育の日々だったことを話す。

 子供の頃から、純から嘆きを聞かされたことも教えた。

 そして小学校から中学にかけては猛烈に塾通いして夜遅くまで勉強、勉強。ろくに友達と遊ばずに。

 でも受験に失敗して、結局天聖館高校にきた。


「何だ、てっきり幼馴染っていうからお前も純も一緒に受けたのかと思ったよ」

「そんときは男同士だよ。カップルじゃあるまいし流石にそんなわけないって。ともかくその頃の純は失意と劣等感でボロボロだったんだ」

「ついさっきまで選ばれただの、世界を変えるだの言ってた奴とは思えないな」

「元気なあいつを見てると、むしろ良かったかもしれないな。あいつはあれで幸せなんだ」

「……優しいな、お前は」


 真琴は、理解したとばかりにふんふんと腕を組んで頷いた。


「清久には清久の主張だってあるだろうに……」

「僕は別にいいよ。どうなるものでもないだろうし」


 ボクがため息交じりに返事をしたら、真琴はかえって真剣な目になった。


「いいや、清久、一つ聞かせてくれよ」

「なんだい?」

「もしなれるならオレたちのようになりたいか?」

「え? 真琴みたいにか?」

「そうだ、男のお前が女になるってのはどうだ?」

「……そうだな」

「別に痛いことはなかったぞ。本当にすぐに終わるから」


 真琴が体験したという神秘的な体験。母の胎内で自分の新たな身体が形作られていく感覚を、今も真琴は忘れられないという。


「きっと清久も理想を叶えてくれるぞ」


 真琴は立ち上がり、自分の体をわざと誇示するように腕を組んだ。そして一回転する。

 制服の胸元のリボンが揺れ、スカートが少しだけまくれあがる。

 胸を押し上げる膨らみのラインが出ている。

 既にこの制服の格好も、女になりたてのころは新鮮味もあったが、今ではずっと昔からしているように真琴にとっては当たり前に慣れてしまったという

 

「な、なんだよ真琴、純みたいに迫ってきやがって……」


 露骨に誘惑はしてないが、僕の体は熱くなっていた。

 真琴は黙って僕が口を開くのを待つ。答えなければいけない。


「正直凄いと思うよ。実際、凄い力を得られるのなら……たとえ性別が変わったとしても……悪くないかもと思ったりもしてたよ。でも……今は違う」

「今は違う? 何が?」


 真琴は聞きたいという興味深々の表情だ。


「真琴たちを見てると、引っかかるものがあってさ、成れといわれても、頷けない」

「そうか……理由は?」


 僕は感じ取っていた。真琴たち天聖館高校生徒のおかしさに。

 言うのを戸惑った。

 だが、真琴は僕をじっと見つめる。

 そんなにみつめんなよ、と心で呟き視線をずらしたが、真琴はずらさない。

 真琴はなおも、真剣な表情だ。

 清久。オレを信頼してしゃべってくれ。オレは何をお前が言おうが受け止めるから。

 真琴の目を見るとそんなふうに、言ってるように思えた。

 僕はその訴えを受け止めることにした。


「そ、その何かに囚われているように感じたんだ」

「囚われている?」

「真琴たちは、何か強大な意志のようなものに縛られているように……。そう感じていたけど、ようやくその正体が、さっきわかったよ」

「流石だな。そこに気付いているのなら、清久はもう安心だ」


 真琴は僕の体から少し離れて床に座る。

 中まで見えてしまいそうなのか、何度か足を組み直す。スカートで座るのは不便そうだ。

 僕はベッドに腰かけたままにした。


「微妙に……妙に皆仲良し同志になったり、全体的に行儀がよくなったし……みんな変わったよ。真琴だけじゃなくてさ」

「やっぱり、そう見えたか」


 この体を貰った代償に、その少女の意志に捕らわれていることを真琴は吐露する。


「純たち、あいつらのようになるつもりはない……でもさ、オレも今は元に戻るって感情もないんだ」

 

 真琴は吐露する。

 理想の身体と『あの少女の意志』に心が引きずられていくのを真琴は感じているという。

 徐々に自分が変わっていく。

 自分が男言葉を使っていること、仕草をすることに違和感を感じることもある。

 道のショーウインドウに足を止める。

 もっともっと綺麗になりたい。いろんなものを着てみたい、身に着けたい。

 ふとガラスや鏡を見て容姿を整えている自分が居る。自分がどう見られているか、そんなことが気になる。

―そんな欲求が湧き上がってくることがある。

 女の本能というやつだろうか? それとも環境が変化したから? あの少女、双葉の意志? 真琴は悩んでいる。

 逆らう感情が沸き起こらない。ただ身を任せるだけ。

 男としての意識は、このまま消えていくのだろうか?

 言葉遣いが男っぽいだけ。 

 そんな不安に真琴は苛まれているおだという。


「オレはどうなるんだろう?」


 自分の身に起こるであろう変化に真琴は弱音を吐いた。

 何か言わなければいけないと思った。


「真琴、なんか上手くいえないんだけどさ、僕は、自分の思ったようにやってくし、真琴も自分が思うようにやってく。それでいいんじゃないのかな? それがどういう意味かは自分で決めることだと思う」

「そうか、そうだよな」


 真琴も勇気づけられたみたいだ。表情がぱっと明るくなった。

 あははは――。

 雲が晴れたように真琴は笑った。

 つられて僕も笑った。


「でも……純の奴。自分より上だと感じた相手には猫のように従順になるのは、あいつの悪い癖なんだよなあ。あんなところもやっぱり昔からのあいつだよ」

「なんだよ、昔からああだったのかよ」


 真琴は吹き出した。


「それから、純は、もう1つ悪い癖があるんだ。あいつは、欲張りなんだ」

「へえ、欲張り? 金持ちなのにか?」

「物欲じゃなくて、心、かな? 受験に失敗したのも、それが原因でさ」


 ボクは昔のことをまた真琴に話すことにした。

 純は受験をするとき、この近辺の名門、進学校と呼ばれるあらゆる学校を受けまくった。

 幼い頃からの勉強の日々の成果を今こそ出そう、見せようと焦った。

 その時さりげなく忠告した。

 本当に入りたい学校は、どこなんだ? と。だけど明確に答えられなかった。「全部合格するんだ」と息巻くばかり。

 いくつも学校を受験しまくって、個々の学校の傾向と対策が疎かになり、結局希望したところは皆不合格。

 だから、この天聖館高校に来た。このどっから見てもごく平均で普通の学校に。


「欲しいと思ったものを全て手に入れようとして結局全て失う。純は……あいつは、それを繰り返してきた。だから、不安なんだ。あいつ、女になってもまた同じ失敗をしないか……。あの時も『本当に大切な物を1つだけ、離さなければいいんだ』って言ったんだが……」

「本当に大切なもの、か……」


 ボクの言葉は、何故か心に染みるように真琴の心に残ったようだ。


「ったく、なんだよ。清久のほうが辛い目にあっているのに…偉そうにものをいっているがオレのほうがまったく弱いじゃないか」

「お、おおげさだよ」


 褒められるとかえって恥ずかしい。

 

「まあ謙遜すんなって。清久、お前は強い」


 その日――真琴と僕は語り合った。

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