ある魔法使いの苦悩⑦ 開かない宝箱の中身

 私の目の前にはザ・宝箱といったものが置かれている。


 造りとしてはしっかりとした金属製の箱で、大人でもひと抱えはありそうな大きさだ。持ち上げたらとても重たそう。魔法使いの私にそれをやれというのはさすがに酷というものだろう。


 見えない足場の先にある高台はあまり広くなく、両側の壁が奥へ向かうほど尻すぼみになっていた。奥へ行くほどにかなりの傾斜がついていて、最奥にはここが終着点とばかりに小さな空間が存在していた。その中に、この宝箱がひとつだけポツンと置かれていたのだ。


 亀裂の手前からサラが指差した時に見えたのはこの空間で、その一部だけが顔を出していたようだ。


 私はサラに言われたからここにあるこの個室を認識できたけど、先に来ていたという冒険者たちは良くあの距離から気がついたものだ。さすがに盗賊ともなれば、どんなに距離があってもお宝の匂いを嗅ぎつけるのがうまいのかもしれない。


「さて、どうしたものか」


 宝箱を目の前にしたら、もう開ける以外に何もやることはないのだが、これがまた開かないから困ったものだ。


 鍵がかかっているようには見えないんだけど、しっかり固着してしまっていて私の腕力じゃピクリとも反応しない。


 実は鍵がかかっている。魔法で封じられている。錆びついて開かない。腕力値の高い戦士とかドワーフに任せる案件だった――いくつか候補があるが、いずれにせよここまで来て宝箱を開けることができないのはちょっと残念だ。


 それと、お宝を前に気を抜きすぎてしまっていたが、もしこのお宝が宿の女将から聞いた冒険者が魔物の反応を示していると言っていたそれだったら迂闊だったかもしれない。うっかり開いてしまって、とてつもない力量差の魔物が中に封じられていた場合、何もできずにそのまま戦闘不能とかになっていたかもしれない。


 それはたまらない。ここは開かなかったことは逆に運が良かったのだと解釈して感謝しておこう。


 私が宝箱と戯れて悪戦苦闘している間、サラはこの空間の中でソワソワしていた。宝箱を私が占拠してしまっていたのでやることがなかっただけかもしれないが、あちこちの壁や床をペタペタと触っていた。


 とても興味があるようで、うーん、とか、ん〜、とかいう声が聞こえてきていた。


「……はぁ、ダメかぁ!」


 私は宝箱を両の足で挟んで固定して、ぐぐぐっと力を込めて無理やり開けてみようともがいてみたのだが、敢えなく撃沈した。


 ただただ疲れた。


 洞窟内のここに至るまでの道中はひんやりしていたから良かったけど、ここに来ていきなり汗びっしょりだ。逆にひんやりが少し寒く感じるほど。


 ドサッと腰を下ろして、私は頑固な宝箱を一度意識から外しておもむろに天井を見上げた。


 照明装置の光が届くほど低い天井は、壁と同じように大小さまざまな塊同士が隙間なく結着している。小さな半ドーム状の小部屋で、ちょうど雪で作ったかまくらの中にいるような感じか。


 狭くもなく広くもなく、照明がなければ明るさはゼロに近いが、こもって何かを研究とかするのにはもしかしたらピッタリの場所かもしれない。魔物はいないし、見えない足場のせいでここに来られる人はほぼいないだろう。


 もし魔法開発の成果を問われる日が来て、王都を追い出されたらここに籠もるのも悪くないかもな。


 私はふと考えついたあまり良くない未来に、ぶんぶんと頭を振って打ち消した。弱気、良くない!


 ……しかし、せっかくお宝に巡り会えたというのに、ここで足止めかぁ。


 道中は順調に進んでいたので、まだ時間はそれほど経っていないと思う。夜中になってしまうと何が起きるかわからないので、まだしばらくは粘れるだろうけど、それでもあまり極端な長居はできない。サラもいることだし、夕方の時間帯には最低でも村には戻りたいところだ。


 こんな時にそれこそ盗賊の知り合いや、解錠魔法が使える鑑定士か魔法使いの仲間がいれば良かったが、あいにくぼっちの私には協力者は皆無だ。そして、私は解錠魔法が使えない。なんて巡り合わせの悪いことか。


 私が、さて宝箱をどうやって開けてやろうか、と算段をしていると、不意にサラが私を見下ろしていることに気がついた。


「どうしたの、サラ?」


「ファーレン……わたしが、開けてみてもいい?」


「サラが? いいけど、とっても固いよ?」


「うん」


 サラは私の横まで来ると、スッと手を伸ばして宝箱に触れた。



 ――カチッ!



 えっ、嘘! 今の鍵が開いた音か?


 サラが触れた途端に宝箱が一瞬だけわずかに赤く発光したように見えたが、今は成り行きに興味が引かれてしまう。


 鍵の開いたような音がしたが、いきなり宝箱から魔物が飛び出してくる、とかそんなことはなさそうだ。


 しばらく何も起きない。もしかしたら、何も起きないのか?


