第155話 おまえが、兄を殺した

 アスカは口元に手を押しつけ、自分の口からあふれでる自分の悲鳴をとめようとした。

 だまれ!だまれ!、だまれ!だまれ、あたし!。

 アスカは自分の心を自分自身でなじった。 

 この声はあたしの意思じゃない、あたしの意思を無視して勝手にでている……。

 あたしは、兄の死を悲しんでないし、嘆いてもいないーー。

【おまえが、兄を殺した】

 突然だれかの声が頭の中に投げつけられた。声はそのまま脳内をこだまし、何十も何百のリフレインとして、アスカの脳内を満たした。

 慈悲のかけらもない冷徹な雑言が、アスカの心の奥を無遠慮に深々とえぐった。

 アスカの悲鳴がふいに止まった。息が詰まって声をだすことができなかった。

 感情をもっていかれるな、アスカ。

 アスカは己の心を鼓舞した。もし耐えきれなければこの化物にのみこまれると確信していた。アスカは力をふりしぼって反駁した。

「兄さんはもう助からなかった。それに兄さんに殺してくれと頼まれた」


 アスカは口元をおさえていた手を、口の中に滑り込ませると、手の甲をぎゅっと噛みしめた。歯形がつくほど、血が滲むほど強く。

 痛みのあまり思わず悲鳴が漏れそうになったが、そうしていなければ、そうして痛みを感じていなければなにかに飲みこまれそうだった。

そしてなにかがあふれでそうだった。

 アスカ、耐えて……、耐えて……、耐えろ!。気を許めたら、おしまい——。



『リョウマはあなたのためにあたしとデートしてくれたの』

 キャミーの声だった。そこに姿は見えなかったが、ふいにその時のことが思いだされた。


「なんであたしがその会に参加しなくちゃいけないのよ」

「ごめんよカオリ。キャミに頼まれてサ」

「なんで、兄貴のガールフレンドの頼みを……」

「頼むよ。イイとこみせたいんだ。わかるだろ」

「はん、彼女にいいとこみせたいからって、妹をだしにしたっていうわけ」

「ほら、女子寮での会っていうから、ボクは手伝えないんだ。頼む、兄貴を助けると思って。

。それにキャミたちもアスカなら適任だって言ってくれてる」

「もー、しょうがないわね。あたしは嫌でしょうかないけど、家名を汚すわけにはいかないから、しぶしぶ協力してあげるわ」

「助かるよ、カオリ」

「貸しだからぬ。サエバ兄さん」

 屈託もなく平気で詫びる姿を見せてきた兄。

 兄は、あたしのプライドを傷つけないようにしながら、あたしの居場所をつくってくれた。それがなければ、あたしはずっと一人浮いた存在だった……。

 その陰でどれほど回りの人々に頭を下げてまわってくれていたのだろう。

 どれほどの自分の時間を出来の悪い妹のために費してくれてたのだろう。


 ふいに目頭が熱くなるのを感じた。

 だめ!、泣いちゃあ、ダメ!。

 噛んでいた口をあわててゆるめて、そのまま目に手のひらを押しあてた。

 感情をフラットにしなさい。どんな感情もこいつに分け与えちゃだめなの、アスカ!。 涙を流すなんてもってのほか!。



『ぼくが指揮官なら、アスカを一番最初に選ぶと思うよ』


 ワーッと歓声があがった。

 アスカはその声を背中で聞きながら、恨めしげな目でスコア表をにらみつけた。

 2ー0

 完敗だった。

 ドンとこぶしを叩きつけ、目の前のコンソールに苛立ちをぶつける。

 月基地でおこなわれた学内シミュレーション対戦での個人戦決勝戦でのことだった。メインモニタの上にサブモニタが重なるように開いて、対戦相手のコックピット映像が映しだされた。レイだった。

「アスカ、残念デス。また、あたしの勝ちなのデス」

「ちょっとお、レイ……」

「また残念なの、デス。あたしは『  』くうはくなの、デス」

「もー、なんでこんなのに、ボコボコにされちゃうのよー」

「しかたがないのデス。『  』くうはくはゲームの天才なのデス、からデス」

 リョウマがモニタ画面から声をかけてきた。

「だろ?、アスカ。おまえはレイに負けたわけじゃない」

「それでも圧倒的な差」

「でも二番だ.安定感のある二番。気まぐれな一番より、実戦ではたよりになる」

 リョウマがモニタのむこうからウィンクをしてきた。アスカはそう言われて、まんざらでもない気分になった。

「まー、たしかに。レイは何がでてくるかわかンないガチャみたいなパイロットだし、兄さんは近接戦闘だとてんでだめだし、やっぱ、このあたしがいなきゃ、人類なんて何にもできないんだから」

 そのことばに兄は満面の笑みをかえしてきた。

「ああ、アスカがいなけりゃ人類の未来はないかもな」

 

 どれほど兄に勇気づけられたろうか、どんなに嘆められただろうか。何度、リョウマを兄に持って幸せだと感じたことだろう。声高には言えなかったが、いつか恩返しをしてあげたいと、いつも心の奥底に秘めてた。



 その兄をあたしは殺した——。

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