幕間 ネロ、買い物をする
一日目
「い、イメージするのは、常に最強の、じ、自分……」
そう言うと、ネロは部屋の扉を開けた。師匠の受け売りだが、なかなかためになる言葉だ。
古臭い廊下を抜け、階段を下り、受付の前をそそくさと通り抜ける。
「おや、お客さんお出かけかい」
「あ、ああの、あの、は、はっ、はいっ」
ネロは受付用のカウンターの向こう側に座っていた宿の主人である老婆に話しかけられ、挙動不審になるも、なんとか返事だけすると出入り口の扉を開け外へと出た。
「よ、よし、第一関門、突破……。き、きょ、今日こそ、ジャックに、な、何かお礼、を」
上着のフードを深く被り、歩を進める。目指すは表通りだ。
日頃世話になっている連れのジャックに何かお礼の品を買う、これが今日のネロの目標である。
ネロはキョロキョロと挙動不審な動きのまませまい路地を通り抜け、表通りに出る。
表通りは道の両脇に商店が立ち並び、行き交う人々で賑わいを見せていた。
「だ、大丈夫、大丈夫……だ」
自分に言い聞かせるように呟き、ひらけた通りを進んで行く。人の多い場所は、自分ばかりが見られているようでどうにも苦手だ。以前、ジャックにその話をしたときは気にしすぎだと笑われたのであったか。
ネロは適当な店の店先を覗き込んでみた。店頭に並んでいるのは、瓶に入った様々な種類の酒だ。確かジャックも嗜む程度には酒を飲むはずだと思い返し、暫く商品をじっくり眺めてみる。ネロ自身は酒の種類にあまり詳しくないため、見ていてもちんぷんかんぷんだ。
「おや、お客さん。何かお探しですか?」
店の奥から出てきた店主に、不意に話しかけられネロが驚いて飛び上がった。
「ヒッ……! な、ななな、なん、なんっ、何でも、あっ、あの、何でもありませっ」
無理だ。ネロはそう直感した。
その場から逃げるように立ち去ると、一旦表通りを離れて横町に入る。そこで、呼吸を整える。
「うう……無理……。僕には無理だ、な、情けない……」
泣きそうになりながら、ふらふらと路地をあてなく進んで行く。このまま諦めて、滞在先の宿に戻ってしまおうかとも思われた。
ふと顔を上げると、視界に入る古びた木製の看板。文字は掠れ、なんと書いてあるのかは判然としないが、何かの店のようだ。
「み、店……」
ネロはおろおろと辺りを見回し、誰もいないことを確認するとそっと店の中へ入った。
薄暗く埃っぽい店内は、箱が乱雑に積み上げられ、煩雑な印象を与える。何を売っている店なのか、判然としない。
奥の棚の上に置かれている、何らかの装飾品のようなものが目に入る。二又に別れた棒状の金属パーツに、綺麗なみどり色のヒスイ玉がついている。
「きれい……」
近づいてよく見ようと店の奥へ歩を進めた、そのとき。
「おい、何やってんだアンタ。客か?」
「うひいぃ!」
ネロは突然奥の部屋から現れた男に声をかけられ素っ頓狂な声を上げる。奥から現れた壮年の男は無精髭を生やし、口には煙草を加えている。
「あ、あの、す、すすすみませ……」
「その「かんざし」に興味があるのか? 生憎と今それはな……」
「あっあっあのっちがうんです! すっ、すすすすみません……えっと、すみません!」
一体何が違うのか、謝罪を投げかけて訳の分からぬままに店を飛び出そうとしたネロの前に、ぬうっと人影が現れた。ぶつかりそうになるが、なんとか踏みとどまる。
「ひっ」
「うわっ、びっくりした……お客さんっすか、珍しい」
「おいジャリル、珍しいたぁどういう意味だオイ。その客な、お前が仕入れてきた「かんざし」に興味があるみてえだぞ」
自分を挟んで行われる会話を聞いていたネロは、言葉に詰まったまま立ち尽くしていた。正面の入り口も、今入ってきたジャリルとかいう男に塞がれて外に出ることができない。
「ほんとっすか? 他にも種類あるんですけど幾つか見ていきません? プレゼント用っすか?」
「ぇ……ぁ……」
ガッと勢いよく距離を詰められ、手汗でしっとりした手をギュッと取られる。
「…………!」
ネロは緊張が最高潮に達し、ぱくぱくと口を開いて何かを言いかけたのち、昏倒した。
「はっ」
急速に意識が浮上する感覚。なんだ夢か、と思ったのもつかの間。滞在している宿と景色が違う。ソファの上だ。
「こ、ここここは…」
