第144話 あれを人間だと、ましてや兄などと思ってはならない

 

「仕止める!!」

 アスカの頭にあるのはただその一言だった。地面に足をつけるなり、それだけを考えてセラ・ヴィーナスを疾駆させていた。

「仕とめる!!」

 アスカはもう一度、心の中で反芻した。それだけに固執していなければ、自我が崩壊してしまうかもしれないという恐怖がこころを支配しつつあった。何かにとらわれてなければ気が変になる。

 自分は今から、全力で兄を殺しにいくのだから……。

 富士山山麓に広がる人工森の中を走り抜けていく。これだけ大きな体であっても頭まで隠れてしまう針葉樹の高さのおかげで、接近するのを悟られないように隠してくれた。

 すっと目の前が開けた。

 広い空と草原が視界に入ってくる。その先を見つめる。

 切り立った崖。その上に山肌にそって切り開かれた国連軍基地の駐機エプロン。

 そしてその手前に、こちらに背をむけているプルートゥがいた。

 アスカはセラ・ヴィーナスの腰に右手を伸ばすと、槍を引き抜いた。

 背中から心臓を貫いてみせる!。

 場所はわかってる。先ほど空から投擲して仕損んじたばかりだ。

 アスカはプルートゥからあと数十メートルまで近づいたところで、力いっぱい足を踏みこみジャンプした。

 左手にもった槍をおおきく振りかぶった。利き腕ではないのでどうにもしっくりこなかった。さらに右肩を『万布』の包帯で固定されている状態。万全とは言い難い。

 それでも倒せる自信があった。

 アスカが槍に渾身のちからをこめた。

 その瞬間プルートがくるりとふりむいた。待ちかまえているような間合いだった。

 くっ、誘いこまれた!。

 プルートゥが体をひねりながら、もりあがった剛腕の右腕で横殴りにしてきた。体重が乗った腰の入った一撃。アスカは空中で左側の脇腹をしたたかに殴りつけられ、横に吹きとばされた。セラ・ヴィーナスの体が崖の側面に叩きつけられ、崖下に設置されていた基地の施設を何棟か押し潰した。

 アスカはからだを『く』の字に折りまげて、思わず嘔吐えずいた。逆流した胃液が食道を焦がす。

 だがアスカは、0.25秒の悶絶がおさまると、口についた吐瀉物を荒々しくぬぐい、すぐに立ちあがった。一瞬モニタに目を走らせて、万布で縛りあげた左腕に異常がないか確認する。

 大丈夫だ——。

 今のはかなりの衝撃だったが腕には異常がない。アスカはほっとした。何かあればメイがこの世の終わりのように、狂乱するにちがいない。

 アスカは正面を見すえた。槍を左腕で操るこつは徐々に掴めてきた。プルートゥの強烈な右腕のパンチは要注意だったが倒せない道理はない。

 相手は手負いだ。

 プルートゥが正面からゆっくりと近づいてきた。アスカが槍を持つ手を突き出してプルートゥを牽制した。だがプルートゥは歩をゆるめようとしない。

 アスカはハッとした。

 プルートゥのコックピットの内部に光が差し込んでいる。

 外れた入口のハッチを覆っていた白いかさぶた状のものが剥がれ、うっすらと朝の光がその内部を照らし出していた。室内にはりめぐらされた青白い光に包まれた神経のような線は、 以前見た時と同じでまだ室内に複雑に張りめぐらされていた。

 あの時、リョウマがプルートゥに乗っとられた時に見たものは、操縦席に座った白い繭。それに包まれたリョウマの姿は人間のものではなかった。だが、今、かいま見えているコックピットにはあきらかに人間然とした形をしているものが座っていた。決して人間ではない。だが、化物とも言いきれなかった。

 だが、あれがプルートゥの中枢だということに間違いはなかった。

 あそこを貫けば倒せる。

 あれを人間だと、ましてや兄などと思ってはならない。

 槍を握る手に力がこもる。

 その時、コックピット内に声が響いた。

「ア・ス・カ……」

 まちがうことのない兄の声だった。

 正面のプルートゥを見た。

 朝日に内部をくっきりとあらわに晒したコックピットがそこにあった。


 そこで兄リョウマが笑っていた。

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