314・夢か過去の現か
様々な彩りを見せている花畑を、私はゆっくりと……景色を楽しむように歩いている。
ここが夢だということははっきりとわかっている。
私はディトリアで仕事をした後、アシュルと……ああ、不味い。
少なくとも思い出しただけで恥ずかしくなってきたから、考えるのはやめておこう。
「ティファさまって、結構
なんてアシュルにまで言われる始末の私だけど、そういうことは初めてなんだから仕方がない。
……で、その後は普通に眠っていたはずだから、こんな花畑にいる事自体がそもそもおかしいのだ。
それに……この花畑はなぜか見覚えがある。
かつて、こんな景色を見ていたような……そんな気がする。
少なくとも、ここ最近見た景色ではないはずだ。
リーティアスにも花畑はあるけど、こんな森の中にあるというのは聞いたことがない。
こういうところがあるのはフェアシュリーやフェリアルンデなどの妖精族の国と相場が決まっているのだけれど……こんなところに訪れたことはあっただろうか?
私は疑問に思いながらも、その歩みを止めずに前に進む。
どれだけ進んでいただろうか? やがてそこが終点だというかのように花畑から少し離れた場所に小屋が見えた。
やけにぼろぼろだけど、特に穴が空いているようには見えない。
薄汚いせいでそう見えるだけのようだ。
だけど、この景色のおかげで、私は何の夢を見ているかようやくわかった。
これはちょうど私がティファリスに転生する前の……ローランとして死ぬ間際にいた場所。
そして、今見ているのはその時の光景だということだ。
なるほど、見覚えがなさそうであるわけだ。
私が今の世界に生を受けて、二十年以上は既に過ぎている。
……それなのに少女以上に成長することがないのはもはや愛嬌といったところか。
考えれば、それだけの時が過ぎているのだ。
ある意味うろ覚えになってしまっても仕方がないだろう。
……それにしても、思い出しただけでどこか懐かしさがこみ上げてくる。
決していい思い出はなかったけど、この時がなければ、私はティファリスとして生まれることはなかっただろう。
小屋の方まで近づくと、中に誰かいるようで……それは出来るだけ息を潜めながら咳をしているようだった。その質からして、男性だ。
ならば、ここにいるのはきっと――。
そっと、中のいる彼に気付かれないように扉を開き、侵入したつもりだったのだけれど……。
「……そこに、誰かいるのか?」
流石、容易く見つかってしまった。
さてどうしよう……夢であるならば、彼は私のことを知っているはず。
「私よ」
「……誰かは、知らんが……お前も俺を、殺しに来たか……。
死にかけの人間に……よくやるもんだ」
予想とは違って、粗末なベッドで力なく横たわっている彼は、殺気を放ちながら私に意識を向けている。
だけれど、顔はこっちを向いていない。
全体的に暗い部屋の中、わずかに射す光から、彼の深い青色の髪と柔らかさを帯びた鮮やかな緑色の目はとても綺麗に見えるけど……その輝きに反して、どこか弱々しく感じる。
でも、今にも失いそうなそれは……儚くも意思の強さを確かに宿している。
……やはり、彼はローラン。
転生前の――【
懐かしくも、悲しい記憶が蘇ってくる。
彼のその姿はまるで錆びかけた刃。それでも決してその鋭さは残っていない。
「……ごめんなさい。私は貴方の事を知ってるから、ついね」
ローランは何も言わなかったけど、彼の幾分か和らいでいた。
それでも決して警戒を解いたりせず、不信感を顕わにしている。
今までどんな暮らしをしてきたのか……彼の記憶を持っている私には、その辛さが痛いほどよくわかる。
人を信じたくても信じられなかった。
貴族に国に、良いように使われたからこそ……そういう風になるのも仕方がない。
「そっちに行っていいかしら? 大丈夫、何もしないから」
「……好きにしろ」
ゆっくりと、彼に敵対する意思が無いことを証明するために両手を広げて無害さをアピールしておく。
