225・最強の鬼神

「……何が起こった?」


 俺様の雰囲気が変わった事に気づいたのか、ヤーシュは眉をひそめてこっちを警戒しているようだった。

 流石さっきまで俺と互角以上にやりあってただけあるな。


 ――『鬼神・修羅明王』

 これは俺様が本来持つ力の全てを限界すら軽く超えて解放するものだ。

 魔法、というよりも暗示を解くものに近い。


 あまりに強すぎる力は、生活をすることすらままならなくさせる。

 そしてこの力を解放した俺様は……どうしようもないくらい殺意の衝動に駆られる。


 自分が満足するには、何かを殺さなければ収まらないんじゃないか? ってぐらいだ。


 頭の中は冷静で真っ赤に熱く、静かに煮えたぎっている。

 今までよりもより一層、世界を肌で感じることがで出来る俺様は、その足をゆっくりと踏み出し――それだけで周囲の地面が音を立てて陥没する感覚を確認しながら、ヤーシュに向かって駆け出す。


「は、はや――」

「遅い!!」


 目の前で驚愕の表情を浮かべているヤーシュに対し、頰が裂けそうなほど笑っているであろう俺様は、さっきと同じように拳を突き出す。


 右足で地面を踏みしめ、力を溜めるように腰から上の上半身を左側に捻り、自身の顔の横に位置するように左拳を握りしめ、目の前の敵に振りかぶる――


 たったそれだけのこと。

 先ほどの攻防の時とは打って変わった、純粋かつ素直な一撃だと自負できるほどだ。


「ぐっ……がっあ、あああ……!」


 辛うじて大剣で防御したようだったがそんなもんは関係ねぇ。

 拳を完全に振り抜いた俺様な一撃が、ヤーシュのその重そうな体を羽のように宙に舞わせる。


 大剣が折れてないところを見ると、あれも魔剣の類なんだろうが……今さらそんなもん関係ねぇ。


「はっはははは……やるじゃねえかよぉぉぉ!」


 今の俺様から受けた一撃で大分傷を負っただろうに、それを感じさせないほどの突撃。


 右肩に大剣を乗せるように構え、すっと腰を低く落としてこちらに駆け出す様は、まるで弓から解き放たれた矢のようだ。


 だが、悲しいことに今まで感じていたその速さも、種族の限界すら超えた俺様の前では、児戯に等しい。


「遅いってよ……言ってるだろうがこの阿呆があああぁぁぁぁ!!!」


 ヤーシュが俺様に剣を振り下ろす態勢に移るよりもなお早く、目の前まで行き、何の力も入れていない軽く隙の少ない一撃を一発、ヤーシュの顔面に叩きつけらる。


 それだけで多少怯むように上体が仰け反るが、そこに俺様は拳骨を作った左拳を、低い態勢でいるヤーシュの頭頂部に思いっきり突き刺すようにぶん殴り、そのまま振り抜いた。


 ヤーシュの体はまるで地面に吸い寄せられるように激突し、その体は大地に深くめり込むように沈んでしまう。


「が、がはっ……な、に……?」


 そこにあったのはさっきまで互角にぶつかり合っていた姿じゃない。

 子供と――いや、赤ん坊と大人のさほどあった。


 まだ意識が断ち切れていないヤーシュは、ふらふらと立ち上がりながら、大剣を肩に乗せ、息を吐きながら膝に手をついている。


「ば、ばかな……ここまで差があるとは……」


 信じられないものをみるような目で、そのぼろぼろな身体を支えながらも戦意の衰えないその姿は、まさしく鬼の王の姿そのものだ。


 決して諦めず、どんな相手にもまっすぐ向き合い……国を守るため、自身の矜持を守るためであれば死力を尽くして戦い抜く。


 ヤーシュの矜持とはつまり、己の強さただ一つ。

 例えどんなに差があったとしても、最後には自身が立っているのだと何よりも信じる気持ち。

 それが、今のあいつを支えているのだろう。


「ヤーシュ、終わりだ。

 今のお前程度じゃあ、俺様には勝てない」

「……笑わせるな。

 たかだか少し動けるようになったくらいで、調子にのるなよ」


 睨み続けるヤーシュは今言える精一杯の強がりを口にして、俺様を射抜くかのように鋭い視線を向けている。

 ゆっくりとその大剣を構え、その身体に喝を入れ、力を込める。


「『風風・風神一刀』!!」


 繰り出されたのは遠距離系の風魔法。

