36.苦手なタイプ

 意外な言葉にカティヤは動揺した。まじめで有能なエステルや底抜けに人のいいミアならわかるが、なんで自分まで含まれているのだろう。あんなに嫌味ばっかり言ってたのに。


「この数か月、この屋敷の状況を観察していまして、またジェレミア様からの指示を聞くにつれて、お嬢様のお立場に関していささか心もとなく思うこともありました」


 リーゼロッテのことを愛称のリーゼと呼ぶのは、それをリーゼロッテ本人が望んだからだった。それ以上の意図がないことを示すかのように、本人がいない所では、ルイスはあくまで従者としての立場で主のことを呼んだ。


「お嬢様にはさらに味方が必要だと考えました。いままでお嬢様を守るために奥様がやっておられたことを受け継ぐ者が必要です」


 それは、感じていた。これまでリーゼロッテを母アリーシャがひとりで守っていた。ルイスは直接的な表現を避けているが、遺産の件で親族から孤立しているリーゼロッテの立場はいよいよ危ういものとなるだろう。


 義兄ジェレミアが保護者代理である以上、目立つ形で直接的な危害を加える者がいるとは思えない。

 が、彼は異母妹のしあわせなど微塵も頭になさそうだ。貴族の血を引く妹を、さらなる良家とつながるための手段としか考えていないのだろう。


 いまのリーゼロッテには、他に守ってくれる人が必要だ。

 だからといってこの男が信頼できるわけでもないが。


 カティヤの疑念を知ってか知らずか、ルイスは語りつづける。


「現在はお嬢様のことを親身に考えてくださる親族がおらず、おひとりで孤立しておられる状態です。誰かが味方になってさしあげないと、ご本人の意志はないがしろにされたまま、本家の意のままにあしらわれてしまう」


 エステルが大きくうなずいた。


「お嬢様が先代の遺産を受け継がれることは、広く世間にも知られています。いつどこで悪い考えを持った輩が接触してくるかもわかりません。ご安全にも気をつける必要があります」


 ミアも、こくこくとうなずいた。

 ルイスはそんなふたりのようすを見て、それからカティヤに目線をやった。


「僕はこの屋敷の運営をお嬢様のために行いたいのです。他の誰でもなく、お嬢様のご希望を尊重したい」


 青年の語りは淡々としていたが、ゆるぎなかった。お嬢様という言葉を口にするときに、わずかに熱がこもるように感じた


「ですが、ジェレミア様と契約を結び雇用されている以上、彼の意に反した動きをしていると判断されれば解雇されるでしょう。ひとりでやれることには限度があります」


 エステルはしきりにうなずいている。

 あたしだけはだまされるもんかという気持ちをこめて、カティヤは冷たい目を向けた。


 ふたりより理解力に劣るミアはぽかんとした顔をしていたが、「味方になってさしあげないと」の言葉にはっとした顔になり、ルイスの言った意味を自分なりになんとか飲みこもうとしているようだった。


「ここにいる四名には共通点があります。不遇な幼少期に亡き奥様に拾われて育てられた恩があることがひとつ。そしてなにより重要なのが、リーゼロッテお嬢様のことを心の底から大切に思っているということです」


「もちろんですわ」


 エステルが胸に手を当ててこたえた。

 とっさにカティヤはカッと口を開いて反論していた。


「いやさ、だからなんであんたまで数に入れてんの? そんな大事なことをあんたが仕切るの? あたしたち三人は何年もここで働いているけど、たった数か月の新入りなんて信用できないわよ」


 まずそこが納得ができないので、再度つっこんだ。

 ルイスはカティヤに目をやることもなく、手元の資料を眺めていた。


「一緒にいた年月の長さと想いの深さは、必ずしも比例するものではありません。あとは申し訳ありませんが、本筋からずれますのでいったん省略します。では、一の番号のふってある手元の資料をご覧ください」


「なっ……!」


 適当にあしらいやがった。彼はカティヤの扱い方をかなり習得したようだった。

 先輩に向かってその態度はなんだと言いかけたが、エステルににらまれて口を閉ざす。


「私たちは大切な話し合いをしているの。私情でまぜっかえすのはやめて」


 追い打ちをかけるエステルの説教がよりいらつく。


「お嬢様の教育係の任につくにあたり指標となるものが必要だと考え、奥様が生前にしたためられていた数年分の日記帳を拝見しました。お嬢様の養育に関しての奥様のお考えがうかがえる部分から、重要と思われるものをエステル嬢と相談していくつか抜粋し、皆さんにお配りしています」


「え……、勝手に人の日記を読んだの!?」


 主の日記を勝手に? それも妙齢の女性の日記を……?

 自分でもあまり常識がないほうだと自覚しているカティヤでさえ引いた。

 ルイスは悪びれもしない態度のまま、おだやかな黒い瞳を赤髪のメイドに向けた。


「現在の所有者でいらっしゃるお嬢様には許可を得ています」


「そりゃ、お嬢様はプライベートがどうのなんてまだよくわかんないからでしょ。お人よしだから聞かれたらよく考えもせずに『いいわよぉ』って言うに決まってるわよ。でも普通は恥ずかしくて見られたくないものでしょ」


 カティヤは口をすぼめながら、リーゼロッテのいとけない喋りかたをまねした。


「しかし、ご遺言を残されなかった奥様のお気持ちを把握する方法がこれしかなかったのです。ご本人のご意向を伺うことはできませんが、お嬢様のよりよい今後のために利用すると約束するなら許してくださるのではないでしょうか」


(気持ちの問題を言ってるのに、理屈こねて反論してきやがる……)


 つくづく苦手なタイプだわあ……と心の中でぼやきながらも、とりあえず配られた資料に目を落とす。


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