第66話 たった二百十八人の命と引き換えに、死んだんですよ、オレ
ブライトが会議から開放されたのは夕方頃であったが、どうにも疲れがぬけず、そのあとの個別ミーティングはキャンセルしてもらうことにした。
国連の諮問会で答弁をしたのが、本日の未明だったのだから、すでに15時間連続で仕事をしている。心身ともに疲れ切っていて当然だった。
諮問委員という大仰な処刑場に引きずりだされて、つるし上げられただけでもかなりのストレスであるのに、事務総長が仕込んだ、あの「カツライミサト」という隠し球。
あれが相当に応えた。
任命権しかない事務総長という立場では、軍の作戦や方針に直接口を挟むことができない、というのを熟知しているうえでの圧力。
自室のソファでくつろいではいるというのに、あらためて憤りがふつふつともたげてきて、おさまらなかった。ドンと強めにテーブルを叩いた。
「くそぅ、わたしが更迭されるだと。わたしは歴代の司令官のなかでも、一番多くの亜獣退治を指揮してきているのだぞ。たわいもない失敗で失脚させられてたまるものか」
その時、部屋の一角から声がした。
「だって、あんたはオレを殺したじゃないですか……」
ブライトはぎくりとした。だれもいないはずの部屋で、声がしたからではなかった。その声に聞き覚えがあったからだった。ブライトはゆっくりと、声がした方に顔をむけた。背の高い観葉植物の陰から、男が右半身だけを覗かせてこちらをみていた。
「だろ、ブライトさん」
自分の内臓の一部が凍りついて、動きをとめたのを感じた。そしてその臓器は凍ったまま腹の下のほうへズンと落ちていく。そんなゾッとする感覚。
目の前にカミナアヤトがいた。それはゴースト向けのアバターでも、素体に被せられたヴァーチャルキャラクタでもないとすぐに悟った。ゴーストでは再現できない影がそこにあり、素体では表現できない皮脂のテカリ等の実在感がそこにあった。
そう、これは幻影だ。
『この幻影はほかのひとに伝播する』
血の気をうしなった顔で、リンが訴えかけていた時の状況が頭をかすめた。
そうか、そういうことなのか……。
「カミナ・アヤト……」
ブライトにはその名前を口のあいまから絞りだすのが精いっぱいだった。目の前のアヤトはにたっと笑うと、話を勝手に続け始めた。
「オレは、あン時、自分ひとりじゃ、勝てないって抗議しましたよね。だが、あんたは人の命がかかっている、そのまま見殺しにするわけにはいかない、とかいろいろ言って、無理強いした……」
「ブライトさん、あン時、死んだ犠牲者の数って憶えていますか?」
ブライトは目の前に半身を覗かせて、偉そうにしゃべっているアヤトが、偽物の幻影だとわかっていた。だが、理解していながらも、アヤトにむかって返事をした。
「二百十八人だ」
アヤトが納得したように、首を縦にふった、
「二百十八人!、たった二百十八人の命と引き換えに、死んだんですよ、オレ」
ブライトが思わず大きな声をだして抗議した。幻影と真摯にむきあっている自分の状況を、間違えている、と把握しながらも、申し立てずにはいられなかった。
「おまえが戦ったから、その数で済んでいるんだ。おまえが出撃しなければ、こんなものじゃあなく、もっと犠牲者がでていた」
だが、アヤトはブライトの抗議をまったく取りあおうとしなかった。
「あのあと、アンタは反省したんだろ。あの亜獣はオレの武器とは相性が悪すぎだった。出すべきではなかったって……」
ブライトはなにかを口にしようとしたが、ことばが喉に貼りついたまま、でてこようとしないことに苛立った。が、それと同時に、言うべきことばなど、はなから持ち合わせていないことにも気づいていた。
「弁明する気もないってかい」
アヤトがため息をつくように言い放った。
「あんたのクソみたいなプライドと、おためごかしの正義感で、オレはどうなったと思うかい?」
アヤトはそう言うなり、暗がりからゆっくりと左半身を現わした。彼の左半身は死んだ時のままの姿、亜獣の溶解液でどろどろに溶けていた。皮膚は破れ、溶けた骨の一部が筋肉のあいまから覗いている。その陰惨な姿に、思わずブライトは目をそらしたが、そのまま反論を口にした。
「人生には理不尽なことしかふりかからない。わたしが押しつけた理不尽で、きみが命を落としたからと言って、わたしはそれを詫びるつもりはない!」
その瞬間、あたりを包んでいた重苦しい空気のよどみが、ふっと消えた。ブライトはハッとしてアヤトのいた場所に目をむけた。そこにはもう誰もいなかった。なにごともなかったように、いつもの味気ないブライトの部屋の風景があるだけだった。
「疲れているだけだ。疲れているから、あんな夢をみるんだ……」
ブライトは自分に言い聞かせるように呟いた。だが、自分が夢だという相手に、いつのまにか訴えてもいた。
「だがな、アヤト。上には上の理不尽がある。しかもその理不尽はさらにもっと大きくなるんだ……」
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