7.魔法ってなあに?

 るらったらー るらったらー たららんらん


 メイドのミアは、屋敷の廊下をごきげんな鼻歌とともに歩いていた。

 両手で抱えた銀のお盆には、病み上がりの幼い主のためにシェフが考案してくれた紅茶がのっている。蜂蜜とミルクをたっぷり入れて、さらにホイップクリームをのせて、仕上げにシナモンをひとつまみ散らしてある。こってりと甘いデザートのような紅茶だ。

 昼食とお茶の時間の間に飲むには、少々、重いのではという意見も出た。が、結局、供されることになったその裏には、少しでもたくさん栄養をつけて欲しいという皆の願いがこめられていた。


 ミアは主人である女の子の部屋の前まで来ると、軽快にドアをノックした。


「お嬢様あ。お茶ですよお」


「はーい」


 部屋の中からは、はずむような子どもの声が返ってきた。

 扉を開けると、暖炉でぬくめられた空気とともに、リーゼロッテの笑顔が出迎えてくれた。彼女はもうベッドの住人ではなかった。背中を伸ばし、春空のように澄んだ青い目をぱっちり開いて、明るい窓際に置かれたテーブルについていた。

 長い白金の髪が日の光を受け輝いている。詩心に欠けるミアではあるが、このときばかりは、まるで昼間に見る美しい夢のようだという感想を抱いた。


 季節は移り、水仙月の中旬。冬の間は静かな白でおおわれていた丘の斜面の放牧地も、いまや鮮やかな新芽の絨毯を広げて、乳牛や羊や、農家の子どもたちをよろこばせている。

 リーゼロッテはだいぶん元気を取り戻していた。痩せこけていた顔はふっくらとし、丸みをおびた白い頬は、ほんのり桃色に染まっている。

 若干まだ骨ばって見える体に、装飾のない簡素な薄黄色の綿のドレスをまとっている。この服を着ているときの彼女は、陰でこっそり使用人たちから親愛の情をもって「ひよこ」と呼ばれていた。


 お茶の用意をするミアをしばし見つめたあとで、リーゼロッテは目の前に向き直ると、ちいさな唇を開いた。


「だって、パルムはまほうつかいなのでしょう? まほうつかいって、どうやったらなれるの?」


 リーゼロッテは、テーブルの上に立つ空色の猫のぬいぐるみに、まじめな表情で質問をしていた。

 ふたりの間には絵本が広げられている。パルムがリーゼロッテに読み聞かせていたものだった。写実的なタッチに幻想的な色合いをした挿し絵が広がっている。森を訪れた黒い巻き毛の青年が、紫の火の灯るランプを捧げ持つ魔女らしき年老いた女と会話をしているようだ。


 魔法使いに憧れる子どもの真剣な問いに、パルムは答えた。


「才能ですね。生まれつきの才能で、なれるかどうか決まってしまうのです。そして魔法の才能があるのはごくごくわずかな人だけなのです」


 リーゼロッテの顔に失望の色がありありと見てとれた。


「じゃあ、わたしはなれないの……?」


 ぬいぐるみに語りかけるリーゼロッテの顔は、表情豊かで生き生きとしていて、とても少し前まで命も危ぶまれていた病人だったとは思えないほどだ。

 弱っていくときもあっという間だったが、一度、快復し始めると見る見るうちによくなっていった。まるで健やかに背を伸ばす白樺の若木のように。

 パルムの功績だった。彼は辛抱強くリーゼロッテの枕元に付き添い、たえず様子をうかがっては話しかけ、少しずつ反応を引き出していった。

 

 まずは、再び眠ったきりにならないように語りかけながら、やさしく顔をなでた。

 痩せた手足が使わない間に固まってしまわないように、これからも自由に動かせるようにと、メイドにマッサージを指示し、指先などの軽い部分は自らもみほぐして刺激を与えた。


