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六角橋には父と母の思い出のラーメン屋があったらしい。
僕はもう、そのお店がどんなラーメンを出していたのかを知ることができない。
時間の過ぎ方をオシャレに出来る人と出来ない人とがいる。
同じ時間をどれだけ濃く、有意義で、満足できるものにできるか。生きることが上手か下手かを測るのは野暮にしても、できるだけ目指したいクオリティ・オブ・ライフというものが各々にあって然るべきで、僕もそれなりに考えながら生活している。
けれど、それを達成できている人がどれだけいるか分からない。田舎に移住しただとか、仕事を辞めてフリーランスになっただとか、そういった派手なパフォーマンスでしか実現できない豊かさがあるのだとしたら、僕が志向するような上昇は、世間一般では上昇と見なされないものなのかもしれない。
オシャレな時間の使い方。
ノマド族がするように、喫茶店でパソコンを広げることがしばしばある。
大学生なのに。
コーヒーを頼むと待たされる。手持ち無沙汰なその時間を、何の恥じらいもなく過ごせるほど、僕は丁寧な人間ではない。
店の中をキョロキョロとしながら、オーナーが集めたらしい調度品を眺めて、感心しながら、感心している風なオーバーリアクションを取る。感心するという動作は内的なもので、他の動作と並立して運用するようなものであるだろうけれど、それしか他に『その空間で恰好がつく』タスクがないのだとしたら、感心する、という動作を特に立たせないといけない。となると、リアクションを取るという動作を丁寧にすることが、一番手軽で恰好がつくということになる。
「そういうの好きなんですか?」
挙動不審気味な僕を捉えたらしいマスターが、僕の前にコーヒーを置きながらはなしかけてきた。
「あっ、はい、そうなんです」
「この時計にどういう由緒があるのか、残念ながら私にも分からないんです。開店の時に、知人から譲ってもらったんですよ」
「そうなんですね・・・!」
机に向き直してコーヒーを啜る。まずはブラックでいただいて、それから砂糖を入れたりミルクを入れたりする。別にブラックでも飲めるけど、砂糖とかミルクがちゃんと入れてあるような、馬鹿っぽい味が好きなのだ。ここで飲まなきゃいけない理由は、それこそ作業スペースの確保にある。ほどよい緊張感がないと進捗が産めないタイプの人間なので、こういう時に難儀する。
ずぞぞ・・・。
横浜は歴史のある街だと誤解されがちだけど、その歴史とやらの大半は江戸時代後期以降に築かれたもので、史跡なんかだと型落ち感が否めないところがある。それでも横浜が価値ある文化都市だとされているのは、ひとえに史跡の見せ方がオシャレだからだと思う。
横浜には見栄を張るのが上手な人が沢山いて、都市を作っている。そういう後ろめたさがあるおかげか、排他的な接し方をする人は少ない。単に歴史がない都市共通の傾向であるだけかもしれないけれど、見せているもののわりに人々が横柄でないところは、褒めてもいいところではないかと思う。
でもそれは、裏を返せば都市から無言の『凄味』が伝わってきにくいということでもある。それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは人によって分かれるだろうけど、上手にプロデュースされている地区を抜けると途端に下町が始まるのは、歩いていて拍子抜けする部分ではある。
六角橋も、オシャレな地区を抜けてすぐのところにあるエリアだ。
僕にはあまり馴染みがない。神奈川大学だとか、そのへんの学生がよく使うエリアであると思う。ラーメン屋が多く、商店街が形成されていて、目新しいものや価値がありそうなものは、パッと見てみつけにくい。
それでも僕の父さんと母さんにとっては、ここは思い出の地らしかった。
デートでラーメン、しかも家系。
女性に疎い僕でも、ちょっと理解ができない。
母から誘ったのならまだしも、父が行きたいと言って譲らなかったらしい。
その店は六角橋にあって、もう現存しない。
何度もその思い出を話された。冬の寒い時にすすった豚骨スープは格別で、心から温まるような安心感があった。美味しいね、とか言い合いながら、狭いカウンターで肩を寄せ合って食べた。それからしばらく、ずっとその味が忘れられなかった――。
へえ。
横浜までデートに来て、赤レンガ倉庫とかマリンタワーとかを素通りして、豚骨ラーメン。
字面だけ見てるとちっともオシャレに見えない。
それでもふたりにとっては、その時間をいつまでも記憶して、20年たっても子供にくどくど語りつづけるくらいには、印象深いエピソードとして残っている。
きっと、それだけ充実していて、満足度の高い時間だったんだろう。
時間を丁寧に紡ぐこと。それ自体の答えは、人それぞれに違うものであるだろうけれど、ある人の価値観がメインストリームから外れているからといって、馬鹿にするのはよくないことと思う。
でも大抵の感動の根っこには、所作の丁寧さがあると思う。丁寧にその時間を想えているか、また想うことに根拠があるか。
僕はどれくらい、丁寧に生活できているだろうか。
コーヒーに払った700円で、ラーメンを食べることもできたと思う。
それでも、こんなことを考えられたのだから、その価値で考えるなら安いものだったかもしれない。
で、肝心の作業はちっとも進んでいない、と・・・。
秋の出涸らしみたいな風が枯れ葉をこすりつける音が聞こえる。この冬はしっかりと踏み固められた雪みたいな、充足の詰まったものにしたい、と抜けるような青空にポツリと思ったが、それはそうとして、今年もラーメンの美味しい季節がやってくる。
リサフランク 浅島 義俊 @asadziman
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