 鋭く限りない透明な刃が俺様を襲い……それを叩き落とし、歩み寄る。


「はっ……ははっ……すげぇなお前。

 さいっこうだ! 最高の鬼神だよお前は! 『風風・俊歩疾速』!!」


 ヤーシュの身体は風と呼ぶに相応しい程の速度で俺様に迫ってくる。

 ああ、実に心地良い。最高にいい風だ。


 だからこそ――その程度のそよ風で俺様が止められるかよ。


「――はっ!」


 見せてやろうじゃないか。

 この俺様と互角に渡り合ったほどの強さ。誇りある鬼神の王。


 だからこそそれが唯一残念なところではある。

 全身全霊の俺様の一撃をぶつけてやれないことだけだ。


 本当に持てる全てをぶつけてしまっては、この世に肉体が留まることすら許されない。

 恐らくその衝撃の瞬間に全てがなくなってしまうだろう。


 これが『金剛覇刀』を持っていたならまた違ったかもしれない。

 ま、いまさら取りに行こうとは思わねぇけどな!


「くっくく……くあーっはっはっは!!!」


 一歩目に力強く地面を踏み抜くかのように踏み込みを入れる。

 ドン、という音共に地面が砕け、辺りに砂が、石が舞い、細かく砕け散ると同時に俺の力に当てられるかのように霧散していく。


 そのまま身体をしならせ全身の力を溜め込み、一点に集約させる。

 この時、溜め込む威力を半分程度に留めておく。

 そのままググッと地面に間近まで腰を落とし……その全てを、ヤーシュへ。


 二歩目にひとっ飛びするかのように矢よりも速く、光よりも速く……奴の目の前に飛び出し、俺様の攻撃の間合いに入れる。


 そして最後の一歩と同時に拳を振り抜き、ヤーシュの大剣と真っ向から対峙する。


 さっきまでぶつけていた剣身部分じゃない。

 本当の刃の部分に、だ。


 鈍く、重く、なにかが壊れる音。

 大剣はヒビが入るどころか完全に壊れ、その欠片に光が反射してキラキラと輝いている。


 ヤーシュの驚きの表情とともに、喜び、感謝の笑みを浮かべ……俺様の拳は確かに心の臓を捉え、撃ち抜いた。

 力をそこにぶつけるただ一点に収束した結果、その余波が広がり、周囲にいた取り巻きの兵士たちを何人か吹き飛ばしていく。


「がっ……!!」


 衝撃の瞬間、その短い言葉とともに、何かが砕ける音が聞こえ、ヤーシュの身体は後ろにあった壁のように立っていた岩にめり込むようにその体がぶつかる。


 ああ、だめだ。

 俺様が持てる最高の一撃……それをやつに喰らわせてやれなかった事に後悔が、心が残る。

 足りない。全く足りない!


「……セツ、キ……」

「ヤーシュ」


 もっとこの力をぶつけたい。

 そのどうしようもない衝動を頭の中に押し留めながら、ヤーシュの方へ一歩、また一歩と何かをこらえるように歩み寄る。


「は……ははっ……なんだよ、それ……。

 お……れさ……ま、じゃ、ものた……りない、てか」

「ああ、お前じゃ足りねぇよ。

 ……いいや『修羅明王』を使わなければお前との戦いで渇きも飢えも癒えただろう」


 そう、恐らく本当の――自身の限界すら突き破った俺様の真の渇きを癒せるのは、恐らく唯一人。

 そしてそいつとは永遠にそんな戦いが出来ることはないだろう。


「……あり、がとよ」


 たったそれだけ。

 その一言を呟いた後、ヤーシュの動きは完全に止まってしまった。

 そこにあるのは満ち足りた笑顔のまま再度逝った、過去の魔王の姿。


 その姿を認めた――認めてしまった俺様は、自身の感情を最早制御することは出来なかった。


「さあ……覚悟は良いな。

 俺様の国を踏みにじろうとする者は、誰であろうと容赦しねぇ!」


 ただ付いてきた雑魚どもを全てきっちり皆殺しにして、ようやく俺様は身体の全身の力を抜いた。

『鬼神・修羅明王』で解かれた暗示が再び俺様を縛り、辺りに残されたのは血の海。肉の塊。

 ヤーシュの死体にそらを見上げる俺様。


「ああ、腹が減った……喉が――渇いたな」


 満たされなかった飢えと渇きが俺様を苛み……しばらくの間、まともに動くことも出来なかった。

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