第15話「ある幼馴染の想い」

 その日、始業のチャイムが二年F組の教室にも鳴り響いた。

 生真面目で知られる純は、静かに一時間目の授業に使う教科書とノートも既に準備完了して着席。

 まだ、会話を止めないクラスメイトもちらほらもいる。

 教室は緩んだ空気に遭った。


 女の子の声したのはそんなときだった。


「ねえ、お兄ちゃんたち、遊ぼうよ」


 朝の教室に響いた幼い声に、注目が集まった。

 何故か女の子が教室にいた。

 年齢は九歳か十歳。

 黒髪のおかっぱ頭で、赤い生地の和服に草履を履いている。

 不思議な子だ。今時街でも見ないような古風な格好をしている。

 だがとても可愛い女の子だった。

(まるで日本人形みたいだ)

 純は思った。

 周囲にも綺麗な子だねという声がする。

 成績のこと以外には、あまり興味を示さない純もこの時は、その得体の知れない少女に注目した。

 この近辺は小学校や幼稚園と言った施設もないしあまり子供はいない。


「この子、誰か知ってるか?」


 皆顔を見合わせた。

 教室に起きた非日常への戸惑いと、興味が湧きおこる。


「そうだな……」


 そう言って席を立ったのは、皆川玉樹。

 皆川は、生徒会長だ。

 流石、こういう時に解決をかってでる。


「君、どこから来たの? お父さんとお母さんはどこにいるの?」


 しゃがんで、同じ目線で皆川は問いかけたが、少女は首を振って答えない。


「君、名前は?」

「あたし、双葉――」


 ようやく返事をした。


「ふうん、ふたばちゃんって言うんだ」

「おい、職員室に連れてったら?」


 このままいても、埒が明かない。

 皆川は、連れていこうと、手を引っ張った。


「ねえ、遊んでよ」


 嫌がるそぶりをする。

 やれやれ、と首を振った。


「これから授業が始まるんだよ。勉強しないといけないんだよ」

「いや、遊びたい」


 駄々をこねる少女にクスクス……という笑いが教室内に起こった。

 様子が可愛いかったのだ。


「やれやれ、後で遊んであげるからいうことを聞いてくれ」


 皆川は諭すように少女に答えた。

 それは明らかな方便だった。連れてった後、授業を受けなければいけない生徒たちには遊ぶ時間はない。


「本当?」


 だが、少女は皆川の答えに、パッと目を輝かせた。


「そうそう、俺たち皆で遊んであげるよ」


 誰かが続けた。少女が喜んだので、ちょっと調子にのって答えた。


「嬉しいっ」


 少女が、皆川に抱きついた。


「お、おい」

「ありがとう、お兄ちゃん達――」


 少女は、皆川をさらに強く抱きしめた。

 教室に、苦笑いが怒った。

 だが、笑いの次の瞬間、皆、凍るような息を飲み込んだ。

 少女に抱きしめられた、皆川の体が、突然崩れ始めた。

 まるで蝋人形が、溶けていくように、ドロドロと――アニメやCGでも見ているかのように、皆川君が溶けた。


「み、皆川!」


 悲鳴が周囲から上がったが、少女に抱きしめられたまま、皆川の体は、目も鼻も溶け出して、顔も手も足も形がなくなり、やがて終いには、着ている学生服やズボンの穴からも溶け出し、ぺしゃんこになった。

