第147話 兄が、あたしの頭の中に直接語りかけてきた
まるで陽炎の中にいるように、兄の姿はゆらめいてみえた。
コックピットの中に射しこむ光が、プルートゥが近づいてくるにつれ、その照らしだす角度を変え、まるで幻影のように見せているのだ。
だがあれは実物。
『アスカ……』
また頭の中に声が響いた。
「あたしをひるませるつもり!、兄さんであっても、その手にはのらない」
アスカは荒々しく自分の耳に装着していた通信装置をとりはずした。すこし耳が痛かった。
「これでどう?」
思わず挑発的な雄叫びが口から漏れたが、すぐさま反応したのは司令部のミライだった。
「アスカ、通信装置が外れたわ。どうしたの?。思念の共有ができないわよ」
「ミライ、わざとはずしたの!。そっちとはこうやって音声での会話ができるだけで充分でショ」
「なにがあったの?」
「兄が、あたしの頭の中に直接語りかけてきたの」
「そんな……、リョウマの機器は作動してない……」
『アスカ……』
また、声が脳内に響いた。
「ちょっと待って、ミライ。また聞こえた」
アスカは正面のモニタに映るリョウマの姿を見つめた。
リョウマの口元が動く。
『ア・ス・カ……』
そして、その通りに脳内に兄の声が響く。
『タ・ス・ケ・テ……』
アスカはハッとして兄の姿を見つめた。まだ目鼻だち程度しか見えなかったが、兄の顔は悲しみとも苦しみともつかない、表情にゆがんでいた。
『アスカ、ボクを助けて……』
「なにを……」
『その腕がないと、ボクは完全にこのセラ・プルートゥと同化してもどれなくなる』
アスカは反射的にヴィーナスの右腕に目をやった。プルートゥの左腕……。
「嘘をつかないで!!。兄さんはもう戻れない」
『まだ……、望みはあるんだ。でもその腕がなければ完全にそのチャンスがなくなる』
アスカはその言葉の真偽を自分で見極めたかったが、すぐに手に余ると結論づけて、リンを呼びだした。
「メイ!、メイ!、どこにいるの!」
サブモニタに雨の中にいるリンの姿が映しだされた。雨音に負けないように、ことさらに大声で返事をしてきた。
「聞いてるわ、アスカ。どうしたの?」
「兄が、頭の中に直接語りかけてきている。腕を返せって。返せば元の人間に戻れる可能性があるって?。本当?」
「現時点では、否定も肯定も無理。前例がないわ」
『アスカ、ボクを助けてくれないのか?』
再び、声が響いてきた。
「兄さん、ちょっと待ってーー」
【殺せ!!!】
別の思念が突然、アスカの頭の中に割込んできた。
今の何?
【殺せ!!!】
さらに強い決意の思念が、頭のなかに押し込まれてきた。まるで脳をぎゅっと押さえつけられたような気分がした。だが、すぐにさきほどの兄の声が聞こえてきた。
『アスカ、腕を縛っている、その布をはずしてほしい』
「万布を?」
【殺せ!。殺してくれ!!】
また強い思念が脳を揺さぶる。
誰なの……。
アスカの一瞬の逡巡を、もう一方のやさしい声は許さなかった。
『早くはずしてくれないかい。アスカ』
アスカは言われるがまま、コクりとうなづくと「ロープ」と言った。
左肩に結ばれていた帯状の『万布』がはらりと解け、腕に沿ってするりと滑り落ちた。
「なにをしてるの、アスカ!」
春日リンの怒鳴り声が聞こえてきた。同時にヤマトからも何か言ってきたが、よく聞こえなかった。非難めいた声色だったので、同じような内容なのだろう。
「兄さんが助かるかもしれないのよ。やってみるしかないでしょ」
「なにをいまさら!。もう助からない」
「メイ、あなた、さっき否定も肯定もできない、って言ったじゃない」
「それは科学者としての見解。責任者としては別よ。今すぐ『万布』を巻き直し……」
「いえ、すぐにプルートゥから離れなさい!。危険な距離よ」
『アスカ、まだ一枚残ってる。それもはずしてくれ』
リンとの会話を邪魔するように、声がアスカに語りかけてくる。
「それはヤマトの万布だから、あたしには取り外せない」
アスカは腹立ちまぎれの声をぶつけた。やさしい響きの声が低く悪意の声に変わった。
「そうか。それじゃあしかたないな」
セラ・ヴィーナスの右肩にくっついていたプルートゥの左腕が、腕を固定していた包帯をかいくぐって、ぐっと背中方向に突き出した。
腕はそのままアスカの意思に反して、ヴィーナスの襟首をうしろから鷲掴みにしてきた。
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