ある女商人の苦労話12 またがんばろう
「ありがとう。私、あなたに逢えたことが心から幸運に思えるわ」
「大袈裟だなぁ。君がここにまた来ることがあれば、また僕もいるかもしれないし、彼らがいるかもしれない。誰とまた会えるかわからないから、ここのみんなは大部屋でグループを作って組み替えながらお互いの昔話を語っているんだよ。君も昔話を話したくなったら、いつでもここに来ていいんだからね」
「ええ。是非また来たいわ」
私はなぜか元勇者の話を聞く間に注がれまくっていたビールを飲み干した。さすがに酔いが強くなってきた。
「ミユ……は寝ちゃったみたいね」
ミユは元勇者にずっとしなだれかかっていたのでわからなかったが、気がつけばスヤスヤと寝息を立てていた。元勇者が要るって聞いたときは早足で今の場所を陣取ったけど、実際に随分と酔っていたみたいだし、元勇者の腕を取って気分上々だったのかもしれない。気持ちよさそうないい顔をしているわ。
「これじゃ、僕も動けないね」
元勇者は困ったような、それでいてとても穏やかな顔でミユを見ている。この絶妙な気遣い。これは、モテるわけね。
「なんならお持ち帰りしたらどうだ? ガハハ!」
「ちょっと品がなさすぎるわよ」
妖艶な美女が戦士風の男の耳をつねり上げる。「いってーな、離せよ!」「あんたが変なことを言うからよ」「どこが変なんだ!」「反省の色なし」絶妙なやり取りだなぁ。
「君が送っていくかい?」
「私? それも思ったけど、私もミユには今日初めて会ったから、彼女がどこに住んでいるかはわからないのよね」
「そっか。じゃあ、目が覚めるまで待つか」
「それだとあなたが帰れないじゃない」
「僕はまだ大丈夫だから。ダメな時間になったら無理矢理にでも起こして帰ってもらうことになるけどね」
「それもミユが可愛そうだから、私もまだいることにするわ」
そういえば私とミユが頼んだちょっとトリッキーな3品目がいつの間にかこのテーブルのみんなに食べられてしまっていることに今更気が付いた。席を移動したことで最後の料理がここに運ばれてきたんだけど、私もミユも勇者に夢中でそれどこじゃなかった。結局ミユの頼んだ重い料理を食べることができなかったな。残念。
「何か食べるかい?」
「そうね。……あなたのオススメをいただこうかしら」
「わかった」
そう言うと元勇者はこの店の店長――マスターに声をかけた。厨房からそれっぽい人がチラッと顔を覗かせる。何もオーダーしているように見えなかったけど、アイコンタクトだけで注文が成立したっぽい。元勇者って、ここにそんなに来ていないって言ってなかった?
待つことしばし、私たちのテーブルには大皿に盛られたホッカホカの焼き飯がでんと置かれた。具材はゴロッと大きめの焼豚とシャキッとした形が残っているレタス、それに細かく刻んだ人参や玉ねぎ。パラパラに卵でコーティングされた完璧な出来栄え。
色合い的に塩ではなく醤油で炒めたものね。香りからニンニクと生姜も使われているのか。かなり本格的。とっても美味しいそう。匂いだけでもごはんが進んじゃいそう。ごはんでごはんを食べるのもどうかと思うけど。
「美味しそう……」
「美味しいよ。マスターの作る焼き飯は絶品だからね。というか、なんでも美味しいんだけど」
「うん。それは私も思った。唐揚げなんかいくらでも食べられそうだったわ」
「そうだね。あの唐揚げは凄いよね。君は飲んだからわからないけど、マスターの作るスープも美味しいんだ」
「スープ? それは飲んでいないわ」
「締めに頼むといいよ。病みつきになるから」
「そこまで言われたら今すぐ飲みたいわ」
「それもいいけど、やっぱり締めがいいよ。なんていうのかな、気持ちがとても落ち着くんだ。だから、お開きにする前に、最後の注文にするのがベストだと僕は思う」
「あなたがそこまで言うのなら、私も締めのときに頼むことにするわ」
「だから、勇者だからって全面的に信用しちゃダメだからね。僕はあくまでただの一般人。その辺の誰かの意見のひとつに過ぎないだけさ」
もう今日何度目かわからない元勇者の笑顔に私は完全にやられている。ミユには悪いけど、私も元勇者に気に入られたいって思っちゃうわ。
でも、こういう場所は一期一会。あえて未練ややり残しがあったほうが次へと繋がるわ。私はこれ以上元勇者のことを詮索もしないし、近付きもしない。また逢うことがあったら、そのときに続きでも。
私は明るい未来を想像し、つい笑顔を浮かべてしまった。
元勇者も私の笑顔に呼応するように、今日イチの笑顔を返してくれた。
………………惚れちゃうからヤメて。
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