「……開けていい?」


「ああ。一応気をつけてね」


「うん」


 そしてサラが宝箱の上半分のフタ部分の両側に手を当てて軽く掴んだ。そして、そっとそれを持ち上げる。


 あれだけ頑固だった宝箱が、まるで最初から拒む意思などなかったかのように、簡単にその頑なな心の扉を開いたかのようだった。


 淡い光が隙間から目に飛び込んできた。


 蝶番に合わせてゆっくりと開いていく宝箱のフタ。そして、その内側に閉じ込められていたものは――


「……えっ!」


「わたし……?」


 そこにはサラと同じ背格好の少女が、膝を抱えてまるで胎児のように丸まって収まっていた。


「なんで、サラが……いや、それより大丈夫なのか!」


 私はこの子はサラとは別人で、何かの事件に巻き込まれて宝箱に入れられてしまったのかと考えた。だとすれば、もう手遅れかもしれないが、まだ生命を救えるかもしれない。


 反射的にその子に手を伸ばして身体を拾い上げようとしたが、「熱っ!」あまりの熱さに触れることができなかった。


 なんだ!?


 外から宝箱に触れていた時にはなんでもなかったが、中はあまりにも高温だ。収められている女の子は火傷をしているとかそんな様子はないのだが、うっすらと赤い光をまとっている。この光そのものが熱を持っているのかもしれない。


 私が手を伸ばしたり引っ込めたりしていると、サラが女の子を見つめて立ち尽くしているのが視界に入った。


「サラ……?」


 無表情でジーッと見つめているだけで何の反応も返してくれない。


「……サラ、キミはもしかして」


 良く見ると、サラの身体全体が宝箱の中にいる女の子と同じ赤い光で覆われている。立ち上がっているか丸くなっているかの違いだけで、完全に瓜二つだ。


 淡紅色のワンピースに、真っ黒な腰までの長さの髪。目を閉じているので瞳の色はわからないが、ここまで整っていれば恐らく同じように黒い瞳なのだろう。


 疑いようがない。


 理由はわからないが、この宝箱に収まっている女の子はサラそのものか、サラの関係者であることは間違いない。


 ドッペルゲンガー、ふとそんな単語が頭に浮かんだ。


 姿かたちがまったく同じ存在が、どんなに離れた場所であっても同じ時間に発見される。世界には自分と同じ姿の者が三人いる。ドッペルゲンガーに出遭うと、本人はその存在を乗っ取られて――死ぬ。



 ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ――



 ふと自分で思い出した言葉に身震いする。それじゃあ、サラが死ぬってことじゃないか!


「ファーレン」


 無表情のまま、サラの口が私の名を呼ぶ。


「……なんだい?」


「わたしは、わたし」


 目線は動かさない。ずっと箱の中の少女を見つめたままだ。


「……でも、この子もわたし」


 私は言葉に詰まる。


 今、運命が変わる瞬間に立ち会ったような感覚がある。私の目の前で、普通じゃない現象が起きつつある。


 洞窟の前で偶然あった少女。そして、その奥の宝箱に収められた少女。魔物の反応を示していたその宝箱に入っていたのは、今の今まで私と一緒に行動をしていて、今目の前にいるサラだ。


「なんだか……なつかしい」


そう言って、サラはやさしそうな笑みを浮かべて屈んだ。スッと両手を伸ばして、愛しい存在を抱き寄せるようにその身体に触れる。


 ふたりのサラが、より強い赤い光で覆われていく。さっきまでの熱量はもう感じない。


 私はふたりに触れるのはいけないことだと本能的に感じたので、今やひとつの球体ほどに大きくなった赤い光をただ見つめていた。


 するとある程度の大きさになったところで、赤い光が激しく明滅し始めた。それはそんなに長くは続かなかった。


 やがてシャボン玉が弾けるようにパチンッと光が拡散する。キラキラと舞うそれは、あたかも焚き火で弾ける火の粉のようであった。


 キレイだなぁ……


 場違いかもしれないけど、私はその様子をずっと見ていて心の中に平穏が訪れたような感覚を受けていた。今まであった、自分に対するマイナスの感情が消え去っていく――そんな感覚だ。


 魔法開発の失敗なんかどうでもいいじゃないか。


 仲間が去ってぼっちになってもいいじゃないか。


 何もかもうまくいかなくても、今私がここにいて生きている――それでいいじゃないか。


 今までの自分が、とてもちっぽけな考えに支配されて、そんなことしなくてもいいのに縮こまって生きていたということが恥ずかしくなっていた。


「ファーレン」


 サラの声が私の脳裏に響く。


「……いい笑顔だ」


 私が微笑みかけると、今まで口元にだけ笑みを浮かべていたサラが、正真正銘の笑顔を浮かべていた。


「ありがとう」


 そう言って、”真紅の瞳”で私をジーッと見つめた。

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