第75話 だが、私だったら……むしろ樹海に逃げこむな

 草薙はスロットルを回すと、街の奥にむかって縦断する大通りにむけて、バイクを走らせた。

 ニューロン・ストリーマを通じて、置き去りにされた隊員たちのあわてふためく声が聞こえてきたが、草薙はそれを無視して、バイクの高度を一気に十メートル以上までにあげた。それくらい上昇すれば、上空から街並みを俯瞰できるかと思ったが、高層ビル群が建ち並ぶ市街地では、その程度の高さでは足りなかった。

 街の上を斜めに通り抜けて、最短距離をとれればとも目論んだが、早々に諦めざるをえなかった。

 草薙はそのまま上空五メートルほどの位置にバイクを降下させると、フルスロットルで最高速までトルクを上げ、街の大通りを突っ切っていった。どうせ、ここには『往来』がない。あたりの風景は『街中』に見えるが、ただの区画と考えれば問題がない。

 草薙はバイクを走らせながら、右手里実の生体チップがなぜ急に信号を送りはじめたのかに、頭を巡らせた。二日間も信号を遮断するジャマーを装着していながら、ここにきてそれをやめた明確な理由がわからない。もしそれをはずすとしたら、この敷地内を出てからするべきことだし、もしその装置を装着しているせいでこの基地内のセキュリティにひっかかるとしたら、もう数時間待つはずだ。

 あと二〜三時間で亜獣戦がはじまるのだ。これ以上警備が手薄になる機会はそうそう恵まれない。

 考えられるとしたら、我々の中の誰かをおびきだそうとする揺動作戦だ。だが、ここに至って何の目的のための揺動だ。

 前方に超高層ビル群が見えてきた。ここまで走ってきた道にもかなり高いビルがひしめいてきていたと感じていたが、この先は五十階建クラスが普通に乱立しはじめる。すでに下から数階分は地下に潜りこんでいるとはいえ、視野をはばむ建造物としての圧力はまったく失われていない。

 草薙は綱膜デバイスに投影されるこの街のマップを見た。右手さとみの生体チップの信号はこのエリアの右側へ向っていた。このまま突き進めば、数分後には河口湖に到達する。エアーバイクは水上を飛行することはできない。その先へ進むのは困難だ。

 おそらくその時点で方向転換を迫られるはずだ。行き先を見失った右手さとみは、そこから左右、どちらに曲がるだろうか。ひきかえしてくれば、追撃してくる我々と鉢合わせは免れない。右に曲がると市街地、左に曲がると樹海に飛び込む形になる。

 どちらに逃げられてもやっかいだ。

 その時、突然、トグサ弟の声が頭に飛び込んできた。

「草薙大佐。われわれが右側から回り込みます。うしろから追いあげてください」

 どうやら、いろいろ協議した結果、草薙と行動をともにすることに決定したようだった。

「市街地側から回り込めるのか?」

「なんとか、間に合わせてみせます。犯人を挟み込みましょう」

「挟み込む?」

「えぇ、この先は湖ですので、かならず反転して戻ってきます」

「左側に曲がったらどうする?」

「左側に?。そっちは富士の樹海ですよ」

「ほう、そんな場所には逃げないと?」

「だって、マップも不確かですし、こんな真夜中に、エアーバイクで技や木のなかを走り抜けるのはさすがに……」

「なるほど……、だが、私だったら……」

「むしろ樹海に逃げこむな」

 草薙はぐっと右側にハンドルを切った。左側の樹海に飛び込まれる前に、右手里実を迎え撃つほうが得策だと考えた。できれば市街地で決着させたい。

 草薙はバイクを方向転換させると、トグサ兄を呼びだした。ここは、弟だけでなく、トグサ兄にもひと働きしてもらうべきだろう。

「トグサ大佐、今、どこにいる?」

「今、草薙大佐のうしろです。もうすこしで追いつきます」

 バイザーの映像モニタにトグサ兄が二人の兵士を引き連れて、バイクを飛ばしている姿が見えた。顔はバイザーで見えなかったが、声色から先ほどの失態を取り戻そうと躍起になっているように思えた。草薙はすぐにトグサ兄に指示を出した。

「いや、そこから左側に展開してくれ。右側のトグサ中佐とわたしで、左側に追い込んだら、挟撃してほしい」

「了解しました」

 草薙は彼らの位置をしめすビーコンを街のマップで確認した。右側からトグサ弟、左側からトグサ兄が挟み込もうとしている。だが、このペースだと、肝心の自分が右手里実を追い立てる役割をする位置に間に合わない。 

『やっぱり、街の上を斜めに突っ切るしかないか』

 そう言うなり草薙はハンドルをぐっと上に持ちあげた。バイクの頭が上をむくやいなや、。草薙はぐっと足元のアクセルを踏みこんだ。トップスピードのまま、車体が斜め六十度の角度であがっていく。

 目の前に百メートル級のビルが見えてきた。まるで大きな壁。

『横に回避してられんな』

 草薙は、さらにハンドルをひくと、バイクはほぼ直角とも思える急角度にまで傾いた。こんな無茶な乗り方は、バイクに相当負荷がかかる操縦だったが、かまわずアクセルを踏み込み、超流動斥力波をさらに吹かしあげた。ビルの壁が眼前に迫りくる。

 と、ふいに夜空がひらけた。屋上の鉄柵に触れそうになるほどの、ギリギリのタイミングで、なんとかその上にとびだしたのがわかった。

『よし!』

 思わず快哉を漏らしそうになったが、まだツインタワーの低いほうのビルの上に出たにすぎなかった。

 目の前の進路に、もうひとつの高いほうのビルが目の前に立ちはだかる。すでにただのモックのように変化した白いビル。だが、実物と同じで、ぶつかればひとたまりもない。

「やっかいなビル!」

 草薙はバイクをさらに上昇させて、その超高層ビルの乗り越えに挑もうとした。だが、それまでのように車体を持ちあげていた推進力が得られない。やがて、車体からピーピーという耳をつく警告音が発せられはじめた。このバイクの想定高度を越えていることをメーターが指し示めしていた。

 何が最新型だ。

 草薙はこのエアバイクの高性能っぷりを熱く語っていた若い兵士を思いだして、心のなかで悪態をついた。

 みるみる高屋ビルのガラス窓の枠の形をした壁が目の前に迫ってくる。草薙は残念そうに顔をゆがめた。彼女はハンドルをぐっと切ると、そのまま車体を横倒しにした。バイクはビルに激突しそうなぎりぎりで向きを変えた。ビルの窓にソリ型のプレートを向け、横になったまま走りつづけた。

 窓という窓が派手な音とたてて、割れていく。ビルの窓を地面のようにして、横向きで飛んでいたバイクの車体がぐらっとふらつく。

『ちっ。こんなとこまで精巧に作らなくても』

 ソリ部分から発せられる超流動斥力波が窓を破壊しているおかげで、不安定な流動が生じていた。運転を誤れば失速して墜落する可能性もある。

『ここまでか……』

 そのとき、トグサ弟から連絡がはいった。

「草薙大佐。右手里美が河口湖手前で、こちら側に反転してきました」

「そのまま上空を斜行し続けてください。約五分ほどすれば出くわすはずです」

「了解。心得た」

「注意して下さい。今、バイクの影が四つに分かれました」


「四つに?。どういうことだ?」

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