第151話 とどめをさしてくれって頼まれた

 アスカは顔のまわりを覆っていたリアル・バーチャリティのゴーグルをはずした。兄のいた暗くじめつい空間とはちがい、自分のコックピットはまぶしすぎて、別世界にでもきたようだった。

 リアル世界に戻ってきた途端、ヤマトが声をかけてきた。

「アスカ、大丈夫か?」

「何が?。あたしはいつだって大丈夫よ」

「リョウマのこと……」

 とっさに虚勢をはったが、アスカは今、他人に兄のことを聞かれるのは耐えられなかった。たとえ、それがヤマトタケルで、自分を心底心配していてくれても……。

 今は……、ごめんだった。

 聞きだされるくらいなら、あたしの方から先回りしたほうがましだ。


「とどめをさしてくれって頼まれた」


 ふいうちをくらって、ヤマトが黙りこんだ。

「だから、あたしが最期まで、兄の面倒をみる。いいでしょ。タケル、ブライト」

 モニタから、ブライトの「あぁ……」という返事が嘆息するような声で漏れてきた。

「タケルは?」

 アスカには予想外だったが、ヤマトはすぐに返答をしてこなかった。むしろ、最後は君がやれと焚きつけてくるくらいだと、心構えをしていただけに、ちょっと心外だった。

「メイ、確認するわ。もうひとつの心臓を貫けば、この亜獣は死ぬのよね」

「あ、ええ。たぶんね」

 春日リンの声はうろたえているような響きがあった。まったくデミリアンの専門家らしくない。もっとしっかりしなさいよ。

 アスカは心の中で呟いた。

「エド、エドはどうなの?」

 突然の指名にあわてて、リンにのうしろからつんのめるようにして、カメラの前に飛び出してきた。自信がないのか、メガネをいじりながら、びくりとした表情をこちらに向けている。

「あ、いや、そう、ま、まちがいなく死ぬよ」

 少々心もとない返事だったが、アスカは合点することにした。

「ミライ、あたしのヴァイタルはどんな感じ?」

 目の前のモニタの左隅のヴァイタルデータを見ながら言った。

「問題ないわ。驚くほどね。心拍や呼吸、脳波も、平常時とほとんど変わらない。すべてを律しているわ、アスカ」

 当然、アスカはそれをモニタリングしていたから知っていた。兄との最期の別れを告げたあとでも、感情を揺さぶられてないし、からだに変調もきたしていない。

 自信をもって、アスカ——。

 あたしはこのあと何が起ころうと、泣いたり喚いたり、とり乱したりしない。

 あたしは兄のようにならない……。

 行動をおこす前に、みんなにそれを知らしめておきたかった。

「あたしが兄を見看ります」

 そう言うと、セラ・ヴィーナスが手にしていた槍に光の力を送りこんだ。体の表皮を伝いイルミネーションが走り抜け、穂先に光の刃が形づくられはじめる。

「まかせて。タケル」

 もう一度、ヤマトに声をかけた。今度はすぐにヤマトが返事をしてきた。

「ああ、アスカ、大丈夫そうだ。頼む、亜獣プルートゥを倒してくれ」

 アスカはモニタのむこうのヤマトに向かって無言のまま頷くと、頭上のモニタに映っているアルの映像に目をむけた。アルはデミリアンのダミーシートに座ってスタンバイしていた。

「アル……」

「どうした、アスカ?」

「もし、しくじったら……」

「もし、しくじったら、躊躇しないで、あたしを強制排出して!」

 そう言い捨てるなり、アスカは音声回線をパンと切断した。一切の音声が消える。

 アスカは一歩、二歩と助走をつけて踏み切ると、セラ・ヴィーナスの身を空中に踊らせた。

「うわぁぁあぁぁぁ」 

 雄叫びをあげて左腕に持った槍をふりあげる。

 セラ・ヴィーナスが前傾姿勢で飛び込んだ勢いのまま、腕を突き出し、プルートゥのからだに槍を突き立てた。光の刃がプルートの胸、コックピットの開口部にスルッとすべりこんだかと思うと、ドンと鈍い音とともに背中に突きぬけた。

 その瞬間、プルートゥの体勢が崩れ、そのまま頭を前にガックリと垂らし、からだを前のめりになった。斜め下に傾いたコックピットから、室内に残っていた青い血が一気に掃きだされ、地面にぼたぼたっと滴り落ちていく。

 やがてすぐに、その青い血に赤いものが混ざりはじめた。二色は混ざりあって紫色になるでもなく、まるで水と油のように、おのおの色を主張しながら流れおちていく。

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