第147話 おなおし
「念のために聞くけど、それ、ワザとやっているんじゃないよな?」
「う、うん」
てへへとばかりに首をかしげるタイタニアの子供っぽい仕草で、彼女がふざけているわけではないと分かった。
鳶色の長い髪が乱れていて、かんざしがずり下がって落ちそうなのは……良しとしよう。お風呂あがりの彼女の様子から致し方ない。
だけど、浴衣の重ね方が左右逆なのは分かるだろうと思う。
だってさ、浴衣には細い紐がついていてそこを縛ることで固定するんだ。前に紐が出ていて、結べないことなんて一目瞭然だろおお。
浴衣付属の紐は垂れ下がったままで、帯だけはちゃんと締めている。
腰から下もちぐはぐになっているし……。
「兄ちゃん、いつの間に嬢ちゃんに襲い掛かっていたんだ?」
クラウスが上から下まで軽くタイタニアの姿を眺めた後、ボソリと呟いた。
「待て待て。俺はずっとここにいたじゃないか!」
こいつはどうしたもんか。
タイタニアの前までテクテクと進み、自分の浴衣に手をかける。
「そこから伸びてる細い紐はこういう風に結ぶんだ」
前をはだけさせ、タイタニアへ自分の浴衣の結び目を見せた。
「そうだったんだ……」
目に見えてしゅんとなるタイタニアへなんだかこっちが悪いことをしている気になってくる。
叱られた子猫みたいに小さくなる彼女へお父さん的な庇護欲がむくむくと湧き上がったきた。
が、しかし。
「マルーブルク、タイタニアの浴衣を整えてやってくれないか?」
「だ、ダメです! マルーブルク様になんて、恐れ多いです!」
「だってさ、ヨッシー」
やれやれと残念そうに肩を竦めるマルーブルクだったが、その顔! ちっとも困ってないだろ。
それどころか、楽しんでる。絶対にこの状況を楽しんでいるよ彼は。
しっかし、こういう時嫌がおうにも身分ってのを思い知らされるよなあ。
俺個人としては、身分制度に馴染みがないしサマルカンドの人たちはみんな上も下もないと思っている。
獣人達はその辺俺と考えが似ていて、彼らは族長制度を敷いているもののお互いに敬語は使わないし、敬意は払うが身分が高いから敬意を払うのではない。
個人として尊敬できる者は敬うし、尊敬もする。
牧歌的で家族的な社会だというのが俺の認識だ。
一方で公国は貴族制度を敷いていて、ハッキリとした身分の違いがある。
マルーブルクが身分制度を煙たがっているきらいがあるので、彼と話をしていても身分の違いを意識することはほとんどない。
じゃあ、俺個人として公国の身分制度を変えたいのか……というと首を捻る。
公国には公国の習慣があり、常識が信じる神だってあるんだ。それを俺がこうしろなんて言うつもりはない。
「そんなに悩むこともないんじゃない? タイタニアは嫌がっていないよ」
何を考えているのかよく分からなくなってきたところで、マルーブルクの声が俺の思考を中断させた。
「フジィに迷惑ばかりかけちゃってるよね」
「いやいや、そんなことはないさ。二階でもう一度、着つけをしよう」
俺が嫌だからやりたくないわけじゃなくてだな……むしろご褒美なんだけど……いや、そういうわけじゃあなくて。
ああああ。
俺だけ恥ずかしがっているのがバカみたいじゃねえか。
邪念を振り払うようにブンブンと首を振り、タイタニアの手をそっと握ると彼女はひまわりのような笑顔を浮かべ俺の手を握り返してきた。
◇◇◇
二階にあがり、タイタニアの部屋へ彼女と一緒に入る。
彼女の部屋はとにかく物がない。ベッドとクローゼットに幾つかの服。後は、立てかけているショートソードと長弓くらいのものだ。
といっても彼女が特別変わっているのかというとそうではない。
ワギャンの部屋も例の形見の品物を除き、彼女と似たような感じだから。
俺? 俺は元々小物類を集めるのが好きではない。
小物が嫌いなのではなく、一度買ってしまうと捨てられなくなってしまうからだ。
その反省から、ここに住み始めてから物を増やさないように努力している。それでも幾つか部屋を飾る品物が置かれているんだけどね。
俺のことはともかく……タイタニアが物を持たないのは公国の事情が大きく関わっている。
明日生きているのか分からぬ世界、悲壮な覚悟で平原に来た彼女を含む公国の兵士達が、小物類を集めて部屋に飾るなんてことができるわけがない。
やろうとも思わないだろう……。
上から目線で申し訳ないが、俺は彼女らが部屋を飾ることに楽しみを覚えるようになって欲しいと願っている。
そうなって初めて、彼女達が本当の意味で「平和な世の中」を謳歌することになるのだと信じているから。
「帯を外していいかな?」
タイタニアの後ろに立ち、彼女へ問いかける。
前を向いたまま彼女はこくんと頷きを返した。
う、うう。
ここから見下ろす風景は俺にとって毒だ。
うなじが……浴衣だとなんでこんな艶めかしく見えるんだろうな。
帯に手をかけするすると帯を外すと、タイタニアの浴衣がはだける。
ん、肩に何もついていないな。
「水着は着てないないの?」
「うん。最近暑くて」
「あ、確かに」
水着じゃあ蒸れるよなあ。
って、ちゃんと下着は着ているんだろうな……。さすがの俺も下に何も着ていないとなると。
「サラシを巻いているの。ちょっと暑いけど、そのままだと痛いから」
「あ、う、うん……」
生々しいことを聞いてしまった……。
そこは言っちゃあいけないことだぞ。
前を向かせて、浴衣の紐と紐を結ぼうと紐を掴む。
変なところに当たらないように、なるべく彼女の肢体から目を逸らしつつ紐を結ぶ。
「フジィは、わたしのこと……たまに避けてる?」
集中力がいる時にタイタニアがドキリとすることを呟いた。
「いや、そんなわけはないけど」
「フジィに嫌われているんじゃないかってたまに不安になるの」
「嫌いだったら、一緒に暮らそうなんて言わないからさ」
「そ、そうだよね。ごめんね。変なこと聞いちゃって」
「いや、何でも言い合えるようにしようって二人で決めたじゃないか。だから、言ってくれて嬉しいよ」
「うん!」
ふう。ようやく結ぶことができたぞ。
ここまできたら後は楽勝だ。
ちょいちょいっと着つけを完成させ、今度はタイタニアを椅子に座らせる。
櫛でタイタニアの髪の毛をとかし綺麗に整えていたら、またしても彼女がボソリと呟く。
「わたしが女だからなの?」
「え?」
タイタニアなりにずっと何が原因か考えていたのか。
まさにそれが正解だ。ようやく分かってくれたのかタイタニア!
「クラウスさんがね、言っていたの」
そこかよ!
やっぱり分かっていなかったのかあああ。クラウスからの受け売りなのね……。
頭を抱えそうになる俺に対し、タイタニアは言葉を続ける。
「裸を見たり、見られたりするのは恥ずかしがるものなんだって」
「そうだな。うん」
「『普通は逆だけどな』とかいって笑っていたけど」
「ははは……」
駄目だ。
彼女が理解する日はまだ先のことのようだ。
クラウスもどうせ言うならもっとハッキリと言ってくれないとタイタニアは理解してくれないぞ。
そこまで考えたところで、親指を立てるニタニタした笑みを浮かべたクラウスの顔を幻視した。
「お前さんが言えよ。兄ちゃん!」って言っているかのように。
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