第13話 わたしも一度、母を殺したことがあるの

「ここにはしっかりとした見識をもった責任者はいないのか!」

 自室でひとり報告書に目を通していたブライトは思わず大きな声で叫んだ。各部門の責任者から提出されたどの報告内容もブライトを納得させるものはなかった。

 あの亜獣サスライガンでの不可思議な事例があってから二週間、経たんとしていたが、ブライトを納得させるだけの報告をしてきたものは皆無だった。渦中にいたヤマト本人には何人もの専門家による複数回の聞き取り調査が行われていたが、内容は、一貫していてどこにも矛盾点や相違点はなかったとされていた。

 ブライトにはその証言に合点がいかなかった。それが事実か否か、もし事実であると仮定した場合、なぜそれが起きたのかという専門家の見解は、どれもちんぷんかんぷんだった。

「タイムリープしただと!」

 報告書のひとつに目をくれると、さらに腹立たしさをぶちまける。

「23世紀に初頭には『ゼネウィガー理論』で過去への跳躍は物理的に不可能であることはすでに証明されている。この連中は物理法則を馬鹿にしているのか」

 報告書の署名をみると『春日リン』とあった。ブライトはリンにむけて思念を飛ばした。

「リン、『ゴースト』でかまわん。ちょっとこちらにきて説明して欲しい」

「いいわよ」

 ブライトの部屋の天井から、小さな羽虫程度の機器が浮いたからと思うと、そこから映像が床にむけて投影された。『ゴースト』と呼ばれるリアル・ヴァーチャル装置は、『素体』の簡易版で、投影された映像がアバターとなって、リアル世界のどこにでもいくことができる。『素体』と違い、五感のうち、触覚だけは体感の対象から外されていた。

 

 等身大でブライトの前に現れた春日リンは、一糸まとわぬ裸で立っていた。どうやらシャワーを浴びた直後だったらしい。リンはいくぶん億劫そうな口調で言った。

「で、なに?。ブライト。勤務時間外なんだけど……」

 ブライトはその『勤務時間外』という脅し文句にイラッとしたが、それと同時にこころなしか心が萎縮するのを感じた。労働基準法違反は、この時代、重大な人権侵害として厳罰に処される場合があるからだ。

「あ、いや、あくまでも個人的にキミの見解を聞きたくてね」

 リンは裸のままブライトのほうに歩いてくると、彼の手元にある電子ペーパーを覗き込んだ。

「ふーん、この報告書の内容が気に入らないのね」

「まぁ……、あぁ……、そうだ」

 リンが目にかかる髪の毛をはらうように、首を横にふった。ブライトの目と鼻の先で、リンの乳房がぶるんと震えた。

「で、なにが気に入らない?。タイムリープってとこ?」

 ブライトの返事を聞くまでもなく、リンがブライトのほうへ身体を乗り出して、電子ペーパーを操り別のページを呼びだそうとすると、リンの乳房がブライトの鼻先にあたった。

「あら、ごめんなさい」

「このゴースト、感応光線使ってるから……」

『ゴースト』は単純に映像を投影するだけではなく、感応光線によって遠くに居ながらにして、物に触ることができるのは知っていた。実際には触ったのとほぼ同じ感触を皮膚へ与えることができるのだが、その技術のおかげで、五感のうち『視覚』『聴覚』に加えて、感触レベルだが『触覚』を味わうことができた。

 それをわかったうえで、リンがわざと挑発したのはわかっていたので、ブライトはだんまりを決め込んだ。

「ここを見てちょうだい」

 リンが前のめりでからだを突きだしているため、リンが指し示す場所が乳房で隠れて見えない。ブライトはこころもち首を傾けて、その部分に目をやった。

「アルの報告書にもあったと思うけど、あのコックピット内の時間は間違ってないの。当たりまえに時間を刻み、その通りの出来事が時間軸にそって起きている」

「コックピット内の映像は、わたしも見た」

「ただ、その時間がわたしたちが消費していた時間軸と整合性がとれないだけ」

「だから、納得のいく理由をつけようとしたら、タケル君が別の時間軸に行っていて戻ってきたというのが一番整合性がとれる説明になるの」

 ブライトはその説明に合点がいく部分を、できる限りすくい取ろうとしたが、だからと言って物理の法則を無視する説明にはどうにも承服できなかった。かつて物理学を専攻していた身であればなおさらだ。