視線すら向けていないローランにどれだけ伝わるかはわからないけど……しないよりはマシだ。
「なんだ……。
まだ随分と小さい来訪者だな」
「小さいは余計よ」
上から覗き込むように彼の顔を見た私に対し、ぼそっと呟き声が聞こえてきた。
確かに、私は少女の域を抜け出せないどころかど真ん中に留まり続けているような存在だけど、はっきりと『小さい』と言われるのは傷つく。
「全く……そんなぼろぼろな身体で何を言うかと思ったら……」
近づいてよく彼の姿を確認するけど、よく鍛えられた肉体はとても弱っているようには見えない。
それでもローランの目にほとんど光はなく、顔には生気が感じられない。
傍目から見てもちぐはぐに感じるのだけれど……唯一わかるのは、彼はもう長くないということだけだ。
今にも死にそうで……痛いほどに弱々しいその姿は、見ていて胸が締め付けられるくらいだ。
自然と涙が頬を伝う。彼はどれだけ頑張ってこの結末を迎えたのか。
人々の笑顔の為に戦い続けた成れの果てが、咲き乱れる花々に囲まれた寂れた小屋で迎える終焉なのだと思うと……あまりにも悲しすぎるからだ。
「……泣いてるのか? おかしな子だ」
「……誰かの為に流す涙に、おかしいところなんて無いわ」
「そうか……そうだな。俺の、為に涙を流してくれるなんて……」
涙がローランの顔に当たったからか、警戒が解け、不思議そうに私の顔を見上げているどこか幼さを宿した目。
「ああ、これが……誰かの為に流された涙か。
すごく優しくて、温かいな」
「そう……悪い気分ではない、でしょう
?」
「ああ、その通りだな」
先程まであんなに険しい表情で警戒していたのに、今はそれなりに気を許してくれてたようだ。
だけど、ローランは戸惑うような雰囲気も纏っている。
それは恐らく……彼の人生の中で、初めての経験だったからだろう。
互いに言葉も交わさず、無言でどれだけ過ごしていただろうか。
ただそこにいるだけで全てが伝わってくる。
一切の言葉は必要ではなく、まるで互いの気持ちがわかるかのような不思議な時間を過ごしていたけど……その時間にもやがて終わりはくる。
「ははっ、不思議、……な。
まさか……こ、状……なって、しん、ぱい……れる、てな」
ローランの呼吸が少しずつ弱くなっていっている。
私はせめて彼の手を握り、ゆっくりと頭を撫でてあげる。
労るように慈しむように。
「もう、苦しい思いをしなくてもいいの。
ただ、少しだけおやすみなさい。
次に目が覚めた時には……貴方には楽しいことがいっぱい待ってるから」
「たの……し、事……? そ……いい」
「ええ、だから、今はお眠りなさい」
この時、ローランは初めて私の方を見た。
その目に光は無くとも、彼の目は確かに私を捉えている。
なにかに恋い焦がれるような、望んで手を伸ばしても、届かないものを見るかのように……。
大丈夫。何も心配しなくてもいい。
ゆっくりと眠れば……彼は新しい生を手に入れる事ができる。
それはきっと、彼の得られなかったもの、欲しがっていたのものを与えてくれるだろう。
例えその結果……彼が身に余る幸せだと受け止めきれずとも……確かに愛は、教えてくれる。
貴方もまた、望まれて生まれてきたのだと。
「……ローラン。
生まれてきてくれてありがとう。そして――私を産んでくれてありがとう」
戦い続けた彼の生の終わり……最後の褒美として与えられる愛は、きっと彼を慰めてくれるだろうから。
そのままローランは、穏やかな表情のまま、眠るように逝ってしまう。
今頃はこの世界にいた神と対話している最中だろう。
そんな事を考えながら彼の手をそっと離すと……私は自分の意識がここから遠のくような感覚に囚われ、ゆっくりと視界が白く変わっていく。
――例えこれが夢でも……過去にあった現であっても構わない。
ただ、彼に……ローランに礼を言える機会を与えてくれたことに感謝をしたかった。
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