ネロがゆっくりと身を起こすと、先程入り口を通せんぼしていたジャリルというらしい男が椅子に座っているのが視界に入る。
「あ、目を覚ましましたかお客さん。突然倒れるからビックリしたっすよ、大丈夫ですか」
声をかけられ、ハッとして頭に手をやる。深々と被っていた上着のフードは背中側にぺしゃりと垂れている。赤毛の混じった異質な金髪、側頭部から生えている一対二本の角が丸見えだ。
「お客さん、竜族でしょ。大丈夫っすよ、そんなに怯えなくても……なにもとって食おうってんじゃないんだから」
「ぁ……」
喉につっかえたまま一向に出てこない言葉を、ジャリルは急かすことなく大人しく座ったまま待っている。
「あ、ああああの、す、すみませっ……」
「お客さんが謝るこたぁないっすよ。急に詰め寄ってすみませんでした」
「い、いいいえっあのっ、あのっ、か、買うかどうかまだ決めてなくて」
ネロが必死に謝罪の意図を説明しようとすると、ジャリルは小さく笑った。
「買うかどうかなんて、商品を見て説明聞いたあとに考えればいいんすよ。どうします、今日は。見ていきますか?」
「えっ……き、きょうは……」
ネロはソファから起き上がると、出口らしき方向へ向かって一目散に駆け抜けた。
「きょうはけっこうです!」
走りながらフードを被り直し、出口を抜ける。すると先ほどの店頭に出た。店に立っていた壮年の男の横を駆け抜けて外へと飛び出した。
見知らぬ人との会話はひどく緊張するのだ。もう今日の分の会話は終了! かえります! とばかりに宿へと逃げ帰る。
「も、もうあのお店、行けない……」
宿に帰るなり、ネロはしくしくと泣いた。
二日目
「き、き、今日こそ……」
ネロは決意を新たに、宿を出る。
日々決意を新たに出かけているのでもう決意を新たにするのが何回目かも数えていないほどであるが、そのようなことは些事である。
昨日と同じように、宿の主人である老婆に話しかけられ挙動不審になり、宿を出る。
「だ、大丈夫……な気がする」
根拠のない自信に勇気付けられ、細い路地を抜けて広い通りに出る。
ふらふらと通りを彷徨い歩き、時折店を覗いては店員に話しかけられ逃げ出し、再び彷徨う。
今日こそはただでは帰らないと、まだ粘るつもりでいた。
「あ、お客さん。昨日ぶりっすね」
背後から、昨日聞いたばかりの声。ネロは心臓が口から飛び出しそうになりながら振り返らず走った。
「は、はあ、はあ」
人ごみを掻き分けてだいぶ走った。ネロは息を切らせながらその場にしゃがみ込んだ。
「み、みみみみみつか、った……」
戦々恐々、恐る恐るといった風に辺りを見回すが、流石については来られなかったようだ。腐っても竜族、体力なら人並み以上だ。
今日はもうだめだ。帰ろう。そう思い、とぼとぼと歩を進める。が。
「ど、ど、どこだろう、ここ」
必死に走り過ぎて見知らぬ場所まで来てしまったようだ。もともと王都の土地勘もないため手詰まりだ。通行人に道を聞くなんて以ての外である。
「ジャック……」
連れのジャックとは基本別行動である。同じ王都の中にいるとはいえ、偶然出会う可能性は低いであろう。
「お客さん!」
再度、聞き覚えのあるあの声。怖い。ネロからしてみれば、ここまで追ってくる執念が純粋に怖い。
「すごい走りっすね、一度見失いましたよ」
見失ったのに発見するな。
「ひ、ひぇ……」
思うことは多々あれど、口から出るのは情けない悲鳴のようなものだけである。
「なんでそんなに怯えるんすか、若干傷つきますよ」
「す、すすすすす」
「す?」
「すすすすすすすみません」
もはや謎、ちゃんと言葉が発音できているか謎。なぜ誤っているのかも謎。
「何がすまないんすか? 大丈夫っすか?」
「あ、あの、あのあのっ、昨日、その」
「はい」
ジャリルは少し距離を置いた位置で大人しく待っている。
「き、きの、昨日、昨日は急に、かえっ、て、その、す、すすす、みませんでした」
「ちゃんと「今日は結構です」って言ってから帰ったじゃないですか」
「え、あ、はい」
横たわる沈黙。実際は謝罪に深い意味などないのだ。反射的に謝ってしまうだけで。
「お客さん、今日もうちの店、来ますよね?」
ジャリルはそう言うと、ニコッと笑った。
「き、きれい……」
ネロは昨日見た装飾品を手に取って眺めていた。
「でしょ? それは東方諸島で使われている「かんざし」っていう髪飾りなんすよ」
