第264話 ドラゴンがこっちに突っ込んでくるわ

 恥っさらし——。


 クララはアスカの腕にぶら下がって(正確に言えば持ちあげられて)、すぐ真下にある海面を見ながらそう思った。あれだけヤマトに注意をされながら、自分はヘマをした。その結果、『ドラゴンズ・ボール』を手に入れ損なった。

 ヤマトは片手でアスカの腕に掴まったまま、もう一方の手のひらをじっと見つめている。おそらく一度は手にした『ドラゴンズ・ボール』の感触をあらためて感じ取ろうとしているのだろう。いや、先ほど刀で深々と切った傷の修復痕を確かめているだけかもしれない。

 どちらにしても、わたしのせいだ——。

 目指すものが手に入れられなかったのも、不要な怪我を負ったのも。アスカの計らいで、傷はクララ共々元通りになったが、ヤマトの表情はまだ硬いままだ。突然ヤマトが体調を崩した、とアスカは言っていたが、自分が原因の一部であることは否定できない。

 

 『ドラゴンズ・ボールをあきらめる』という決断をさせたのは自分だ。


 次善の策があるから無理しなくても大丈夫だ、とは言っていたが、たぶん、それはただの方便だ。

 実際には断腸の思いの上での決断にちがいない。


 クララは塔の先端を見つめた。弩級戦艦が塔にめり込んで、船体がゆっくりと折れ曲がっていく様子が目に映った。だが、そこまでだった。そのまま海に落ちそうな気配が感じられない。塔に突き刺さって固定しているかのように、船は浮いたままだった。

「タケル、あの戦艦、結構、粘るわね」

 突然、アスカが声をあげた。

「あぁ、そうだね。さすが超弩級戦艦、というところかな」

「残念ね。あたしとクララ、ふたり揃ってヘマしなきゃ、あの戦艦に直接とどめをさせたんだけどな。さすがにマナが足りないわ」

 その物言いにクララはすこし驚いた。責任を他人に押しつけたがるアスカが、みずからのミスを申告してくることはそうあるものではない。クララはアスカを見つめた。アスカはクララにさりげなくウインクをしてきた。

 話に乗っかれ、という合図に感じられた。

「アスカさん。わたしのせいで、本当にすみません」

「こっちこそ申し訳ないわ。タケルとあんたが、あれだけ頑張ったのに、うまくサポートできなかったからね」

 ふたたびアスカがクララだけにアイコンタクトを送ってきた。ヤマトの突然の体調不良を気づかっての配慮なのだと、クララも理解した。すくなくとも『ドラゴンズ・ボール』奪取の不始末は、自分たちふたりで被ろうというところか……。

「わたしもアスカさんに何度も助けてもらいながら、このていたらく。情けないですわ。タケルさんはまったく責任ないのに……」

 その言い方がすこしわざとらしいと感じられたのか、アスカが軽く首を横にふって、注意を促してきた。クララはアスカに空いているほうの肩を軽くすくめてみせた。

 ヤマトはそれらの一連のやりとりのさなかにも、一度も顔をあげようともせず、ずっと足元の海面のほうに目をむけている。海面からなにかが襲いかかってこないか注視しているようにも見えるが、その視線はすこしうつろに感じられる。心ここにあらずという状態が、いちばんしっくりくる。


「あれ。なに?」

 さきほどまでの掛け合いとはまったく異なる緊迫した口調で、アスカが叫んだ。クララがただならぬ気配に、すぐにアスカが顔をむけた方向を見た。

 なにかが海面をなめらかに滑空していた。


「あれ……、ドラゴンですわ」

 クララは叫ぶと同時に、尖塔にめり込んでいる弩級戦艦を仰ぎ見た。戦艦の周りにドラゴンが群がっているのが見えた。まるで息絶えようとしている獲物を狙っているかのように、おおきな円を描いて周回している。

「なんであれ一匹だけここに?。まさか、はぐれドラゴンっていうわけぇ」

 アスカが叫んだ。クララは果たしてそんな言い方があるのか、過去にあったのかは知らなかったが、間違いなく群れから離れて一体のドラゴンがそこにいた。

「はぐれ…ドラゴン……?」

 ふいにヤマトが反応した。ゆっくりと顔をあげる。

「タケルさん、ドラゴンが一体、この近くを飛んでます」

「ちがうわ。クララ。ドラゴンがこっちに突っ込んでくるわ」

 アスカがクララのことばを、逼迫ひっぱくした口調でただしてきた。思わず顔をむける。

 ドラゴンがまるでおおきなグライダーのように、すうーっと水面を滑空してくるのが見えた。

「アスカ、回避できないか!」

 ヤマトがしっかりとした口調でアスカに声をかけてきた。だが、アスカは即座に「無理よ」と否定してきた。ヤマトはすぐさまアスカのほうに顔をむけた。困惑したようなアスカの顔がこちら側に向けられている。

「ドラゴンなんて、どうやって倒すのよぉ」

「『龍の炎』とか『龍のいかずち』は?」

「詠唱が間に合うわけないでしょ。それにあんなおおきいヤツ、マナが足りないわよ」

「だったら光の矢はどうですの」

 クララはヒステリックな声をあげた。

「動いている物体に正確に当てる自信ないわ。簡単に言わないで」

「だったらスピードあげて、逃げるしかない」

「タケル、それこそ無茶よ。あたし、あなたたち二人を抱えてるのよ、こんな海のうえで放りだすわけいかないでしょう」

 

 シルエットで見えていたドラゴンが接近してきた。すでにそれが間違いなくドラゴンだとわかる距離。頭を海面側にむけて飛んでいる。

 クララはドラゴンの口に何かが挟まっていることに気づいた。

 それはどう見ても、人間の体のようだった

「ひとが食べられてますわ」

「ウソでしょ。あのドラゴン、人を喰うの?」

 ドラゴンが一直線にヤマトたちのほうへ突っ込んできていた。横たわった状態の人間が、ドラゴンの口に挟まれているのが確認できた。

「アスカ。一度、ボクたちを海へ放りだせ!。ひとりなら戦えるはずだ。そのあいだ、ぼくらは海のなかで堪えてみせる」

「アスカさん。そうしてください。このままでは三人とも餌食になりますわ」

 ヤマトとクララはアスカにむかって、一気にまくし立てた。

 アスカの手が緩む。

 

 その時、波音に混じって誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。

 クララは意味がわからなかった。ここにいる三人以外のだれかの声——。


「待って。だれか呼んでる!」

 アスカもその声を耳にしたらしい。放しかけていた手をふたたび引き締めた。

 クララはアスカがそこで逡巡しゅんじゅんするのが信じられなかった。

「アスカさん、早くはなして!」

 腕をおおきくふって、アスカの手を振り払おうとした。が、もう遅かった。

 目と鼻の先にドラゴンがいた。おおきな口を開いて、鋭い牙をむいていた。


「タケルくん!」

 そのドラゴンの口のなかから声がした。その声にクララは聞き覚えがあった。

 ユウキの声だ。

 声のほうに目をむけた。

 おおきく開いて今にも噛みつきそうな、ドラゴンの口がそこにあった。その牙に刺し貫かれていたのは、ユウキのからだだった。

 が、そのドラゴンの口に咥えられままユウキが、力なく手をふってみせた。


「すまない、タケルくん。助けにくるのが遅くなった」

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