第8話「新しい身体に」

 これまた唐突に現れた幼い少女は微笑む。

(誰だ? みたことない子なのに……なんでこんなに優しげなんだろう)


「そう……だけど……」


 とても愛らしい女の子ではあるのだが、まだ場違いだ


「君、こんなところでどうしたんだい?」


 俺は特別子供好きではない。けれども何故かこの子には優しく丁寧にしなければいけないような気がした。

 この子には何故だか、神聖な厳かな雰囲気も併せ持っている。


「真琴かあ。ちょうどいいねっ、女の子でも十分通用する名前ね」

「は?」


 まあたまに言われる話だ。俺の名前、男か女かよくわからないと。

 一々子供に言われて目くじらは立てない。


「それはいいだろ、それより、どうしたの? 君はどこの子なんだい」


 どこかに両親でもいるんだろうか。


「あたし? あたしはふたば」


 名前を元気にはきはき答えてくれた。

 そっか、ふたばって名前なのか。大事なことは堪えてくれない。


「そ、そうかい、何故ふたばはこんなところにいるんだ?」

 

 もう一度同じ質問を投げてみた。


「わたしのことはどうでもいいの。 わたしは真琴君のことをもっと知りたいんだ。力になりたいの」


 思わずの中で突っ込んだが、普通の会話はこの子に通じそうも無い。


「俺の? 一体何を知りたいんだい?」

「あなたに、ほんとのあなたになって欲しいの」


 君付けで呼ばれていることに不満を感じたが、なぜか気が飲まれて言い返せなかった。


「もちろんタダでとはいわないよ。お望みの姿にしてあげる」


 俺を体中、値踏みのごとく頭から足まで嘗め回すように見る。

(何故だ? もの凄い威圧感を感じる)

 小さな女の子に見られているだけなのに、脚が震える。体だけじゃなくて心も見られてるような感覚を覚える。神様に覗かれているような気すらする。


「の、望みって……君は一体……」


 ようやく、教室から出ていった他の生徒が帰ってこない理由に思い至った。

 ひょっとしてこの子が原因なのかも――。

 疑い始めた刹那、少女の精神攻撃が始まった。


「だから、早く望みを言って頂戴。マミちゃんから聞いてるし」


 なんでそこで姉の名前が出たのか、よくわからない。


「マミ姉が? 何で君がマミ姉のことを……」

「よく知ってるよ、だってあたしの大事な……おにん……う、だから」


 少女は新しい質問をしてきた。


「真琴君って、昔から体弱かったんだよね。喘息、アレルギー、貧血。小さい頃からいろんな病気にかかってた。お姉ちゃんに看病してもらって、助けて貰ったのね」

「な、なんでそれを知って……」

「そのおかげで、小学校の頃から、おとなしい、暗いとか馬鹿にされたり……だから、強い体に憧れている。もうお姉ちゃんにも迷惑かけなくて済むから――」


 少女のささやきはそのとおりだった。俺は昔は虚弱で色んな病気にかかった。あまり活発なことができなかった。

 その頃は、よく周りから、仲間はずれにされたりした苦い思い出だ。

(なんでこの子が知っているんだ?)


「新しい体は、どんな病気も負けない強い体でいいかな?」

「あ……」


 少女が心を読んでいる。俺のコンプレックスまで――。


「でもそんなことで望みの身体なんて……」

「いいえ、『そんなこと』ではないわ。真琴君はこれまでも、そしてこれからも苦しむのよ」


 女の子は口元に指をあて、宙を見つめる。まる人の心の中を読み取るように探っている。


「そう、こんなこともあったっけ」

「や、やめ……」

「かけっこで一番遅いと馬鹿にされた――」


 ふいに脳裏に、幼い頃運動会で圧倒的にビリでゴールした思い出がフラッシュバックされる。あの日、俺は調子が悪かったんだ。

(やめてくれ、それは思い出したくない)


