第150話 カオリ、タケルといつかツがえるといいな
アスカはプルートゥのコックピットの入口の縁に足をかけた。
ゴースト光を上から照射されて映しだされた仮の姿ではあったが、感応光線を通じて足の裏にぬるついた感覚が伝わってきた。
床はデミリアンの血で一面まっ青だった。滑らかにゆれる血液の海の表面は外から射し込んでくる光で、ぬらぬらと表面がてかってみえた。ただの液体ではないことを認識させてくれる。内部の照明も機器もほぼ沈黙しているため、外光がとどかない奥の方は驚くほど暗い。
「兄さん」
アスカは真正面に座っている兄リョウマに声をかけた。
アスカが刺した槍の刃は中央をわずかに右に逸れ、リョウマの右半身をかすめて、背後の壁を貫いていた。壁の亀裂から青い血がどくどくと流れ出ている。そのすぐうしろにあるプルートゥの心臓を貫いたのは間違いなかった。
リョウマは右腕を切断された状態でシートにもたれかかっていた。アスカは兄の半身が切断され、潰されているのを見て、思わず口元に手をやった。
「兄さん……」
「カオリか……、よく来てくれたね」
「ごめん、これゴースト……」
リョウマが弱々しい笑みを浮べた。
「それでいい。こんな危険な場所に生身で現われたら、ぼくは即刻追いかえすよ」
「でも……、本当は直接会いたかった」
「充分だ。ありがとう」
アスカは傷口がむきだしになった右肩をちらりと見て、申し訳なさそうな顔をした。
「痛む?」
「気にするな。ボクが渇望したことだ」
「でも……」
「やり遂げた結果を、あとから悔やむなんてカオリらしくないな」
アスカはそう言われてうつむいた。自分が負わせた兄の怪我を見ていたくなかった。
「カオリ……。おまえには迷惑かけたね」
「そんなことない……。迷惑かけ通しだったのはあたしのほう。いつだって兄さんは、あたしの尻ぬぐいばかりしてくれた。ちっちゃい時からずっと」
「妹の役にたてるなんていうのは、兄冥利につきるよ」
少しおどけて言ったリョウマのことばにアスカの口元がほころんだ。
「よけいなお節介ばかりしてたものね。キャミーたちに聞いたわ。あたしのためにみんなと、したくもないデートを重ねてたって……」
リョウマの口元にも笑みが浮かんでいた
「カオリ、買いかぶりすぎだよ。もしかしたら、ボクはかわいそうな妹をだしにして、可愛い子ちゃんたちとデートする口実をつくっていただけかもしれないよ」
「だとしたら、サイテーの兄貴ね」
「やっと、わかってくれたかい」
二人は声をあげて笑った。
笑いがおさまると、リョウがコックピットの開口部のむこうに目をむけながら言った。
「ここは、いい場所だね」
アスカは振りかえって、リョウマが見ている方に目をやった。
「ずいぶん緑が多い。それに大半が本物の植物だ。森をここまで育てるのには相当時間も費用もかかってるだろうね。父さんの庭園みたいに」
リョウマは何かを思いだそうとするように、顔を上にむけ感概深げに言った。
「あの庭はそんなに立派じゃなかったわ。庭師のロボットが無能だったもの。しょっちゅう怒られてた」
「受粉ロボの『BEE』だね。いつも父さん『バカもんが!』って怒鳴ってた」
「うん、あたし、そんな父さん、の言い方、嫌いだった」
リョウマがアスカのことばに合点がいったような顔つきをした。
「そうか。だから、カオリは『バカ』じゃなくて、『ボカ』って言ってるんだ」
「かなぁ?……。もしかしたら、そうかもね」
その時、耳元でピーピーと警告音が鳴った。
「そろそろ……なのかい?」
「ううん、まだ大丈夫!」
「そんなこと言っていると、みんなに迷惑をかけちゃうよ。カオリ、ボクはもうおまえの尻ぬぐいをしてやれない」
「大丈夫よ、そんなの、もう必要ない。あたしはひとりで何でもできる」
リョウマが、わがままな妹に手を焼いている時、いつも見せていた困惑の表情をみせた。「ひとりですべて背負うことない。おまえには仲間がいるだろう。それにタケル君……」
アスカは兄の口からタケルの名前を持ちだされて、なぜか恥ずかしくなった。知らず知らずのうちに視線を逸らせてしまっていた。
リョウマが嬉しそうに声を弾けさせた。
「そうか、仲良くしてるんだね。よかった」
「な、なにも、仲良くなんか……」
「カオリ、タケルといつかツがえるといいな」
屈託のないその物言いにアスカは頬を赤らめた。
「な、なに、言ってるの、兄さん」
「あぁ、うれしいなぁ。ぼくの代わりにカオリを守ってくれる人がいる」
「ちょっと兄さん、早合点しないでよ」
リョウマが満面の笑みをアスカに向けながら言った。
「カオリ、頼みがある」
「な、なによ……」
「ボクにとどめをさしてくれ」
突然の申し出にアスカはビクリと体を震わせたが、リョウマは何のためらいもせず、嬉しさをかみしめていた。
「カオリ、頼む。この幸せの中でいきたい」
アスカは無言のままゆっくりとリョウマに近づくと、兄の体を包みこむように上から抱きしめた。ゴーストの感応光線を通じて、兄の感触が伝わってきた。それは疑似的なものだとわかっていたが、アスカは確かにそこに兄を感じとった。
リョウマがアスカの耳元で囁くように言った。
「カオリ、いい女になるのだな」
アスカはコクリと一回だけ頷いた。
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