168・心の中に宿るもの

 本来であれば急がなければならない。

 いつまでもディトリアに留まらず、今も戦場で戦い続けてる兵士達のところに行って、彼らを元気づけなければならない立場にいるはずなのだ。

 だけど……。


「ティファリス様、今日は……今日一日だけは休んでくださいミャ。今は戦況も安定して、そんなに激しく変わることもないですミャ。

 ティファリス様が新しく連れてこられた方々……護衛として、ということは少なくともカヅキさんに匹敵する力を持っているのだと思いますミャ。

 なら……一日だけなら休めますミャ」

「ティファさま……いざとなれば私も出撃します。ですから……」


 切実に訴えかけてくるケットシーとアシュル。

 流石にこのときばかりはフレイアールも黙って神妙な様子でこちらを見ていた。


「……わかったわ。今日一日だけ。何かあったらすぐに連絡してちょうだい」

「はいですミャ。ゆっくり、お休みくださいませミャ」

「見張りは私とフレイアールにお任せください」

(母様はゆっくり休んでてね!)


 いつもだったら間違いなく強行した。それだけの自信はある。

 でも、今日だけは……今だけは、休みたかった。

 そうしないと、強い私が壊れてしまうから。この子達を従えてきた私じゃいられなくなってしまうから。

 ここにリカルデの遺体がなくて本当に良かった。もしあったら……私はきっと耐えられなかっただろう。


 だから……私はみんなの言うことを聞き入れる事にしたのだった。






 ――






 私はロクに着替えもせず自分の部屋のベッドに身体を預けて目を閉じて、ちょうどあの日のことを思い出していた。

 初めてこの世界で目を覚ましたあの日。私はまだ前世の記憶以外まったくなくて、俺だとかなんだとか色々と言っていたな。

 リカルデにとって、あの時私の口調があまりにも酷かったらしく、前世の口調を出す度にお尻を叩かれたっけか。


 それからこの世界のことを教えて貰って……エルガルムとの戦争、クルルシェンドまで一緒にいって……それから……。

 思い出せるのはいつだってそばに居てくれた彼の記憶。常に私のことを心配してくれて……思いやってくれて……。


 気付いたら私にとって、リカルデは無くてはならない存在になっていた。恋人、とかじゃなくて、父親のような、親友のような……そんな存在だった。

 彼が国にいてくれるだけで安心していた。何があっても大丈夫だと、そんな幻想みたいな妄想を抱けるほど。


 失うことなんて全く考えていなかった。その結果がこれだ。

 リカルデが死んだのは私のせいだ。彼に甘え、彼を妄信した、私の。

 彼は覚醒していたわけでも、ましてや魔王でもない。セントラルの魔王軍とまともに戦えば、無事では済まない可能性だって十分にあった。


 それを全く考えず、リカルデに国を任せ続けた結果、今回の出来事を招いたのだ。せめてアシュルを国に残しておけば、結果も違っただろう。

 南西地域をまとめた覚醒魔王だとか、上位魔王まで上り詰めた偉大な女王だとか言われてもてはやされて、調子に乗っていただけだった。


 ……私は、あの時のまま……そう――


「お前はあの時のまま、弱い少女のままなんだな」

「え?」


 ――不意に誰かの……男性の声が聞こえて、私が目を開けた。

 知らない……いや、知っている。私はこのどこか冷たく、空虚に聞こえる気がする声を確かに知っている。

 でも――


「どうした? 俺の声がそんなに不思議か?」

「……貴方は誰?」

「質問を質問で返すか……まあいい。

 お前もわかってるんだろう?」


 わかっている? わかっているとも私が知らないようで知っている男の声……それはもうついぞ聞かなくなった、他ならぬ私の声だ。

 私の――【白覇びゃくはの勇者】として生きていた頃に喋っていた声だったからだ。


「そんなこと……わかってるから聞いてるんじゃない」

「だったら答えてやるよ。お前は俺だ。だが、俺はお前じゃない」


 詩人のような事を言ってるつもりなのだろうか? 私が聞きたかった答えとは妙に違っていて、それがまた妙に腹立たしい。

 ベッドから起き上がって部屋を見渡すと、窓の外には歪な月が見えた。三日月が左右対称に設置してあるような月……それは目のようでもあった。


 ……なんだ。これは夢か。