「よく喧嘩で負けた――」


 昔の頃の記憶が蘇る。

 クラスから浴びた嘲笑――男子からも女子からも。

(頼む、言わないでくれ。それは俺の心の傷なんだ)


「真琴君は悪くないのに、ひ弱な男の子というレッテルを貼られて辛い目をみてきた。でも当然よね。男の子は強くなくちゃいけない――みんなそう考えているから」


 自分は悪くない。好きで虚弱に生まれたわけではない。

 でも男はそうでなければならないから、と苦しんだ。

 少女に心の奥底まで踏み込まれ、心は過去の辛い出来事で一杯になる。

 正常な思考ができない。

 俺の心は、少女の手の平の上で弄ばれていた。

 気付くと床に膝をついていた。


「でも真琴君は、今日その苦しみから解放されるのよ。ずっと苦しんできた――。もし強い体を手に入れられたら。確かにそれは真琴の願いだった。みんなを見返してやりなさい。あなたをいじめた男の子、馬鹿にした女の子達」


 あいつらを見返してやりたい、どんなに気持ちが晴れるだろう――。心は、そんな欲求に染められてゆく。

 少女は俺に顔を近づける。


「欲しいでしょ? 強い体、強い魂――………………………………………………………………そして美しい女の子に」


 そして俺は最後まで言い終わらないうちに……つられて首を縦に振ってしまた。

 少女が満足そうに笑う。

(え? 最後の言葉……?)


「あなたには、男の子を夢中にさせて、女の子を羨望させる美しさをあげるわ。だって真琴君は今日から、女の子だから」 


 そして――その目が赤く光る。


「すぐに終わるから、我慢して。真琴君」


(ああ……誘惑につけこまれた、それにやっぱりこいつ……少女なんかじゃない)

―この子は神か? 悪魔か?―

(俺は何をされるんだ?)

 だが、もう遅い。心の中のスイッチを押してしまった。


「その体、今から作り直すから、少しじっとしててね」


 言われずとも俺の体はピクリとも動かなくなっていた。声も出せない。この子と契約を交わしてしまったのだ。

(あ、あ)

 体が溶けていく――。

 ドロドロと、頭も胸も、手も足も――

 蝋のように溶けて形をとどめなくなって行く。

 次第に視界がぼやける。

 手も足も体中の感覚が無くなる。

 無に帰っていく。


 やがて五感すべてがなくなり、あるのはオレ自身の意識だけになる。

 自分の体がなくなった―

 漆黒の闇の世界。。

 何も見えない。

(オレは生きているのか? それとも死んでいるのか―ここはどこだ?)

 体の感覚が微かに――戻ってくる。

 真の意識は水の中を漂っていた。

 暖かかった。とても心地よい。水の中なのに苦しくないのだ。

(なんだろう…不思議な感覚。懐かしい―)

(そうだ、この感覚を覚えている)

(きっと生まれる前にいる場所だ)

 目では見えないが物凄い勢いで体が組み立てられている。

 最初は骨。次に脳、神経。

 出来上がった骨格内部に内臓がはめ込まれるように出来ていく。心臓、消化器、肺、血管。そして生殖器。

 それは男性のものではなく女性のものだった。

 卵巣と子宮。生命を宿し、産み落すための器官だ。

(こ、これは……)

 内部の構造が出来ると、その周りに筋肉や脂肪などが覆ってゆく。

 特に胸の辺りはやたらと多めに作られる。乳房だ。ただ脂肪がつくだけでない。その先端部の乳首に乳腺が発達して敏感な感覚を発するようになる。

 お尻も大きくなってゆく。

 そしてー股間は、男性器があったはずの場所になだらかな恥丘ができ、女性のものができる。


 複雑な構造にただ感動で胸がいっぱいになる。

(すげえ……)

