ある魔法使いの苦悩⑩ 居酒屋『冒険者ギルド』
――おい!
ん? なんだ?
――しっかりしろよ!
誰だ? 誰が私に声をかけているのだ?
――そんなに強い酒だったかな?
――そうでもないと思うけどなぁ。
いったい何のことだ?
――ちょっと引っ叩いてみるか?
――やめとけよ。
バシンッ!
「痛い!!」
不意に背中にとんでもない痛みが走った。
「あ、起きた」
なになに!? 起きたって、あっ……私のことか? っていうか、痛い!!
「あんた、酒弱いんだな?」
「え??」
「記憶が混濁してるみたいだぜ。そんなに強い酒でもないと思ったけどな」
情けないやつだなぁと、恐らく私の背中を思いっきり叩いたであろう、たっぷりと余った脂肪をお腹に溜め込んでいる男が私の隣の席にドカッと腰を下ろした。
……私の隣の席?
「あんた、こいつを飲んだらいきなりバタンさ。こっちが驚いたぜ」
「これは……?」
「ん? 覚えてねーか? ある地方で作ってる名品で、そこらの酒飲みの間じゃ高級酒として通ってる酒だぜ?」
「……覚えてない」
「そっか。そいつは残念だな。こいつはマジでうめーぜ? どうだ、もう一杯飲むか?」
もう一杯も何も、今の状況がいまいち掴めない。
「やめとくよ。何だかあまり気分も良くないし」
「そいつは大変じゃないか! あんた、大丈夫か?」
「大丈夫だと……思う」
「そうか。ならいいけどな」
太った男はそう言って、高級酒を自分のグラスに注いでおもむろにあおり始めた。
「くぅーーー! やっぱりこいつは効くぜ!」
そんなにおいしいお酒なのだろうか?
しかし、ここはいったいどこなんだ? 私はこんな場所に来た覚えはないのだが。
どうやら私はどこかの居酒屋で飲んでいる途中に酔い潰れてしまったようだ。今は特に酩酊状態でもないので、本当にお酒を飲んでいたかも定かじゃないけど、話の流れからするとそうなのだろう。
「あんたも大変な人生歩んでたんだな。ちょっとかわいそうになったよ」
「……?」
「ん? 俺、何か変なこと言ったか?」太った男は、彼の隣りにいたひょろ長いガリガリに痩せた男に確認した。「さぁ?」飄々とした様子でそう返す。彼らは知り合いだろうか?
「何も覚えていないんだけど、私が何かあなたたちに話をした……ということか?」
「そこも覚えてねーのか!? あんたマジで酒弱いんだな」
男に言われて思い出したが、たしかに私はほとんどお酒を飲まない暮らしをしていた。食事はたのしむけど、お酒はあれば飲む程度でこちらから率先して飲むようなことはしなかった。魔法の研究開発がたまたまうまくいった何回かは、チームのメンバーで打ち上げをしたけど……それも数えるほどわずかだ。
「特級魔法使いを目指して田舎から出てきたけど、同期には抜かれ、研究はいつも失敗。そのまま年だけを重ねてしまい、田舎に戻って静かに暮らしていた。たまたまどこかに飲みにでも行こうとしたら、ここ居酒屋『冒険者ギルド』に来たっていう話をしてたぞ?」
具体的すぎて怖いが、たしかに私の境遇を言い当てている。まったく話した記憶がないが、これは覚えていないだけで私が話をしたことは間違いない。
でも、何かがおかしい。
何かが足りない。
「どうする? 話の続きをするか? なんだったら俺の武勇伝を聞かせてやるけどな!」
太った男は、がっはっはっ! と豪快に笑った。いつものことなのか、痩せた男はやれやれといった感じで首をふるふると横に振っていた。聞き飽きてるぜ、そんな言葉が聞こえてきそうだ。
「ひとつ確認させてほしい」
私は太った男の目を真剣に見つめた。ここは肝心な場面だ。
「私は――ひとりでここに来ていたか?」
「おかしなこと聞くな? ああ、ひとりだぜ。もっとも来たところから追ってるわけじゃないから、確実にひとりで店に来たかどうかまではわからないぜ?」
「そうか……ありがとう」
「あんた、変わったやつだよな」
「そうかもね」
私は確信した。
ここは――恐らく夢の中だろう。