 溶け出した蝋が床に水溜りのように広がって、皆川は影も形も無くなった。


「ぎゃあああ!」

「化け物だ!」


 教室に悲鳴が沸きあがった。


「た、助けてっ」


 嫌だ。死にたくない。

 純だけの声が教室に響いた。

 今教室に残っている生徒は純一人。

 少女に捕まると体が溶けて消える。

 一人ずつ一人ずつ、少女によって蝋にされていった。

 悲鳴とともに、クラスメイトたちは消えていった。

 いくつも床に広がる蝋の残骸は、生徒一人一人の残骸。

 主を失い抜け殻になった制服が人数分だけ散らばっている。

 教室は扉も、窓も、結界のように堅く閉じられていて、びくともしなかった。

 完全に逃げ場が無く、なす統べもなく少女の手にかかっていった。

 最後の一人となった純は教室の隅に追いやられるように座り込んだ。


「あ、あ……」


 少女は最後の純に目を向けた。


「嫌だ、こんなの――」


 記憶が走馬灯のように蘇った。

 周りに馬鹿にされて――

 勉強頑張ったのに。

 厳格な親の言うとおりに、長男だからって、厳しい勉強を申し付けられて、受験も頑張ったのに――。

 何一つ上手くいかなかった。

 中学受験、高校受験にも失敗。

 でも挽回を狙って今日まで頑張った。

 短くて失敗だらけの生涯で、終わるのか――。

 純の目から涙が溢れ出た。


「助けて、誰か――」


 へたり込んで目をつぶった。


「純ちゃん、怖がらないで」


 少女が耳元でつぶやいた。


「ひっ」


 そして、少女はそっと純の頬を流れる涙を拭った。

 そして……。


「純ちゃん。泣かないで」

「なんで、名前を知って……?」

「辛かったの? 苦しかったの? 勉強、厳しい人たち。なんで自分ばかり。失敗を馬鹿にする人たち」


 ゆっくりと目を開けると、少女の顔が目の前にあった。

 純をじっと見つめていた。

 少女の瞳を見た。なんて綺麗な目。

 どこまでも澄んでいる。

 邪悪な感じが無かった。悪魔ならこんなに美しくないと思った。


「もっと自分を見て欲しいの? 自分を大切にして欲しいの? 自分を好きになって欲しいの?」


 はっとしたのは、自分の心の願望を言い当てられたような気がしたからだ。

 瞳を見つめているうちに、やがて、恐怖心が薄らいでいく。

 不思議だ……。

 ゆっくり頷いた。


「思い浮かべて。楽しい夢を――純ちゃんの希望を――」


 少女に体を抱きしめられた。

 次の瞬間、体の境界がなくなるのがわかった。

 感覚が無くなっていく。視覚も、嗅覚も、触覚も、音も――

 自分と形を失っていく。無になっていく。

 でも恐怖を感じなかった。

 なんだか、元にいたところに帰っていくように思えたから。

 生まれる前に帰っていく。

 自分の身体が溶けていく。

 心地よい感覚に何もかもが溶けていく。

 男の子の時の暗い思い出。

 塾通い。成績。将来。親の期待。受験に失敗した。挫折。

 好きな子。いたけど何もできずに終わった。

 でも、もう今はもうどうでもいい。

 何故なら、男の自分の体はもうなくなってしまったから。

 暗闇の中から目の前に映し出されたのは、ある光景だった。

(ここはどこ?)

 純は心の中で呟いた。

 山の中の神社の境内。

 童歌が聞こえる。遊ぶ少女たち。ずっといつまでも、いつまでも遊んでいる。

 楽しそうに、屈託無く。

 かくれんぼ? 手鞠?

 なんだか羨ましい。

 無邪気に遊べる少女がなんだか羨ましい。

 少女たちがこっちへおいで、と手を振った。

 こっちへおいで、純、純ちゃん。

 誘われる。

 うん、そっちへ行くよ。少女たちの輪の中に入りたくなった。

 遊びたい。

 自分も仲間に入れて。

 不意に光景が途切れ暗闇に戻る。

 だけど、恐怖は無い。

 暖かい何かに包まれていから――

 ここはどこか知っている場所。

 遠い昔、一度ここにいたから。

 お母さんのお腹の中だ。

 そうか、もう一度お腹に戻って生まれ直すんだ――。

 何もかも……溶けていった。


 そして新しい自分。何になろうか?

 もう苦しみたくない。

 あんまり大きい体じゃないほうがいい。

 周りから子供のように可愛がられるような子がいい。

 (あれ?)

 そう思うと、胸に脂肪がつき、乳房が発達してゆく。成長した女の子の胸になる。

 最後に乳首がぷくっと膨らんだ。

 あ……。

(女の子になっている?)

 股間もこれまでお腹の中にいろいろなものが出来てゆく。

 子宮? 卵巣?

 股間にくいっと小さな溝ができた。

(んん……)

 括れた腰。小さく可愛いお尻――。細く小さな手足。

 まるで子供みたい。

 さらさらと伸びる髪の毛は、二つのおさげとなり、ツインテールに変わる。

 面白い。顔の形からつま先まで、想像するたびに体が思ったとおりにできてゆく。

 これが――自分の新しい体だ。

 楽しみ。早く生まれたい。


「純ちゃん、目を開けて」


 頭をそっと撫でられた。

 純が目を開けると、優しく包んでくれるあの少女がいた。

 清清しかった。


「みて、今日からあなたは女の子」


 裸のままの体をみると、本当に女の子の体だった。


「純ちゃんは、もう自由よ。楽しく女の子の生活を楽しみなさい」

「うう……」


 また涙が出てきた。


「どうしたの?純ちゃん、泣き出しちゃって。怖いの?」

「ううん、……違う……」


 今の涙は安堵と生まれ変わった歓喜から来るもの。

(明日からの服はどうしようか? 制服はどうなるんだろう?)

 早くも新しい人生に期待と不安が膨らむ。


 意識が戻り純が教室に戻ると女子になったみんなが待っていた。純が最後だった。


「わ、純。すっごい、小さくてかわいいな~、そっちの人が喜びそう」


 みんなも十分可愛い。

 新しい体を見せあいっこした。

 滑らかに変わった顔立ち、みずみずしい肌。綺麗な形の胸の膨らみ。

 一様に美しいが、人それぞれ違う。

 ふと純は、今頃、清久はどうしただろうかと思う。同じ小学校、同じ中学、同じ高校をでた幼馴染。

 きっと今頃清久も『母さん』の手で生まれ変わってるのだろう。どんな子になってるかな?

