理想の生活終

 夕方になって戻ってきた佳奈子と三崎さんは、目を点にしてみぞれさんのお泊りを驚いていた。

「……コウ、あんたすごいわね……どんな手練手管で」

「待て佳奈子。俺が誘ったんじゃなくて押し掛けられたんだ」

 みぞれさんが頰を染めて俺の腕をそっと掴む。

「光太ったら大胆で……『翰川先生が忘れられないんです』って口説くんだ」

「風評被害やめて⁉︎」

 そんな最低な口説き文句を使った記憶はない。

 三崎さんはみぞれさんをじっと見て緊張している様子だった。……彼女は翰川先生のファンだから、みぞれさんのことも知っていたのかもしれない。



 みんなで勉強会を行った翌朝、俺はみぞれさんにお金を握らされた。

「⁉︎」

「これ、宿泊代」

「い、いや。いいですよ! こんな、受け取れませんし……家庭教師してもらった分で」

「いいからいいから。ホテルに泊まったらそれくらい飛んでたんだから」

 彼女はどことなく満足げな顔で言う。

「僕の理想はね、お姉ちゃんと仲良くして、お姉ちゃんに包まれて、お姉ちゃんと遊んで……とにかくお姉ちゃんといちゃいちゃすることなんだ」

 そう言われましてもどう反応したらいいものやら。

「お姉ちゃんと入れ替わるようなタイミングで出張が入ってしまったけれど、お姉ちゃんが過ごしたこの家に泊まれたことがすごく幸せなんだ。本当なら百万くらい積みたいところだけど、受け取ってくれないだろう?」

「金銭感覚、直してきてもらえません?」

「僕にとってはそれが平常だ。お姉ちゃんのためなら全財産はたいても後悔しない」

 目が本気だ。

「まあまあ、デート代の補填か生活費の足しにでもしてよ。僕は佳奈子と大家さんといちゃいちゃするからさ」

「……浮気……?」

「心外だな。これでも僕は大学で生徒に頼られてるんだぞっ?」

 彼女曰く、『僕は理数の必修科目を落とした生徒の面倒を見ている』のだそうで、多くの学生と親しいのだとか。

「若者といちゃつける特権だよね」

「……あの。みぞれさんって……その」

 いわゆる同性を……


「自分を機械のパーツだと思ってきたから、性別の感覚はないよ」

 想像をはるかに超えて深刻だった。


「すみません」

 土下座する勢いで頭を下げると、彼女は笑って手を振った。

「キミが謝ることじゃないでしょ」

 胸に手を当てて、懐かしむような複雑な苦笑を見せる。

「僕はお姉ちゃんのスペアとして生まれて、ずっと機械に繋がれてたから。お姉ちゃんを憎んでたんだ」

「……」

「ある日機械から放り出されて……お姉ちゃんを殺そうと思って近づいた。……ミズリに殺されかけて暗殺計画が明るみになった」

 そんな。そこまで、思い詰めていたのか。

 それだけの境遇だったのか……

「でも。お姉ちゃんはそんな僕を許して、妹として愛してくれた。完全記憶がなくて、一度演算を始めると脳が焼きつきそうになる僕を救ってくれた」

 苦笑は、嬉しそうで幸せそうな心からの笑みに変わっていく。

「僕は存在しているだけでお姉ちゃんからの愛を浴びてる。そう思うだけでもう全身から体液が噴き出しそうだし、お姉ちゃんの偉大さを感じられる最上の幸福とこの世の奇跡に――」

