習作

斑鳩彩/:p

習作

 ――――粉雪が夢のように美しく舞う夜だった。

 拝殿の前で、ソワソワと落ち着かない心で立っていた私は、ふと見上げた先に石段を登って来る青年の存在に気付く。彼もすぐに私の姿を認めると、凍り付いて滑りやすい足元も気にせず走ってこちらへ寄って来た。

「あ! やっと来た。もう夜が明けちゃうよ。」

「ごめんごめん。電車が止まって帰って来るのが遅れちゃったんだ……」

 彼は申し訳なさそうに頭の裏を掻きつつ弁明をした。その様子が初めて会話をした少年時代とまるで変らないことに、思わずクスリと笑ってしまう。

「ああ、そういえば大学、街の外なんだったっけ。長旅ご苦労様。」

「まだ日は昇らなそうだし、先に参拝だけやっちゃおうか。」

「ええと、私はもう済ませちゃったからいいよ。ここで待ってる。」

「そう。分かった。」

 彼はポケットから出した十円玉一枚を握り締めて、賽銭箱の方へ歩いて行った。私はその後姿を眺めて、知らぬ間に随分大きくなったものだと溜息を吐く。初めて彼を目にしたのは、彼が産まれてすぐだから、もう二十年も昔の話だ。初めて話をしたのは十数年前。彼がこの街を出たのは二年前。それでも初詣の日だけはこの神社に来て欲しいという私の我儘な願いを、彼は律儀に守り続けてくれている。

 彼は身も心も大きく変わったようだった。私は――――、まるで何も変わっていない。

 彼は、いつか私が教えた通りに二礼二拍手一礼をして戻って来る。私はいつもの場所――――街が全部見渡せる石段の頂上へ彼を誘った。

「何をお願いしたの?」

「えっ? そんなの何でもいいだろ。」

「どうせ、今年も彼女と仲良くできますように、とかでしょ。」

「えっ! なんで分かったし。てか俺、君に彼女の話とか一切したこと無いでしょ。」

「顔、にやけてるから。バレバレだって。」

「う、うっそ。」

 彼は自分の顔をペタペタ触って表情を確認する。私は、それがおかしくておかしくて――――でも、悲しくて、涙が出てしまいそうで、それを隠すように思い切り笑い飛ばしてやった。

「クククッ。あぁー、可笑しい。」

「そんなに笑わなくてもいいだろ。俺だって必死なんだよ。」

「分かった分かった。――――彼女、大事にしてあげなよ。神頼みじゃなくてもさ。」

「そりゃ、もちろん。そうだよ。」

 私は一頻り笑うと、目じりに浮かんだ涙を袖で拭った。

 刹那――――涙で滲む瞳に、一筋の曙光が差す。

 地平線の彼方から顔を出した初日は、瞬く間に暗い街を紅色に塗り替えてゆく。真っ白く雪の積もった街は、それを受けてまるで宝石のようにキラキラと輝いていた。それがこの石段の上からは、遠く海の方まで一面見渡すことができる。それも閑静なこの神社では、この得も言えぬ景色を贅沢にも二人占めにできるのだ。

「うわぁ……、綺麗だなぁ……」

「うん。何度見てもそう……」

 私と彼は余りの感動に惚けたまま、ずっとこの情景を眺めていた。

 ――――だから、ポロっと口をついてしまったのかもしれない。

「君も、来年は見られなくなっちゃうんだね。」

「えっ? 何を?」

 本当はこんなことを言うつもりは無かった。

「神様だよ。」

「神様?」

 なのにどうして、未練がましいこの口は止まらないのだろう。

 もう、何度も心に決めたはずなのに。どうしようもないと割り切ったはずなのに。

 ――――今更何をしても遅いのに。

「そう。神様はね、大人になると見えなくなっちゃうんだって――――、そして忘れちゃうんだって。思い出の中にある、神様と会った記憶も皆、全部。」

 私が余りにも唐突にこんなことを言うものだから、彼はポカンと私の顔を見つめ返す。

 そこで私はやっと正気に戻って、馬鹿なことをしてしまったと悔恨の念が押し寄せた。

「ごめんごめん! ただの噂だよ。ほら、ここ神社だから、なんかそんなことを思い出しちゃって……」

 もし彼が私のおかしいことに気付いて、深く詮索するようなことがあったらどうするつもりだったのだろう。ただ、慣れたはずの別れの痛みがより深くなるだけのことなのに。

 幸いにも彼は鈍感な男で、「変なの。」と軽く笑い流してくれた。そして腕時計の文字盤を眺めて、私の顔を見上げる。

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ行くよ。」

「――――随分早いね。」

「ほら、急いできたからまだ実家に顔出してないんだ。ごめん。」

「――――そう。じゃあしょうがない。」

 彼は立ち上がって、私に最後の微笑みを向けた。私はそれを一生忘れないように焼き付けて、しっかりと心の奥底にしまい込んだ。私の微笑みは苦くなかっただろうか。どうせ残らないものと知っていても、やはり気になってしまう。

「じゃあ。」

 彼はその言葉を残して、石段を下りて行った。無意識に、遠くなる彼の背に手を伸ばす。しかし伸ばした掌は空を掴み、無残に落ちる。真っ赤に悴んだ指先に触れた雪が、骨の随まで凍らすほど、甚く冷たかった。

 ――――ほんの少しでも、君の記憶に残れれば、それで良かったのになぁ。

 彼の背を眺めつつ、そんな下らないことを考えていると、彼は不意に私の方を振り返った。その瞳は恨めしいほど楽し気で、まるで私の苦しみには気付いていないようだった。

「来年も、また会おうな。」

 私はまるで何かに勘付いたような彼の言葉に、酷く動揺してしまった。

 何でもない振りをして、溢れそうな涙をぐっとこらえて、それでも言葉を詰まらせる。

 嗚呼……、次の返事で、本当に全てが終わってしまう。

 彼との思い出がまるで走馬灯のように駆け巡る。

 もう溶けてしまいたいとさえ思った。

「……うん。そうだね。」


 ――――この夢のような粉雪と共に。

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