 目と鼻と口が出来る。

 どんな顔になってるのだろう?まだこの目で見ることは出来ない。

 もうすぐ体が出来上がる――。

 オレはただ羊水の心地よさに身を任せながら、自分の体の変化を見続けていた。

 いつの間にか、不安や恐怖が心の中から消えていた。

 自分が生まれ変わってゆく。今、それを落ち着いた気持ちで見つめていた。

 声が聞こえる。さっきの少女の声だが、今はまるで母からの声のようにも思えた。

―真琴ちゃんの顔は綺麗で端整な顔立ち。男は一目見ただけで惚れ込んでしまうの。真琴ちゃんがその気になれば相手の心を奪うまで魅了してしまうのよ。でも悪いことには使っちゃだめよ?―

―白くて細い手足と脚は、一見繊細だけど、男に負けない強い力を持ってるわ―

―今日この部屋であったことは学校以外の誰にもしゃべったら駄目よ―

(うん、誰にもしゃべらないよ……母さん)

―いい子ね、真琴ちゃんは―




 もう体は出来上がった。

 これで生まれることが出来る。

 あとは生まれるだけ。

 誰かが呼んでいる。

 蠢きがやってくる。

 まだここにいたいと思う。

 でも、もう生まれなければいけない。もう準備が整ったのだから。

 光が体を包む。外の世界の光がー

 これも覚えている。大昔、生を受けた日。

 オレは――もう一度この世界に生を受けたのだ。


 再び意識を現世界に取り戻す。


「これは……」


 自分の身体を見下ろした。

 少女に変身していた。

 そして何故か胸元に赤いリボンの付いた白いブラウスと紺のプリーツスカートといういかにも女子高生の制服姿になっていた。

 その制服に現れている二つの服らみ――。

 スカートから伸びているのは細く綺麗な脚と小さな足。

 まとわりつくのは黒く長い髪。

 女性になっていた。

 窓に薄っすらと映る自分を見て「これがオレ?」という定番の科白をはいた。

 自分が考えた理想の少女ではなく自分の奥底に眠っていた願望を姿にした姿といった方が正解だった。

 見たこともない美少女がそこにいる。

 見た瞬間、美しくてしばらく見惚れて鏡から動けなかった。さらにそれが自分であることを認識するのにも時間を要した。

 ふと気が付くと、すぐ近くに、他にも先に女子になった生徒たちがいた。


「はあ――ボクって綺麗……」


 皆同じように窓、あるいは鏡に映った自分を見つめ続けている。

 時をため息をつきあがら。鏡から動けなかったのだ。

 帰ってこなかった生徒は皆ここにいたのだ。


「お、お前って真琴か? 姫宮真琴だよな」

「ああ、そうだよ。オレだよ」


 教室に残っている連中を安心させようと戻ったがかえって恐れおののくばかりだった。


「平気だよ、女になってるだけだから」


 スカートを摘んでサービスとばかりに下着まで見せてみた。だが、今回ばかりは普段異性に飢えている男子校生も青ざめた。


「だけじゃねえよ!」

「俺は先週彼女ができたばっかりなんだぞ!」


 ちなみにこの生徒は、周囲から「なんだと?」「抜け駆けしやがって」などど怒りをかいつつ、誰からも惜しまれずに件の少女の下に送り出された。


「俺だって童貞のまま女になってたまるか!」


 と叫んだ奴は、周りに慰められつつ送り出された。

 そして帰ってくると爽やかな顔で美少女となって帰ってくる。

 最初の方に変身してよかったと思った。教室に残された奴らは一人、また一人と消えてゆきさながらホラー映画のような有様だったという。恐怖におののき、最後の方は恐怖の最高潮だったという。あるいはトイレに隠れて引きずりだされたり、逃げ回ったりして、少女にとっつかまったと耳にした。

 かくれんぼの鬼のように鍵のかかっているはずのドアを双葉に開けられた時は失禁してしまったとか。

 学校にいる教師生徒全員が、あの不思議な少女の手によって変身させられた。

 その様子をオレは冷静に眺めていた。


 脳裏によぎったのは、マミ姉はこうなったオレをどうおもうだろうか――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る