35.四人の密談
『お嬢様のお昼寝の時間になったら、三階の階段側の空き部屋にこっそり来てください。誰にも知られないように。大事な話があります』
家庭教師の青年がカティヤにささやいたのは、リーゼロッテが昼食をとっている時のことだった。
(あいつ、いったいなによ? 悪いこと企んでんじゃないでしょうね? それともまさか……いまさらつきあってくださいとか……?)
もやもやしながらも、なにが起こるのか知りたいという好奇心に負けて、カティヤは三階への階段を登っていた。
いま三階の部屋を日常的に使っている者はいない。リーゼロッテの父が残した調度品や美術品、書物などを収納・展示するための部屋が並んでいる。
屋敷の規模に比べて使用人が足りないため、いまは三階自体が封鎖されており、貴重品を収めた各部屋には鍵がかけられている。
そんなひとけのない所に呼び出すなんて、いったいなんの用だろう。
他の人に聞かれたくないことなんだろうか。そんなの悪事の相談か、はたまた恋の話しかないじゃないか。
こちらの好意を拒否したくせに、厚顔にもいまさらなにを言うつもりだろう。そんなに安い女に見られているのだろうか。
あっさりとふられた屈辱と恨みはまだ胸にしみこんでいる。
もしもいまさらあたしの魅力に気づいて、図々しく交際を求めてくるようなら、二度と立ち直れないくらいの悪態を浴びせてこっぴどくふってやろう。
そう息巻いて、しかし久しぶりの恋愛沙汰の予感に胸をドキドキもさせながら、指定された空き部屋のドアをノックした。
ルイスの声が応えた。
「どうぞ」
ドアを開けて、唖然とした。
「きたー! カティヤさーん」
うれしそうに力強く腕を振るミアと、
「遅いわよ。あなたが最後よ。早く座りなさい。ドアは静かに閉めてね」
いつもの調子でお小言を口にするエステルとが先にテーブルについていたのだ。
「ご足労いただき恐縮です。どうぞ、空いている席に適当に座ってください」
ルイスが淡々と指示した。ちらとこちらを見たきりあとは目も向けない。手元の書類をチェックすることに忙しいようだ。
そういえば、部屋の鍵はエステルが管理しているはず。彼女への相談なくルイスが勝手に使えるはずもなかった。
(なんなの、これ? なんの集まり?)
さっぱり意味が分からないまま、カティヤはミアの隣にほたりと座った。
四名の使用人が長テーブルについたところで、ルイスが口を開いた。
「お忙しい中、お集まりいただいて恐縮です。本日は、今後のお嬢様の教育と屋敷の運営について、みなさんと話し合いたくてこの場を設けました」
「ちょっと待って? なんであんたが仕切ってるの?」
カティヤが声をあげた。一番の新入りに主人や屋敷のことを仕切られるなど納得できない。
ルイスは慣れた様子でカティヤの言葉を聞き流しながら、手元の用紙をそれぞれに回し配った。
「もっとも適性のある者がその仕事をするほうが、効率よく進められると考えているからです。あなたがこの会議の切り回しを僕よりうまく務められるのなら交代します」
いつもと変わらないおだやかな口調で言った。
丁寧な態度が逆に嫌味に感じられた。生意気なと思うが、とっさに返す言葉は見つからなかった。会議の進行のような面倒くさそうなことはやりたくない。
腹立ちまぎれにひとつ舌打ちして、カティヤはそのままだまりこんだ。
カティヤの前に座っているエステルが口を開いた。
「私は、ルイス先生のご先導に従うのが最善だと思いますわ」
ブライトウェル公爵家に助力を願うことを提案し、手紙を送った本人であるエステルは、自分の思い切った行動の結果に深く満足していたし、ルイスに全幅の信頼を寄せていた。
命も危ないと思われたリーゼロッテが、彼が来た直後から回復に向かい、いまでは元気に駆け回っているのだから無理もない。
奥方が亡くなってからのエステルは、誰も頼りにできないと思っていたようだ。自分がこの屋敷とリーゼロッテを守らねば、なにもかもやらねばと、肩肘張っているようだった。
それがルイスのおかげで、いまはいくらか肩の荷をおろせているようだ。彼は有能だった。ブライトウェル家からの紹介状に書かれていたように。
この家庭教師は主の側にいない時は、他の使用人の仕事を手伝いながら、皆と親交を深めていた。さらに最近は、本邸に赴く用事のついでに、そちらの使用人たちとも関係を紡ごうとしているようだった。
この屋敷だけでなく、本邸の人々にも影響を及ぼしはじめているとは。まるでパンに生えた青カビがじわじわと広がっていくようだとカティヤは思った。そんなことをエステルに言ったら激怒されるだろうが。
ルイスは全員の顔を見渡すと、テーブルの上で指を組んで口を開いた。
「まずはじめに、率直にいいます。僕はエステル、ミア、カティヤの三名ことを、この屋敷の中で最も信頼しています。ですからこの四名で秘密裏に協力して、お嬢様をお守りしたいという希望を持っています」
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