背中に走る痛みがここが現実だと囁いてくるが、夢の中でも痛い目に遭うって話は聞かないこともない。
なにより私はまだ田舎に戻って静かに暮らしてなどいない。ここは、私に起こりうる未来のひとつの姿を映したものなのだろう。自分の手を見つめてみれば、見慣れたものよりシワが多い。着ている服の袖も買った覚えもない模様だ。
居酒屋『冒険者ギルド』――たしか、王都でそんなものがあるという話を聞いたことがあったな。ここがそれなのかもしれない。夢の中の世界なのか、それとも別の何かなのか。
言われてみれば、あちこちで盛り上がっている人たちは過去に何らかの職業で冒険者をやっていたような雰囲気がある。眼の前の太った男も戦士をやっていそうだし、痩せた男は魔法使いか盗賊といった感じだ。
私は、元魔法使いとしてここに来ているのだろう。
夢だと確信しても妙に現実感がありすぎて、どこかにまだ疑う気持ちがないわけじゃない。
でも、やはりここは現実じゃない。
何より――サラがいない。
私はサラと出会い、サラとともに王都へと帰る途中だったはずだ。今はっきりと思い出した。間違いない。
「帰らないと」
「ん? もう帰るのか? まだ俺の武勇伝もこいつのつまんねー話もたくさんあるし、時間もたっぷりあるじゃないか?」
太った男に唐突に振られて「つまんねー話じゃねーよ」痩せた男が愚痴っぽくつぶやく。
「悪い。せっかく出会えたけど、今日はもう帰らないといけないんだ」
「そうか。残念だな」
太った男は本当に残念そうに「まぁ、俺たちゃ結構ここにいるから、気が向いたらまた来いよ」そう言って人のいい笑みを浮かべた。
「ありがとう……また今度」
ぼっちの私に気さくに話しかけてくれているのにここを去るのは、正直惜しくないと言ったら嘘になる。
でも、いつまでもここにいちゃいけない。ここは私がいるべき世界じゃない。
理由はわからないが、本能がここから出るように訴えかけてくる。ここが夢だとしたら、今の私の行動そのもののほうがイレギュラーだ。こんなにはっきりとここが夢であると認識し、しかも夢から早く醒めようとしている。
私は席を立つと、握手を求めてきた太った男の手を握り返し、この店の出口を向かうことにした。
「戻るのか?」
妙に筋骨隆々でガタイのいい威圧感と威厳が同居した料理人さんが私に声をかけてきた。
「あっ、お会計ですか?」
夢の中だと思っても飲み食いをしたのなら代金は払わないといけないよな。私は財布を取り出そうとしたが――
「いや、めずらしいと思ってな」
「めずらしい、ですか?」
「そう。本当にめずらしい」
料理人じゃなくて店長さんなのかもしれない。顎に手を当て、値踏みするように私をジーッと眺めている。
「……ひとつの可能性か」
「?」
「お代は要らない。戻るなら、そこの出入り口から出て行けばいい」
ガタイのいい店長さんは握りこぶしの親指だけを伸ばして自分の背後を指し示す。
入ってきた覚えはないけど、あそこが出入り口なのだろう。
「なんかもうしわけないですね。タダで飲み食いしちゃったみたいで」
「構わんさ。いずれ、またどこかで会うかもしれないからな」
威厳はあるが、その裏にはやさしさが溢れているような感じを受ける。この店長さんは、このお店も、店に来るお客さんも大切にしているんだろう。私も、その中に含まれているのかもしれない。
「じゃあ、そのときはまたよろしくお願いします」
「気をつけてな」
私は店長さんに何回かお辞儀をしながら、店の出入り口から外へ出ようとした。
「マスターがあんなこと言うなんて、今日は雪でも降るんじゃないか?」「違いない! がっはっはっ!」痩せた男と太った男が私の様子を窺っていたのだろう、奥の方でそんな会話をしていた。
へぇー、店長じゃなくてマスターなのか。
私は、何だかたのしそうな雰囲気に思わず笑みを浮かべると、振り返ることなく店をあとにした。
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