F
桜蔵は、ふんふんと鼻歌を唄いながら、作業をしていた。
そこは、バスルーム。
そして、目の前には、珪の服。
白ばかりを選んで、山積みになった服を見下ろし、小首をかしげる。
「ん~……」
少しばかり唸った後、今度は、服の隣に並べた3色の染料を見つめた。
「よし!3つに分けよう!」
桜蔵に悪魔な笑みが浮かんだ、その時だった。
ズボンの後ろポケットに入れていた携帯が、メロディを奏でた。
「あ、珪ちゃんだ」
メロディで判断して、受信したメッセージを開く。
件名・ごめん、桜蔵
内容・COSMOS
それは、緊急時には、お互い送ろうと決めていたメール。
できれば、一番見たくないメール。
携帯を見つめ、桜蔵の表情は凍りついた。
しかし、すぐに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。数時間前に、珪と交わした会話を思い出して。
―― ねぇ、ねぇ、ねぇ!珪ちゃん、俺、いーこと思いついた!
―― いやな予感がするのは、気のせいか?
―― もし、ミニアキが、サクやアキの関係者なら、今度の仕事、侵入するのに協力してもらおうよ
―― どうやってよ?そのためには、俺たちの正体をバラす必要があるだろ?
―― 大丈夫だって!
商店街の総菜屋で、いくら待っても珪は来なかった。しかも、電話をすると、途中で、慌てたように切られてしまった。
「珪ちゃんが、今、そんなに必死になるものなんて……」
EYESROIDと――――。
「ミニアキ……?」
この仮説が正しければ、納得はできる。
「2回目に電話した時は、落ち着いたカンジだったし」
姿を見つけて、慌てて追いかけて、追いついて一緒にいるのだとしたら。
桜蔵の目の前には、山積みの白い服と、3色の染料。
「さすが、珪ちゃん」
バスルームはそのままに、桜蔵は、踵を返した。2階の自室に行き、仕事道具を取り出す。
LAB-SA―――その場所に行くのは、今回で2回目。
どこに何があるのか、どういうシステムなのか、何が必要で、どの経路が最良なのか。すべて覚えている。それが、サクラのいた場所だから。
今までと同じに、珪はシステムを担当していて、桜蔵が侵入をした。
LABの研究室は、廊下に面してアクリル板がはめ込まれていて、桜蔵が行けたのはそこまでだった。なぜなら、サクラに止められたから。
そこで、アクリルの板越しに話をしたことを、今も覚えている。
「彼」を盗みに入ったのに――――。
―― 俺は、ここを出られない。ごめんな、――
その頃は、まだ、桜蔵は元の名前のままで、いつもその名前を正確には呼ばれないのに、そんな時に限って、真剣な顔をして、呼んでくれたのだ。
サクラの真剣な思いが伝わってきて、納得はできなくても、理解するしかなかった。
―― わかった……。コーヒー用意して待ってるから……きっと、また遊びに来いよ? ――
その時、自分がどんな顔をしていたのか、桜蔵は全く覚えていない。ただ、ひどく胸が苦しかったことは、記憶している。それから、サクラの顔。その名前の通り、桜の花のような、穏やかで凛としていて、どこか淋しそうに、彼は笑っていた。
「取り返す……!」
桜蔵の灰色がかったターコイズの瞳が、鋭さを帯びる。仕事用の黒の上下に着替え、珪の作った特殊なゴーグルをつけて、手によくフィットするグローブをして。
珪ならば、自身が持っている携帯につけられた発信システムを起動させているはず。そしてそれを、ここのPCへ送っているだろう。
桜蔵は、1階に戻ると、PCの前に座った。いつになく真剣なまなざしで、それを見つめる。
珪のケータイから発生している、赤い点滅。その情報は、今、桜蔵のPC上にあった。PCには、LABO の見取り図。そこを、赤い点滅が、線を描きながら進んでいく。