「すみません勘弁してください俺が悪かったです‼︎」

 俺は今度こそ全力で土下座した。

 みぞれさんはくひひっとからかうように笑い、土下座する俺の頭を撫でた。

「恋を楽しみなよ、光太」

「……はい」

 遊ばれた。

 彼女は、紛れもなく大人の女性だった。



 三崎さんに電話をかけると、佳奈子に『コーディネートしてるから、そっち行くまで待ちなさい』と言われた。みぞれさんと共に自宅で待つ。

「ドキドキだねえ?」

 ニヤっとするみぞれさんは、心のむず痒いところを躊躇なくつついてくる。

「……そ、そうですね」

「僕もお姉ちゃんとのデートの日にはドキドキしたけど、僕がお姉ちゃんをコーディネートしたからまた違うかなあ」

「なにそれ羨ましい」

 好きな人に自分が選んだ服を着てもらえるって、すごく羨ましい。俺はセンスがないからやらない方がいいのはわかっているが、羨ましい。

「ふふふ。いつか仲を深めて、『こんな服を着てほしい』って頼んでみたら」

「……い、いつか」

「そ。いつか」

 あれこれ話していると、チャイムの音。

「……」

 緊張しつつ、ドアを開けに行く。

 スカート姿の三崎さんが立っていた。

「ぐはっ……」

「もっ、森山くん⁉︎」

 彼女の私服は基本がパンツスタイル。私服でスカートというのは、制服とはまた違って良い。

 焦った様子の三崎さんが俺に駆け寄ってきてくれた。なんて優しいんだ。

 佳奈子が俺のリアクションを見てうんうん頷いている。

 みぞれさんが俺と三崎さんの横をすり抜けて、玄関から出る。

「じゃ、僕は佳奈子とミドリさんと女子会だから」

「頑張るのよ、京!」

 二人は手を取り合ってアパートの階段を降りて行った。

 足音が響いたからわかる。

「…………」

 三崎さんを家の中に招き入れ、茶の間で向き合う。

 見れば見るほど可愛い。

 手癖で口走ってしまわないように、慎重に感想を口に出す。

「その。すごく、可愛いと思います」

「あ、ああああありがとうございます……」

 しばらく頭を下げあったのち、なんとか心落ち着けて話を切り出す。

「その。……お互い、受験生だから。遠くまで出るんじゃなくて……散歩しながら公園に寄って。食材の買い出しして……というデートでどうでしょうか」

「い、いいと思います」

「……」

「……」

「本屋さんに、寄っても。いいでしょうか?」

「俺も、寄りたいと思っていました。よろしくお願いします」

 また頭を同時に下げかけて、笑ってしまう。

「……行こっか」

「うん」

 彼女と共に、部屋を出る。

 階段を降りてアパートの外へ。

「三崎さんは……小学生のときはここらの近く?」

「えっと……学校を挟んで、このアパートと反対方向」

「どうりで会わないわけだ」

「目立たない生徒だったから、すれ違ってても気付かないと思うよ?」

 それはたぶんない。

「いっつも走ってるコースで良ければ、ちょうどいい長さの散歩になると思うんだけど……」

「そのルートがいいな」

「ありがと」

「森山くん、走ってるんだね」

「ああ、うん。なんか……足を動かしてたら、無心になれるから」

 小6の頃になれば、両親の仲に亀裂が入り、学校が終われば荷物を置いて逃げるように外に出た。嫌なことがあったら、走るしかなかった。

「そっか。私と同じだ」

「?」

「先生が来てくれてから、一緒に公園で走ったり、散歩したりしたんだ。気分転換にって……」

「……良かったね」

「うん。……そうだ。森山くんとお付き合いすることを報告しなきゃ」

「あ……それは俺も報告しなきゃ」

 話しながら歩いて行くと、言葉のやり取りの端々から、彼女の聡明さと優しさが滲み出て感じられる。

 楽しい。

「歩き通しもなんだし、休んで行かない?」

 通りかかった公園を指差すと、三崎さんも頷いて、テーブル付きベンチに座った。



「……で、なんで二人してゆでダコで帰ってくるわけ?」

 呆れ顔の佳奈子に言われ、俺と三崎さんは俯いて固まっていた。

「「…………」」

「まあ、ギクシャクしてても買い出しはしてくるところがあんたたちらしいというか、何というか……」

 現在、俺の家の台所では、みぞれさんがトンカツを作ってくれている。

「そのですね。……そのう」

 公園の自販機で飲み物を買い、通りかかったコンビニのイートインで昼飯。

 その後また歩き出したのだが……

「い、一応は、いわゆる……恋愛関係になったわけで……呼び方を……」

「そんなの呼び捨てでもあだ名でもなんでもいいと思うけど」

「……呼ぼうとして……私が、錯乱してしまい……」

 三崎さんが真っ赤な顔を両手で覆う。

「い、いや、俺も、大分……」

 三崎さんは『こう……』と口に出せばフリーズ。俺に至っては何度『京』と名前で呼ぼうとしても『京……さん』となる始末。

 気付いたら夕暮れだったので、急いで買い物をして帰ってきた次第だ。

「……いいんじゃない。あんたたちらしくて」

 佳奈子はため息をついて、みぞれさんに揚げ物のやり方を教わりに行く。

 なんだか佳奈子もいい意味で強かになったような気がする。

「……」

 なんとなく、三崎さんと目が合う。

「なんか、ごめん」

「だ、大丈夫。私も……次は、呼ぶ練習を、してきます」

 真面目だ。

「俺もしてみるよ……」

 シミュレーションと練習をしておけば、いつかは呼べるだろう。

「できたよー。二弾三弾と揚げていくから、盛り付け手伝ってね」

「はーい!」

 トンカツとホタテフライは見事な揚げ具合だ。

 千切りキャベツとトマトと一緒に盛り付け、白米味噌汁のコンビのそばに皿を並べる。

「……美味い」

「それは良かった」

「もしかして、クレープの話題で思いつきました?」

 渡された買い出しメモの時点で、本日のメニューは予想がついていた。

「うん。たまにガツンとしたもの食べるのって、幸せだよね」

「おかわりしてくるわ」

 佳奈子は空になった茶碗を持って移動する。相変わらず早食いだ。

 みぞれさんはカツを切り分けながら何気なく言う。

「光太は好き嫌いないよね。お姉ちゃんが褒めてたよ」

「そっすね。激辛だったり激苦だったりしなければ、いろいろ食べられます」

「良かったね、京。結婚しても同じ料理食べられるよ」

 彼女は『好き嫌いあると、メニュー別になっちゃうからね』と言っていたが、俺たちはもう気が気じゃない。

「「……」」

 帰ってきた佳奈子に『なんでまたゆでダコなのよ』とつっこまれた。



 土日明けから、みぞれさんはあちこち移動するようになった。『宿代わりにしてごめんね』とお金を追加しようとしてくれたが、固辞した。アパートの設備のメンテナンスをしたり、ばあちゃんを助けていたことを知っていたから。

「いやあ、良くしてくれて、ありがとね」

「いえ」

 木曜日、ワークショップが終わったという彼女は最後に俺に挨拶しにきてくれた。

「楽しんでもらえてたら嬉しいんすけど……」

「楽しかったよ。理想の生活そのものだった」

「?」

 翰川先生がいないが……

「あ、疑ってるね?」


「明るくて温かい毎日が過ごせれば、それが僕の幸せなのさ」

 みぞれさんは深く一礼し、タクシーに乗って去って行った。

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