第112話 困った事態になった。おしえてくれる?
何?
レイは空から何かがバラバラと降ってくるのに気づいた。
万布の『盾』を正面に掲げながら接近したレイと亜獣アトンとの距離は、二百メートルほどあったが、上空からその両者を隔てる空間に何かが降ってくる。
レイの目が見開かれた。
それは人だった。
人が空から降ってきていた。
レイは落ちてくる人々を見あげて、目で追った。誰もが満足げに、楽しげに笑っていた。
『だれか、助けて!』
突然、頭の中で誰かの声が響いた。
誰ともしれない声だったが、その声に促されて、レイの体は反射的に動いてしまった。セラ・サターンは手にもった方布を『網』モードに変化させると、クッションになるように下に広げて、思わず前に一歩前に足を出してしまった。
『いけない』
レイは自分自身で己に警鐘を鳴らしていたが、動きだした体勢をすぐに引き戻すことはできなかった。アトンの胸部の針が一勢に放たれる。レイには万布を自分の体の前に広げて、防卸の体勢をとる余裕は残されてなかった。あわてて両腕を胸の前で組んで、胸部のコックピットへの直撃を避けるのが精いっぱいだった。
無数の針の矢がからだに突き刺さった瞬間、脳天をつき抜けるような強烈な痛みがレイを襲う。レイは悲鳴をあげた。全身が硬直すると同時に、力があらゆる筋肉から抜けていく。踏みつけていたレイの母親が足元からはずれた。母親は勢いよく前にあるハッチの方へ転がっていく。
目がかすむ。
右側のデッドマンカウンターが猛烈な勢いでパタパタと死者を数える曲を奏ではじめた。今目の前で自分が救えなかった命の数だ。一瞬ののち痛みが遮断されたが頭の芯に残るような痛みは、おいそれと消えてくれようとはしなかった。
レイはもうサターンの顔の前で組んだ腕をおろした。亜戦アトンの次の攻撃にそなえなければという焦る思いがあった。
アトンの咆哮が聞こえた。
突撃してくるつもり。それとも、もう一度針の攻撃をしてくる?。
レイは万布を広げて身構えた。が、突然、セラ・サターンはその構えのまま、その場に崩れ落ち、片膝をついた。
なに?
レイはすぐに思念を送り、自分自身を映しだしているカメラをメインモニタに呼びだした。予想していてはいたが、セラ・サターンの体に何十本もの針の矢がささっていた。頭部に三本、肩口と下半身には、五本。そしてコックピットをかばった腕には十本近くが突きささっていた。
この状態で亜獣の正面にいるのは危険だ。
レイはアトンから目をそらさないまま、中腰の姿勢でゆっくりと後ずさりはじめた。その姿に、レイの足元から開放され、今度は天井に貼りついている母親が、くちをすぼめて子供のような声色を使った。
『だれか、助けて!』
レイが正面にいる母親を睨みつけた。
「ひひひひ、やさしい子だよ。まんまとひっかかってサ」
レイは母親を無視するように、メインモニタに映るアトンに視線を移すと、さらに数歩後退してから、大きなビルの陰にからだを踊らせた。アトンからは完全に死角になる場所。
これでしばらくは時間がかせげる。
母さんは……、母さんは……、あれは無視する。
レイは右腕に刺さった矢を束ねるように左手で掴んだ。針の矢の一本には裸の女性が胸を貫かれて刺さっていたが、レイはかまわず一気に引き貫いた。
鋭い痛みが脳天をふたたび駆けのぼる。
だが、レイは一瞬顔をゆがませただけで、今度は左腕の矢を右手でひっつかんだ。こちらの腕に刺さった矢の一本には、裸の男性が腹を貫かれて刺っていた。
肩に刺さっている矢は十本以上あり、そのうち二本に人間がつき刺さっていた。レイがかまわず矢を一気にひき抜く。力が少し強かったのか、ひきぬかれた矢の先から、死体が滑りだし、勢いよく横にとんでいったかと思うと、ビルの壁にぶちあたった。壁面に肉片が赤くとびちる。
最後に残った頭に刺さった矢は、少々やっかいだった。
その矢には腹を貫かれた男の人が突き刺さっていた。
あまり見なれない軍隊風の帽子を被って、満足そうな笑みを浮べたまま、セラ・サターンの頭の上でぶらぶらとしている。レイは引き抜こうと手を伸ばしたが、複雑な形をしたプロテクターの隙間から奥に入り込んでいて、簡単には抜けなかった。
レイは『メインカメラ』と念じた。メインモニタがセラ・サターンの頭部に搭載された、メインカメラの映像に切り替った。レイは画面を見るなり嘆息した。
「邪魔ものが一人増えた」
メインカメラの映像の右側に男の顔がアップで映り込んでいた。画角の三分の一ほどを男の死体がふさいでいる。レイはセラ・サターンを数歩うしろむきに後退させてみた。歩くたびに男の体がぶらぶらと揺れ、満面の笑みをたたえた顔が、カメラにこすりつけられる。
「司令室、誰かいる?」
レイは司令室に助言を求めてみることにした。
母親の出現で司令室はパニックになっていると知っていたので、レイは司令室の誰かがとりあってくれるとは考えていなかったが、すぐに春日リンがモニタのむこうから応対してきた。
「レイ、大丈夫?」
すこしばかり髪の毛は乱れ、顔は紅潮していたが、人前で平静を装えるくらいには落ち着いたようだった。
「あなたこそ大丈夫?。わたしの母が襲いかかったって聞いたわ」
「ええ、大丈夫よ。もう脅威でもなんでもなくなったわ」
それを聞いて、レイは天井を見上げた。天井に逆さまになって、這いつくばっている母親を見あげた。
「母さん、もう邪魔してもムダだって」
レイの母親は何も言わず、動物のように歯をむいただけだった。レイはその威嚇を無視するように、メインモニタの中の春日リンの方を見て言った。
「春日博士、困った事態になった。おしえてくれる?」
春日リンの顔が、モニタの向こうでこわばったのがわかった。
「レイ、なにがあったの?」
「頭に死体をぶらさげたまま戦うのって、軍規違反になるの?」
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