珪が辿った道と、桜蔵の集めた情報とが混ざり合い、彼の頭の中で映像となる。頭の中で、今、桜蔵はLABO内を歩いていた。
辿り着くのは、数年前の目的地。
建物の見取り図を頭に焼き付けて、必要な道具は、服のポケットに装備して。
「さあ、珪ちゃん、リベンジだ」
* * * *
「(まさか、またここに来ることになるなんて……)」
国際政策機関・陸軍研究部LAB――――軍の一地方支部の敷地内に静かに佇むそこは、存在の秘密性のためか、それが森の中にあるためか、周囲に人はいない。今も、昔も。
もう少し歩けば、緑化された屋根と、白の半ドーム状の建物が見えてくる。それが、LAB――――サクラのいた場所。
珪は、懐かしさよりも多くこみ上げる、悲しみと後悔とに俯いた。
あの時も、いつものように自分がシステムを担当して桜蔵が侵入した。サクラとの会話を、イヤホン越しに聞いていて、何もできなかったことを、強烈に覚えている。
白い外壁、いくつも棟を連ねた建物、中に入れば、明るい色の木の床とクリーム色の廊下が迎えてくれる。
記憶のままの場所。
そして、おそらくは、桜蔵が通ったであろう経路を歩いている。ここは、元々人通りも少ないが、少年は、更に人目につかない場所を選んで歩いているのだろう。全く人に出会わない。それでも、監視はされているはずで、珪は俯き気味のままで歩いた。
「ここです」
少年が、立ち止まる。
顔を上げて、目の前の光景に、珪の胸は苦しくなった。
壁に嵌め込まれた透明なアクリル。その左横に扉。珪の目の高さに、ネームプレートが貼り付けられていた。濃い灰地に、白い文字で「SA」とだけ。
取っ手部分には、ちょうど、大人の掌ほどの幅の黒いプラスチック機器がつけられている。主のいない部屋にかけられたセキュリティーロック。
何年前になるのだろう。桜蔵は、ここで、透明な板越しに一人、サクラに対面して言葉を交わした――――最後の言葉を。
桜蔵が行けば、きっと帰ってくる。そう信じていた。おそらくは、桜蔵自身も。
もっと、方法があったのではないか。
もっと、かける言葉があったのではないか。
もっと早く、気付いていれば――――。
一緒に行っていれば、桜蔵一人に、背負わせることもなかった。
すべての後悔が、もう、遅い。
「どうぞ」
少年の声に、我に返る。
彼は、扉を開けて、不思議そうにこちらを見上げていた。
「あぁ」
中は、サクラらしく、きれいに整えられていた。
主がいないはずの部屋なのに、空気は清々しく、埃ひとつない。中をぐるりと見回せば、監視カメラを2台見つけた。
「見られてんだけど、思いきり」
「見られてる場所に、博士の友人を連れては来ません。博士が言っていました。何年か前から、切れたままなのだと」
言われて納得する。つまり、前に侵入した時のままだったのだろう。そして、主がいなくなって、使われなくなった。
話の間に、少年は、アクリルの透明な板を、スイッチを切り替えて、白く濁した。万が一にも、外から見られないために。
慣れた様子で部屋を歩く少年を、珪は、扉の傍に立ったまま目で追った。
少年は、両開きの扉が付いた白い木製の棚から、円柱状の透明なケースを取り出した。高さが10センチ程のケースの中に、浮かぶようにして、小さなチップらしきものが収められている。
「……これ」
珪は、少年の差し出すそれを見て、目を丸くした。
―― まぁ、あれよ。言えない人たち ――
あの時、哲が作っていたものは、これに近いものではなかったか。
少年から受け取り、じっくりと眺める。
「これが……最後の仕事」
「はい。人体に埋め込んでも、何の影響もないもので、尚且つ、個人の情報を書き込めて、監視ができるものです」