 子どもが目を覚ましたときには、顔色をみては、巧みな言葉でスープやホットミルクを勧めて栄養をつけさせた。

 長く目を開けていられるようになると、枕元で絵本を開いて読み聞かせ、部屋に飾ってあったぬいぐるみたちも並ばせておいて、滑稽な寸劇も演じて見せた。

 庭園につもる雪を割って咲いた可憐なスノードロップの花を、自ら摘んで贈った。まるで姫君に忠誠を誓う騎士のようなうやうやしいポーズで。


 そして、思わず笑わずにはいられないうわさ話から、神秘的なおとぎ話まで、様々なことを語り聞かせた。

 母親への思慕でいっぱいだった子どもの心に、空色の猫のぬいぐるみが、じんわりと存在感を増していった。


 次第にリーゼロッテは、毎朝、パルムが訪ねてくるのが待ち遠しくなっていた。

 パルムといると、楽しい。

 そう思ったときから、体も心も飛躍的に良くなっていった。


 ミアは、料理長特製の濃厚ミルクティーをテーブルに用意すると、しばらくの間そこに立ったまま、にこにことふたりの姿を見守っていた。

 その様子に気づいたリーゼロッテが、不思議そうに尋ねた。


「ミア、どうしたの?」


「あの、ここ、お茶、置いときます。無理しないで、のどが渇いたら飲んで休んでくださいね。もうしばらくしたら、おいしいおやつもできますからね」


 そう言うとミアは部屋を出て、また鼻歌をうたい、お盆をパタパタひらめかせながら、踊るように去っていった。


 テーブルの上では、パルム先生による魔法講座がつづけられていた。


「残念ながら、努力ではどうにもならないことなのです」


 ぬいぐるみは軽く頭をふると、難しそうな口ぶりで言った。


「基本的に、現代の魔法使いというのは、いわゆるおとぎ話の登場人物とは違うものだと考えてください。生まれつき才能を持った人が王宮に招かれて宮廷魔術師という身分となり、研究所に勤めて、人々の役に立つ魔法の研究と開発に専念することを求められるそうです」


 リーゼロッテは首をかしげた。けんきゅうじょ?

 それは、どういうことだろう?


「人々の生活の役にたつようなものはまだ少ないですが、いまは大量の物を一瞬で長距離移動させる魔法が活躍しています。その魔法を使うためには地中から掘り出した専門の燃料が必要なのですが、大変めずらしくて高価なのです。そのため便利な魔法といえど誰もが気軽に使えるものではないのです。それをもっと使いやすくするために研究がされているのですよ」


 よくわからないけど、魔法使いって、お仕事をしているのか。

 それは、なんというか、リーゼロッテの憧れている魔法ではない気がする。


「つまり、魔法使いとは、才能に恵まれた人がなるお役人であり研究者ですね」


 それから、聞こえるかどうかのちいさな声で「僕はちがうんですけどね」とささやいた。


 愛らしい見た目にそぐわず夢のないことを語るパルムの言葉に、リーゼロッテはがっかりしてしまった。

 難しい話だったが、魔法が自分のような普通の子どもに簡単に扱えるものではないことだけは、なんとなくわかった。

 魔法って、もっと、ロマンチックで神秘的なものだと思っていたけど。


「じゃあ、わたしはまほう、つかえないのね」


 しょんぼりとしてしまったリーゼロッテを、パルムは気の毒そうに見つめていたが、やがて考え考えするようにしながら語った。


「できますよ」


「えっ……? ほんとう?」


 リーゼロッテは、ぱっと顔を輝かせた。


「どうしたらいいの? つかってみたいわ」


 パルムはすぐには返事をせずに、机の上をゆっくりと歩いた。心なしか額の部分が、きゅっと険しく寄っているような気がする。


 どうしたのだろう?


 リーゼロッテが不思議に思いながら見守っていると、パルムはその短い足を止めた。


「ちょっとお勉強は休憩して、お茶にしましょう。それからお散歩にでも行きましょうか」

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