お別れを

 翰川夫妻とともに、アパートの俺の部屋に戻る。

「……引っ越し準備は?」

 このお二人は二ヶ月の間に家具家電をきっちり持ち込んでいた。

「キミたちが学校に行っている間に済ませたよ。ひぞれが俺たちの東京のマンションに送ってくれた」

 ミズリさんが誇らしげに翰川先生を撫でると、彼女がむふーっとする。

「僕の瞬間移動はこういう時に役立てられるものだからな!」

 鍵が開いたのでお二人を招き入れる。

「ものすごい遠くまで転移させられるんですね」

 しかも、現地に誰もいなくても。

「コードとは、この世にある存在の情報を描くものだからな。その場所にあるという情報さえ書き換えられれば、転移など容易い」

「? うーん……」

 難しい。

「ふふ。これはまた、違う機会に教えよう」

「神秘にもいろいろあるんですね」

「うむ」

「今日はお世話になります。荷物向こうに全部送っちゃったもので」

 リビングでお二人が頭を下げる。

「いえいえ。これまで俺の方が散々お世話になってきてますから」

「ありがとう。手洗いうがいをせねば。洗面所借りるぞ」

 真面目な先生が可愛い。

 ミズリさんもそう思っているようで、微笑ましく彼女を見つめていた。

「二人も手洗いうがい!」

「はーい」

「今行くよ」



 客間に夫婦二人分の布団を敷く。

「布団でも大丈夫なんですか?」

 起き上がるとき、辛いのではないかと。

「実はそばの棚を支えにさせてもらっていた」

 壁際の棚を指差す。

「良かった。存分に使ってやってください」

「今日は俺がいるから何も心配いらないよ、光太。昔からひぞれを抱き上げて起こすのは俺の役目だったからね」

 揺るぎないミズリさんが微笑む。

「いつもありがとう」

「どういたしまして」

 ラブラブだなあ。

 眩しい。

「京ちゃんを大切にするんだよ」

「ふおうっ⁉︎」

 まだ付き合ってすらいないどころか告白さえしていない!

「む、むむむ無理ですよ。無理……俺なんぞ眼中には」

「京はそんな女の子じゃないぞ」

「恋愛対象としてって意味ですよ!」

 三崎さんが『男子なんかどうでもいい』というタイプだと言いたいわけではない。それは彼女への名誉毀損だ。

 彼女の周り……というか、彼女と同じ特進クラスには、スポーツ万能で頭のいい、顔も良い男子が複数人いたはずだ。

 俺より魅力的な男子が周りにたくさんいるのではないかと思っているだけである。

「全く……いつになったら光太は自信をつけるんだ?」

「京ちゃんが普段話す男子は用があるときや世間話の時が主で、プライベートで一緒に過ごす男子は光太だけだそうだよ?」

 その情報は嬉しい。

「……脈ゼロというわけでは、ない?」

「もー! 何度も言ってるのに!」

「厳しいリーネアチェックを通り抜けて『こいつは京に無害』って判定を受けたんだから、誰よりも脈ありだよ。だって普通は通らないんだからね」

「そのリーネアさんのチェックもどういうものなのか」

 あの人の安全基準がどこまで何を調べるものなのかわからない。

「実はリーネアは、ほとんど予知のレベルで未来を直感できる本能の持ち主だ」

「キミがこれまで『心読まれてる?』と思ってきたのはそれのせいだよ」

「……」

 まじか。本能だから無自覚だったのか、あの人。

「オウキも似たような感じだけど、あの子はきちんと自分の能力を把握している」

「な、なるほど」

 翰川先生が深く頷く。

「彼はその本能を利用して、京を脅かす危険分子を排除しているのだ」

「女子相手にも発動したことがあったらしいよ」

 ふるい分けしているのか。

 詳しくは知れていないが、三崎さんは心に傷を負った女の子だ。傷口に塩を上塗りするようなタイプがそばにいるのは良くない。

「京を脅かす……これは彼女を怖がらせたり、彼女の精神外傷やパニックを上手く処理できず傷つけたりすることも含む。そういった危険が少しでも感じ取れれば、彼は相手が誰だろうと容赦なくはねつけるだろう」

「三崎さんに男子を近づけたくないってわけじゃなかったんすね」

「本当にそうだったら、あの子はとっくに学校中の男を射殺してるよ」

 怖っ。

「相性の悪い相手をはねつけているのは、京のみならず、その相手のためでもある。人の傷に触れて傷口を広げてしまったときは、同じくらいに痛みを覚えるものだからな」

「……優しいですね、リーネアさん」

 ライフル大好き戦争主義者の爆弾魔でも、彼は優しい。

「り、リーネアが爆弾魔なのはその環境に適応したからであってだな。生まれつきではないんだぞ!」

「わかってますって。ってか、先生はどうやって俺の心を読んでるんですか」

 いつも思っていた。

 くりっと首を傾げて答えた。

「なんとなく?」

「うわーい」

 今日も先生は可愛いなー。

「むう。リーネアの職人の才能は鍵と火薬に極振りだからな……一見は戦争主義者に見えても仕方ない」

「はいはい。そこはもうフォローできないとこだから、諦めようね」

 ミズリさんが話を引き取って収めた。

「最終日くらい、勉強抜きでお話ししようと思うんだけど……どうかな?」

「……」

 甘いことを言うなと思われても仕方がない。

 だが、俺は二人と話したい。

「お願いします」



 翌朝、朝食を食べて、お二人と一緒に玄関を出る。

 少し遅れて佳奈子も隣の玄関から出てきた。

「おはよう」

「おはよ……あんた目真っ赤ね」

 仕方がないのだ。

 昨日は話しているうちに客間で泣いて寝落ちしていたし、いつもより遅く起きたらお二人に朝食を作ってもらっていた時にも泣いた。

 別れの時だと思うと、もうすでに泣きそうなのだ。

「光太。何も今生の別れではないぞ?」

「理屈じゃ、ないと思うんです……」

「キミは本当、素直でいい子だ」

 二人はいつも優しく笑っている。

「……佳奈子。キミにもお世話になったね」

「あたしたちの方が世話になってばっかりよ」

 同感だ。

「このアパートで過ごせて楽しかった。ありがとう」

「ん……」

 佳奈子はぐいっと目を袖で拭い、姿勢を正す。

「またね!」

「俺も……また会えたら、よろしくお願いします」

「うん」


「行ってきます」

「またね」


 とりあえず。

 途中の公園で、顔を洗っていこうと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る