 そうでなければこんな月、考えられない。が、妙に現実味のある夢だ。


 窓の近くには男の影があった。

 月明かりの外側にあり、まるで闇に潜むようにその姿を隠している。


「私は貴方なのに、貴方は私じゃないって……馬鹿にしてるのかしら?」

「本当のことだろう。お前、俺の記憶をどれほど持っている?」

「どれほどって……」

「俺は全て持っている。生まれた時から、死んだ時のことまで。

 転生する前の苦しみも、悔しさも全て」


 そう言われて私は今はっきりわかった。

 私にはうろ覚えの記憶しかない。悲しげにしている男と戦った記憶。

 死んだ時、転生できるようにしてくれた神との会話。だけど……それ以上のことを覚えてはいなかった。

 そう、私はすら覚えていなかった。


「ティファリス、ここに来たのならば選択しなければならない」

「……選択?」

「そうだ。さらなる力を求めるか……そのままの弱いお前のままでいるかだ」


 いきなり夢の中に現れて、不躾なことを言ってくれる。

 大切なものを失って、亡くした者を思っている最中にいきなり現れて……選択しろだとか、力を求めるか弱いままかだとか……。


「そんなこと――」

「それが俺とお前の、あの日結んだ約束だ。まさか……それも忘れたのか?」

「あの日の約束? 一体何のことを言って――」


 私が不快感を示そうとした瞬間――私はその時のことを思い出した。

 あれは確か、私が泣いていたときだ。


 母を亡くし、父を亡くした私は、自分の弱さに嘆き、強く力を求めたあの日。

 私はある声が聞こえてきたのだ。


『守る力が欲しいか?』と。

 それに対し、私は一も二もなく頷いた。

 男性の声。今正に私が聞いている彼の声。


『欲しい。大切な人が傷つかないで済む力が……。

 せめて……残された人を守る力が……!!』


 その時彼は言った。普通ではいられなくなると。

 戦いから逃げられなくなるだろうと。弱ければ全てを失うだろうと。


「――思い出したわ。確か、もう一度私が力を求めたら会いに来るだろうと言っていたかしらね」

「そう、それと同時にこうも言った。『次に会う時は……さらなる力を求める時は、戦いの時』だと」


 確かに言った。だが、私は力なんて求めていない。

 リカルデを失った今、そんな力なんて――。


「お前は今、大切なものを亡くしてしまった。だからこそ、これ以上、失いたくない。奪われたくないという気持ちが心の中に生まれている。だからこそ――俺はここにいる」


 大切なもの……リカルデ。失いたくないもの……アシュル、フレイアール……私に付き従ってくれているみんな。


 ――そうだ。失くしてしまったからこそ、これ以上手放したくなかった。

 例えこの手から零れ落ちそうな程、溢れ出そうな程の人を抱えても守れる力を望んでいた。

 こんな悲しい思いは……泣きたくなるような辛さはもうしたくなかったから。


 今まで散々自国を放っておいて何を今更とも思うが、それでも……ある意味であれは私の精一杯だった。

 自国に引きこもってばかりではいられなかったから。その結果が今のような醜態なのだとしても、私はまだ……守りたい。

 まるで侵略するように――攻めるように他国と交流してきた私の、本当の気持ち。

 気付いた私は、今前を向くことを選んだ。リカルデに笑われないように……彼の誠意に報いるために。


「どうする? 力を求めるか……それともそのままでいるか。全てはお前次第だ」


 暗い闇の中、彼は一体どんな顔でいるのだろう? わからないが……。

 私は――。


「――欲しい。これ以上何も失いたくない。これ以上何も零したくない」

「良いだろう。なら――」


 姿を見せた彼は、あの日の映し身。

 過去からの来訪者。夜闇のように深い青の髪に、それに輝くペリドットのような目。

 その目が何の感情も抱いていないのがまた若干恐ろしい。


 無機質なだけに澄んでいる。そこに灯る光は……一体何を映し出しているのだろう?


 私は彼に色々聞きたいことがある。

 名前も、記憶も……私が知らないこと、出来うる限りを。

 だけど、それをするにはやらなければならないことがある。彼の目はそう言っていた。


「――戦おう。話はそれからだ」

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