 後でA組に行ってみよう。


   ☆   ☆   ☆


 清久はあの日、休んでいた。そして、女子にはなっていなかった。


 純は教室の窓から雨の降りしきる外を眺めた。学校は山の麓に位置しているので、街に雨が降り注ぐ様子が一望できる。

 あの日からまだ三ヶ月。

 けれども校内の雰囲気はすっかり様変わりしていた。

 服装も言葉遣いも、遊び方も。女子としての素養はかなり身についてきた。

 皆それぞれの理想の体を貰ったから、毎日が楽しくてしょうがない。

 男も女もできないような楽しみをしなければ損というもの。校内も以前と比べて活気に満ちている。


「純ちゃん、この間の子、マジ良かったよ、どうやってあんな初心な子を連れてきたのさ」


 クラスメイトが話しかけてきた。密かに天聖館高校で結成された非公式クラブ活動「楽園倶楽部」のメンバーたちである。まだ十分に女子を楽しんでいない生徒に、心身共に楽しみを教えるというクラブであった。どんなことをしているかは察しのとおり。


「純ちゃんってかわいい子をそそのかすのが本当に上手ね」

「うふふ、これでまた一人わたしたちの楽園に仲間が増えたわ。またよろしくね、純」


 窓の外に向けていた視線を教室に戻した。良からぬ少女たちが蠢いている。 


「それなんだけどね……もう次の候補の子がいるのよ」

「え? もう次がいるの? 流石純!」

「次は、まだ男言葉使ってるA組の子を連れてこようと思うんだけど――」


 次にこの宴の部屋に連れてくるのは当然あの清久につきまとう悪い虫。真琴とかいう勘違い女だと純は決めていた。


「どうも、その子母さんの悪口をいったこともあるらしいのよ」


 真琴が悪魔呼ばわりしたという噂を純も聞いていた。利用しない手はなかった。


「え? ほんと?」

「許せない! うちの生徒のくせに『母さん』を悪く言うなんて」

「そんな奴、裏切り者だわ」


 口々に真琴の奴を悪し様に罵り始めた。今この学校では、あの異変のきっかけとなった不思議な少女通称『母さん』の悪口は禁句。

 教師の悪口より、実の両親よりも、重い。


「ねえ、そんなに悪く言わないで、きっと何か勘違いしてるだけなのよ。むしろその子をあたし達の楽園倶楽部にご招待したいの」

「純ちゃんって優しい~」

「むしろそういう子ほど目覚めさせると、凄いのよね~」

「早くその真琴って奴を連れてきてよ~もう無茶苦茶にしてやりたいわ」


(ふふ、これであの真琴とかいう奴の運命は決まったも同然――)

 手荒なやり方だが、早いとこ女に目覚めさせてあげたほうが幸せだと純は確信している。

 懸案が片付いて一息ついたところで、次の解決すべき問題を考えた。

(次は、清久)

 早くこっちへ来ないと、今度こそ清久は取り残される。

 真琴なんて奴を相手している場合じゃない。

 清久は今からかうのにも飽きられて、A組のクラスでも相手にされなくなってると純は聞いた。


「みんな清久がいてもお構いなし。普通にスキンシップしてるよ」


 教室でキスもするし、抱き合ったり揉み合ったりしてるんだって。

 一方の清久は、石のような存在らしい。それもこれも清久が変わらないままだからだ。このままではいけないと思う。


「でも――最近は真琴がいつも一緒にいるね」


 A組の生徒が最後の言った言葉に純の体が固まった。


「え? 真琴のこと、知ってるの?」

「うん、あたし知ってるよ。去年クラス一緒だったし、今日も清久って子と、一緒に帰ってたよ……う……どうしたの?」

「続けて、その……真琴がどうしたの?」

「か、顔が怖いよ……」


(しまった)

 顔に出てしまっていたらしい。


「あはははは、純の怒った顔って怖いけど、それがまた可愛いんだよね~」

「ちょっと~からかわないでよ、みんな」


 笑って誤魔化したが、焦りを消すことはできない。

(全く何を考えてるんだか。清久。その真琴とかいう女はあなたを惑わしている悪い奴なんだよ? 一緒にいては駄目なの)

 その子は何もわかってない。清久をこちらに取り戻さねば。

 そうだ、清久の家で直接二人で話そう。

 そうすればあたしに対する誤解が解けるはず。

 ポケットからスマホを取り出して連絡をしようとしたが、電源が入っていないのか、つながらなかった。

(もう……返事くらいしてよ)

 メールやメッセージに書き込もうかと思ったけれど、直接乗り込むしかないと決めた。

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