 自分の目で見たからと言って、霊魂の存在を肯定していいわけではないのと同じだ。

 外的要因で簡単に惑わされる脳ごときが認知しただけで、『量子論』を否定するというのなら、せめて『素粒子力学』を駆使して証明してみせるのが筋というものだ。

 ブライトはそんな持論はおくびにもださず素っ裸のままのリンを正面から見て言った。

「きみはヤマトだけが、その時、別の時間軸にいた、というのかい」

「いいえ。そうは言っていないわ」

「わたしはたぶん、わたしたちもその時間軸にいたと思ってる」

 ブライトはリンが披瀝する仮説に、思わず目を大きく開いた。

「で、では、その時間軸にいた我々は、あの状況を、ヤマトが窮地に陥った状況の渦中にいたというのか?」

「えぇ、そう、たぶん、いたと思う」

 ブライトはごくりと咽を鳴らした。

「もし、もし、その仮説が正しいとしたら、わたしは……」

「これ以上ないほどの絶望を味わっていたでしょうね。たぶん、わたしも含めて」

 ブライトは椅子の背もたれによりかかって、天井を仰ぎ見た。リンがブライトの上に覆いかぶさるようにして、なまめかしい口調で耳元に囁いた。

「さぞや刺激的な夜になったでしょうね」


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 自分の身におこった不思議な現象の解明を、プロフェッショナルに委ねた検証結果が『タイムリープ』などという現実離れしたものであったことにヤマトは大きく落胆した。自分はほぼすべてのことを正直に告白したし、それについて様々な分野の専門家が世界中でそれぞれ分析して、答えを導き出してくれるはずだと思っていた。なのに、この結論なのだ。ブライトが怒っていると聞いたが、それには珍しく同意見だった。専門家がよってたかって分析した結果がこれでは、到底納得がいくはずがない。

 だが、ヤマトは思い切って、そのことをしばらく忘れることに決めた。

 一度は死んだ、と思った自分は、いまここにいて、生きている。その事実のほうが大事だった。過去のことに頭を悩ませるくらいなら、次の戦い、という未来に自分の頭を研ぎ澄ませておくほうがよっぽど建設的だ。

 ヤマトは大きく伸びをすると、部屋を出た。今日は満月だ。画面越しではなく、直接月明かりを浴びて気分転換をするのも悪くないと考えた。だが、ヤマトがリビングに足を踏み入れると、窓際に誰かが立っていた。

 レイだった。

「レイ……、こんな夜中にどうした?」

「ここにいちゃ、駄目?」

「いや、そうじゃないけど……」

「わたしはあなたを待ってたの」

 そのことばを聞いた瞬間、ヤマトは自然に身構えていた。この子がどこから送られた刺客である可能性を排除していた、自分の油断を呪った。

「安心して、わたしはあなたに危害なんてくわえないわ」

「じゃあ、どうして?」

「あなたに聞きたいことがあったから」

 ヤマトはゆっくりと手をおろして、構えを解いた。

「なにを?」

 レイはヤマトのほうへ顔をむけ、まっすぐ見つめた。

「あなた、タイムリープしたって聞いたけど、本当?」

 ヤマトはわざとらしく、うんざりした表情を顔にうかべ、肩をすくめてみせた。

「専門家の話では、そういうことになってる」

「未来から戻ってきたの?」

 ヤマトは親指と人さし指の隙間をすこしだけ開いて、ウィンクしながら言った。

「ほんのちょっとの間ね」

 レイがまったく合点のいかない顔をして、次の質問を投げかけてきそうだったので、ヤマトは先まわりをして補足をいれた。

「さんざん調書をとられたし、ぼくもあらゆる可能性を探ったさ。でも合理的で納得のいく答えには誰もたどり着けなかった」

「だからもう忘れることにしたよ」

「なぜ?」

「『未来から過去にタイムリープした』っていう過去にとらわれていちゃあ、それこそ未来にはすすめやしないじゃないか」

 レイはぼうっと一点を見つめてなにかを考えている様子だった。自分なりにその話を咀嚼しようとしているのだろう。やがて、ゆっくりと口をひらいた。

「うん、わかった。もう聞かない」

「助かるよ」

 ヤマトはホッと胸をなで下ろすと、その場から立ち去ろうとくるりとうしろを向いた。 その背中にむけてレイがぼそりと声を投げかけてきた。

「あなた、お父さんを殺したって、本当?」

 ヤマトはぴくりと身体を震わせて足を止めた。彼はふりむこうともせずに言った。

「なぜ、そんな立ち入ったことを聞くんだ?」

 自分の声が怒気に震えているのが、自分でもわかった。

「私と同じだなって思って」

 ゆっくりとレイのほうをふりむきながら、ヤマトはレイの表情を伺った。からかっているのか、それとも本気なのか。もし前者だとしたら、とうてい許しがたい。

「同じ?」


「えぇ、わたしも一度、お母さんを殺したことがあるの……」

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