その説明は、どこかEYESROIDに近いものがあった。
「この物自体は、公表されていません。軍の中でも知っているのは、ごく一部のみです。これから、上がどういう使い方をするかはわかりませんが」
「アキはきっと、最後まで、すべては説明をされてないだろうな。プログラムも、おそらくは、ほとんど関わってないだろう」
「これは、サンプルですが、サクラ博士に言われました。哲博士のこの発想がなければ、サクラ博士はここで働くことはなく、僕も、生まれていないと」
サンプル、発想――――これらの単語に、珪は昔を思い出して小さく笑った。
哲がいて、サクラや自分がいて、まだ、昔の名前のままの桜蔵がいて、4人で、くだらないことを思いついては、夢中で話をしていた。
「サクが、一度話してたな」
「博士が?」
「ヒトが生まれる過程に、少し手を加えてっていうの。俺たちのサンプルくれって言いだしてさ。昼間っから、酒も入ってないのに、アヤシイ話になって……って、お前には、まだ早かったな。悪い……」
少年は、友人によく似た瞳で、じっと珪を見つめていた。
「僕は、サクラ博士のその発想から造られたんです。それを記していたのが、書店で見つけたあの本で、どうしても手に入れたかった。僕は、ヒトが生まれる過程に手を加えて造られた、軍の、いえ、国際政策機関の極秘特別隊。人工生命体です」
珪は、信じられない思いで、目を丸くして少年を見つめた。
「あなたの手の中のそれが、今、僕の耳の後ろに入っています」
少年は、金に近い茶の髪をかき上げて、耳の後ろを見せた。
「(アキの奴、絶対イヤだって言ってたのに、いつの間に……)それじゃ、お前、まさにミニアキ……」
呟いて見つめる少年の耳の後ろには、機械的な模様が、指先ほどのサイズで描かれていた。
「監視か……」
モヤモヤする嫌な気持ちを、珪は、言葉と共に吐き出した。
少年は、それをまるで気にすることもなく、話を続けた。
「哲博士が残していったものが、もう一つ……。来る前にも話しましたが、パソコンの中に、どうしても開かないファイルがあるんです」
少年が、PCの前のデスクチェアによじ登り、膝立ちで、慣れた様子で操作する。
珪は、少年の後ろに移動して、デスクトップを見下ろした。
「あ」
表示された、画面を占めている写真に、思わず声が出た。
「何か?」
少年が、不思議そうに振り返った。
「いや……続けて」
苦笑いを浮かべて、珪は眼を逸らした。
トップ画面には、一人の小柄な男の後ろ姿。
「(昔、俺が勝手にカメラを使って撮った、桜蔵の後ろ姿だ)」
珪は、懐かしさに微笑んだ。
「(そうだ!T‐MAIL)」
桜蔵なら、SOSメールを見た時点で動き始めている。珪には、その確信があった。根拠はないが、間違いなく動いている。
「これです」
少年は、PCの画面の中に小窓を開いていて、その中の一つのファイルにポインターを合わせていた。
「T」と名付けられたファイルが、そこにあった。
桜蔵に言わせると、
―― 「T」はアキのT! ――
いくら珪が、アキなら「A」だと言っても、
―― アキの名前は、「哲学」の「哲」だから、「T」でいいの! ――
と主張している。そのため、件名が「T」だけのメールを、哲からのメールだと判断して、2人は動いているのだ。
珪は、少年と代わり、椅子に座った。
「(まずは、俺の仕事……)」
珪は、「T」ファイルの前に、この施設のシステムをいじり始めた。
少年は近くの椅子を引きずってくると、また膝立ちになってPCを覗く。そして、そこで目を丸くして動きを止めた。
「何を、して……」
「やってることが違うってわかるんだな?さすが、アキのDNA」
PCから目を離さずに、珪は独り言のように感心をして呟いた。