「かんざし」
「他にもありますよ」
ジャリルはそう言うと、店の隅に置いてある大きな箱から次々と小箱を取り出してゆく。
「プレゼント用ですか? お相手は? 恋人っすか」
「えっあ、ち、ちちちが……ちがいま、ぷ、プレゼントです、ただの」
「そっかー」
言葉とは裏腹に満面の笑みのジャリルは、小箱を一つづつ開けてゆく。先程のかんざしと同じような形のモノもあれば、王国などでよく見かけるような形の髪飾り、それからブローチなどもある。
「お相手はどんな方ですか? 髪の色は?」
「えっ……と、髪の色は、ヘーゼルで……、ひ、ひ瞳が紫。ゆ、勇敢で、やさしい」
「なるほどなるほど。因みに予算は幾らくらいで?」
予算なんて決めてなかった。ネロは言葉に窮し、持っていた財布の中身をそのまま見せた。
「ひいふうみい……、なるほど。こんだけあれば充分っすね。今日は良さそうなのを幾つか見繕っておくんで、明日また来てもらってもいいっすか?」
「は、は、はひぃ……」
明日また。明日また来ると約束してしまった。
帰路につきながら、ネロはぐっと手を握り締めた。
「よ、よし、ジャックに、お礼、できる……」
明日も頑張るぞ、ネロはそう小さく呟いた。
三日目
「とりあえず良さそうなものを幾つか見繕ってみたっす」
そう言うとジャリルは棚の上に小箱を並べて置いてゆき、箱を開けた。
並ぶ煌びやかな装飾品類。
「ぴぇ……」
高そうな品々に尻込みするネロ。いやしかし、金はある。金はあるのだ。
「なんか気になるものあります? よろしければ手にとって見ていただいて」
「は、は、はひ」
手汗でしっとりした手を服の裾で拭いて、いちばん手前に置いてあった柔らかなピンク色をした石をあしらった髪飾りを手にとってみる。
「それはバレッタっすね。髪を挟み込んで括る装飾品っす。そっちの青いのも同じっすね」
ジャリルは並べてあった中から同じ形状の髪飾りを手に取るとネロに見せた。
青い色のものは淡青色のリボンのような飾りがついており、その中心に深い青色の石がついている。
「こっちはカチューシャっす。俺がつけてるのと同じタイプっすね」
ジャリルが手に取った三日月のような形の装飾品は、なるほどジャリルが頭につけているものと同じ形だ。ジャリルがつけているものは飾りけのないただの金属製のものだが、手に持っているものは綺麗な石の飾りがついている。
「もっと小ぶりなものになるとピン留めや、それからブローチなんかもありますよ」
ジャリルはカチューシャを箱に戻し、ネロの目前に幾つか箱を並べた。
「ヘアピンは見ての通り髪を留める装飾品っすね。髪飾りではないですけど今回はブローチも入荷あるんでよかったら見てください」
「あ、は、はい」
一気に捲し立てられてあっけにとられるネロに、ジャリルがゆっくり選んでいいっすよ。と笑った。
「かんざしはものによるけど髪を留めるのにちょっとコツがいるんでこの辺だとあんまり髪飾りとしては売れないんすよね。観賞用っていうか」
そう言って示された先のかんざしは一本の棒の先に硝子玉のような飾りがついているもので、確かにこの形状でどうやって髪を留めるのか皆目見当もつかない。
「え、えっと……」
ネロは一つずつ丁寧に商品を見ていく。様々あるが、皆綺麗な飾りの石がついており、そこそこ高価な品であることがうかがえる。
「あ、あああの、こ、この、この宝石……」
「ん? なんすか?」
「あ、あの、その、た、たたたた高い、のでは」
ネロの疑問に、ジャリルはヘヘッと笑った。
「この辺の商品についてる石、見た目は綺麗なんすが厳密には宝石と違うやや安価な石なんすよ。だからまあ、多少はしますが高級品ってほどではないんです」
「な、なななるほど……」
ネロは再び商品たちを見遣る。色とりどりの石の中に、綺麗な紫の石が見え、おもむろにそれを手に取る。
それは剣をかたどった銀色の飾りのついた髪飾りで、剣の鍔の部分にダイヤ型にカットされた紫の石が埋め込まれている。
「お、いいっすねえ。それはオストミッテル諸王国連合のゼンという地域で買ったやつなんすが、元々はキュール小王国で加工されたものが流れ流れてきたっていう、いわゆる輸入品っすね。そもそもキュールは……」
商品に直接関係のない説明まで始めたジャリルの言葉を話半分に聞き流しつつ、手元の飾りをじっくりと眺める。紫の石なら、彼女の瞳と色とも合うし、良いだろう。