「いえ、それより……」
「いいことを教えてやろう」
作業の手は止めることなく、一度だけチラリと少年を見て、ニヤリと笑う。
少年は、不思議そうに珪を見た。
「俺たちは、ドロボーだ」
「たち?哲博士や……」
「違う、違う。俺と、もう一人」
「もう一人って」
「あのアルバムの、写真を撮った奴だよ」
「それって……」
途惑う少年に、珪は笑みを深くした。
桜蔵は、近くにいる――――珪がそう思った時だった。
扉の開錠音が、部屋に響いた。
慌てたように振り返る少年が、珪の視界の端に映った。
入ってきたのは、小柄な白衣の男。小さな顔に、ゴーグルをつけている。少年は、眉根を寄せた。見たことがない男だ。
一方で、珪は振り返りもせず、口を開いた。
「もうちょい待ってくれる?桜蔵」
白衣の男・桜蔵は、ゴーグルを押し上げて、冷たく珪の背中を見下ろした。
「その前に、何か言うことない?珪ちゃん」
「……ごめんなさい」
「よしっ!」
桜蔵は、そこでようやくスティックメモリーを珪に手渡した。
「ミニアキ」
視線も体も珪へ向けたまま、今度は少年へ声をかける。
「ミニ……」
声を聞いて、少年は思い出していた。今、見上げているこの小柄な男は、書店で会った人。
「(博士と同じ名前の人だ……)」
少年の視線の先、桜蔵は不敵な笑みを浮かべて振り返った。
「俺から何か盗ろうなんて、百年早いよ」
そして、再度、珪に向き直ると、眉を吊り上げた。
「珪ちゃんも!何で知らない人についてっちゃうの?!子どもじゃないんだからね、も~~!!」
「……ごめんなさい」
苦笑いを浮かべて、珪が、2度目の謝罪を口にする。
「バカはアキとサクだけで十分だってば……」
説教に変わりはないが、目の前に珪がいることで安心したのか、桜蔵の声が、泣きそうな響きに変わった。
珪が立ち上がり振り返ると、声の通りに、泣きそうな顔で怒っている彼がいた。
「もうしないから」
優しく微笑んで頭を撫でると、照れくさそうに、しかし、不貞腐れ顔で振り払われた。
「さぁ、盗るモン盗ったし、帰ろう、桜蔵」
珪が、スティックメモリーを差し出す。
桜蔵の機嫌は、もう直っていた。珪からスティックメモリーを受け取り、服のポケットに戻すと、ふわりと柔らかに嬉しげな笑みを浮かべた。
「うん、帰ろう」
二人はそろって扉に向かった。
少年は、慌てて、開いたままのPCへ駆け寄った。デスクトップで「T」ファイルが開いていて、その上に中身の一つが別窓で開いていた。
幼いころの哲とサクラ、そして、あのアルバムの中の二人の写真が仲良く並んでいた。
「ミニアキ」
桜蔵が呼ぶ。
「ミニアキって何ですか」
少年が振り返ると、扉の傍で、二人が待っていた。
「アキのミニチュアだから、ミニアキ」
この人に当然のように返されると、何故か、反論できない。
「行くよ?アキん家帰るんでしょ?送ってく」
「でも……」
「はーやーく!」
少年は、開いたままのPCを振り返った。これは、開いたままにしない方がいいのだろう。そんなことを思案していると、今度は、珪に呼ばれた。やはり「ミニアキ」と。
「心配しなくても、それ、あと30秒しないうちに使えなくなるから」
珪は、ニヤリと笑っていた。
「盗るモン盗ったって言ったろ?早く来いよ」
少年の体は、自然と動いた。
来た時よりも足取り軽く、3人は、LABを後にした。
監視下にある森を抜けた、その瞬間、3人のお腹が順に音を立てた。
「ふふっ」
桜蔵と、そして――――。
「くくっ」
珪が、顔を見合わせて笑う。
「珪ちゃん、コロッケ、コロッケ~!」
「はいはい。おごります。おごらさせていただきます」
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