「あ、あ、あの、こ、ここここれを、これを、く……くださ、い」
説明に夢中になっていたジャリルは、ネロの言葉に小さく頷いた。
「おっとすみません、ついつい喋りすぎちゃうんすよね。これですね。ラッピングはサービスしておきますよ」
そう言うと、ジャリルは商品を箱に戻し、器用な手つきで箱にリボンをかけた。
「あ、あ、あ、ありがとう、ございました」
支払いを終えたネロは、体が勝手にスキップしそうになるのを堪えつつ、帰路へついた。
夜。
「どうしたんだネロ、こんな時間に」
ネロは宿の隣室、つまりジャックの部屋に押しかけた。
「夜這いか?」
ジャックが薄笑いを浮かべながら言い放った冗談に、ネロは本気で慌てふためいた。
「えっあっあっ、あっ、ち、ちちちちちちちちちがっそういう、そ、そ、そういうことじゃ」
時間と場所をもっと考えるべきだったなどと後悔する。
「冗談だよ」
優しい笑みのジャックは、どうした? と小さな声で尋ねた。
「ぁ…………あの、いつ、いつ、いつも、優しくしてくれる、し、助けてくれる、ので、お、おおおおおお礼が、し、したく、て」
よし言えた。ネロは安堵とともに、ジャックに箱を差し出す。紫色のリボンでラッピングされた小さな箱だ。
「私にか?」
ジャックは若干面食らった様子で突っ立っていたが、ネロがずいっと箱を差し出したので、反射的にそれを受け取る。
「あ、開けても?」
ジャックの問いにブンブンと首を縦に振るネロ。ジャックは丁寧な手つきでリボンを解くと、箱を開けた。
「わぁ……」
「き、き、気に入らなかったら、ごめん……」
ジャックは髪飾りを手にとってしばらく眺めたあと、それを髪につけた。
「どう? 似合うかな」
「う、うん! すごく、似合う……と思う」
照れくさそうなジャックに、ネロがうんうんと頷く。
「ありがとう、嬉しい。でも、壊してしまいそうでつけるのが勿体無いな」
少し困ったような表情で微笑むジャックにネロは首を横に振った。
「こ、こ壊したら、また新しいのを買ってあげる」
勇気を出してプレゼントを贈ってよかった。ネロは下げた手をぐっと握りしめた。
後日談
そうだ、ジャリルにお礼を言いに行こう。
ネロがそう思い立ったのは、ジャックにプレゼントを渡してから数日後のことだった。
「い、イメージするのは、常に最強の、じ、自分……」
いつもの言葉で気合を入れて、いざ外出。毎度のことながら、宿の主人である老婆に話しかけられて挙動不審になる。
「あっいっ、いっ、…………いってきます」
挨拶が返せたので成長した方だと思いたかった。
狭い路地を抜け、一旦広い通りに出る。そこからそそくさと横町に入り、目的の店へ。
目的の店は相変わらず看板が掠れて何屋なのか判然としない。
「こ、こん、こんにち、は」
ネロが小声で挨拶をしながら入店するも、反応はなく、店頭には誰もいない。無用心である。
「あ、あ、あの、すみませ」
「ああ? 何だあ?」
ネロがやや声を張って呼びかけると、店の奥——どうやら居住スペースになっているようである——から人の気配とともに、声が。しかし、ジャリルのものではない。
「あー、こないだの竜族の兄ちゃんじゃねえか。どうした、返品か?」
現れたのは確か、初日にもいた店の主人である男だ。今日も煙草を咥えている。
「あ、い、い、いえ……その、ジャリルに……」
お礼を言いたくて、と言い切る前に、男が言葉を割り込ませる。
「ジャリルか? あいつならもう行っちまったぜ。あいつは旅商人だからな。次ここに来るのはいつになるのかは分からん」
「ぇ……」
「つーわけだ、伝言なら覚えてれば伝えといてやってもいいが大概忘れる」
男はガハハと豪快に笑う。ネロは少し逡巡したのち、口を開いた。
「わ、かりました……お、お、覚えてたら、でいいので、ジャリルにありがとうございましたと、お、お伝えください」
「あいよ。覚えてたらな」
ヒラヒラと手を振った男は、再び奥の部屋へと戻っていってしまう。
「お、お、おねがい、します」
今度会ったらちゃんとジャリルにお礼を言おう。そう心に決め、ネロは店を後にした。
悪神のレリック 紅医 @akai0000
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