礼と回帰と追憶

 佳奈子と一緒に家に帰ると、家の前で真っ黒なゴーグルをかけた男性と、彼に寄り添うシェルさん似の女性が待ち構えていた。

 佳奈子がぴゃっと俺の後ろに隠れる。

「……あ、あのー?」

 呼びかけると、男性が俺に気づいて振り向く。

 見えているようで安心した。

「カルミアと言います。はじめまして、光太くん、佳奈子さん」

「はじめまして……」

 なんだろ。

 この人、目をぐるりと覆うようなゴーグルこそ異様な存在感を放っているが……

「……リーネアさんに似てる?」

 思わず零すと男性が少し驚く。佳奈子と同じように人の後ろに隠れていた女性も、無表情気味ながらも驚いていた。

「!」

「あ、リーネアさんっていう人はですね、」

 知らないかと思って紹介しようとすると、カルミアさんが手で制止した。

「知ってます。リナリアは僕の弟だから」

 こんなに似てれば、まあそうだろうなー。

「見抜く人、滅多にいないから驚きました」

 この人は驚きを自己申告しても表情とちぐはぐではない。

 リーネアさんと比べると人間味が表層に出ているように感じた。

「そんだけ似てたら誰でも気付くと思いますけど」

 不思議だ。

「いろいろとあって……ゴーグルに認識をぼやかすような魔法がかかっているんだよね。飛び越えて見抜くキミの方が不思議です」

「へえ、なんか大変そうっすね」

 ゴーグルをしているのにも事情があるのだろう。つつかないことにした。

「家族と友人がお世話になりました」

「あっ……いやあ、そんな……気を使っていただかなくても」

「僕の胃がもたないのでせめて謝罪させてください」

 この人も苦労人なんだろうな。

 土下座せんばかりに恐縮しているので、宥めて受け取り、お礼を言う。

「異種族の皆さん、気を使ってくれて……こっちが申し訳ないくらいです。お世話になってます」

「……お世話に、なってます」

 佳奈子がひょこりと顔を出して頭を下げる。

 向かいで女性も顔をひょこりと出す。可愛い人だな。

「あの、後ろの方は?」

「恋人です」

 女性が顔を赤くして、彼に抱きつく。

「お幸せに」

「ありがとう。……佳奈子さんにお礼を」

 俺は佳奈子をそうっと前に出す。

 わたわたしていたが、やがて観念して姿勢を正した。

「父に、僕たちの様子を見るように言ってくれてありがとう。お陰で弟に足を削られなくて済みました」

「何があったんですか……?」

 佳奈子が怪訝そうに問う。

「その。双子なのに、外見年齢が違うことについて……『縮め』と言いながらナイフを」

 大変そうだなあ。

「…………。お疲れ様です」

「ありがとう……」

 頭を下げた。

 なぜか俺を振り向く。

「そうだ。光太くん。ひぞれさんのこともありがとう」

「え?」

「僕は東京で医者をしていて、ひぞれさんのことも一度医者として診たこともあるんです」

「……そうなんですか」

 このゴーグルで医者か。インパクトある人だ。

「先程彼女とお会いしましたが……札幌滞在がすごく楽しかったみたいで、良かった」

「……俺も良かったです」

 助けになれたのなら。

「先生の『了解』って口癖がすごく凛々しくて可愛いんですけど、あんまり聞くことなくなって」

 少し寂しくなったりもした。

「……ひぞれさんは、心許した相手には『了解』が減りますよ」

「?」


「『了解』または『了承』と答えなければ『人間ぶるな』と殴られていたそうなので。『了解』の頻度の高さは警戒の証です」

 ――くたばれ数秒前の俺。


 彼は慌てて補足する。

「け、警戒していなくても、緊張などすれば頻度は増えますし! 別に『了解』と言ったとしても、ひぞれさんが嫌な思いをしているということはありません。無意識内でのことだから。……心許しているようで、安心したんです」

「……」

 女性はカルミアさんに頬ずりをしている。どことなく、彼に甘えているようで、彼を諌めているようでもあった。

「すみません。要らないことまで喋ってしまいました」

「……大丈夫です」

 教えてもらわなかったら、俺はいつか無神経に先生を傷つけてたかもしれない。

 佳奈子が質問する。

「これから帰るんですか?」

「はい。そろそろ、同僚にどやされそうですから」

「……ん」

 女性が顔を出して挨拶する。

「ワタシ、アステリア……」

「アステリアさん。綺麗な名前」

「ん」

 もじもじしながら俺たち二人に会釈する。

「あーちゃん……弟。迷惑かけたから。ごめんなさい」

「……あーちゃんって、シェル先生ですか?」

 こくりと頷く。

「弟と友達が、お世話になりました」

「僕も家族と友達がお世話に。ありがとう」

 お二人は俺と佳奈子に手土産を渡して去って行った。

「……佳奈子。今日、空いてる?」

「うん」

「勉強会しようぜ。……そんでさ、夕食、オムライス作ってみないか?」

「乗った」

「よっしゃ。ばあちゃんと先生にご馳走しよう」

 拳を打ち合わせる。

「翰川先生はオムライスどうなのかしら」

「好きらしいよ。夏休み中、レストラン連れてってもらったら幸せそうに食べてた」

「あんたけっこうデートしてるのね」

「ミズリさんとも一緒だよ。デートっつーか、お世話になりまくってるだけで……恩返ししたいけどしきれない」

 恩師とはこういうことなのだろうと思う。



  ――*――

 虹色に艶めく銀髪の子どもは、膝上で首を傾げている。

「首、刎ねるか?」

「……なぜそう思う? お前がどう喋ろうと俺は構わない」

「不明。お前、王。不敬。つみ?」

「お前が言いたいことも、何を考えているかもわかっている。しかしまあ……その口調では、短気で高慢な神はしかねないか」

 首を傾げる。

「質問をしてもいいだろうか、憐れな鬼の子」

 頷く。

「神様に首を刎ねられたのか?」

 頷く。

「それは神様が悪い。お前に非はない」

 首を傾げる。

 先程からこの2つの動作しか見ていない気がする。

 膝の上で不気味なほどじっとして、抜けるように青い目で俺を見上げている。

「神様が相手の時は丁寧に喋らなければ不敬と見なされる」

 より正確に言うと『目上の人物が相手』のときだが、この子の周囲にいるのは神様ばかりだ。補足は後でしてやろう。

「教えてもらわなければわからないことだ。そうだろう? お前は知っていたか?」

「……」

 首を横に振る。

 動作パターンが増えて安心した。

「お前の周りにいたのも神様。お前を育てたのも神様なら、教えていない神の怠慢というほかない」

「神、正しい。上位。自分、下位」

「……」

 都合のいいことばかり教え込むとは。外で喚き散らす神々は子育てに向いていないにも程がある。

「処刑すべきものを、殺す役目。神々を解く役目。望まれて殺し、問いを解く」

 不安定な神々ならば、喉から手が出るほど欲しがるような才能。

 その神がなんであるかを断じ、存在を保証するもの。神にも解らない謎と問いを解くからくり。

 神が手を入れてまでこの子を作り上げた理由がわかった。

「憐れな子だな」

「スペード、ハーツ、同じことを、言う」

「……それも神か?」

 頷く。

 呼び捨てを許されているのなら、親しい――というか、この子を愛おしく思っている神だろう。

「どこにいる。外で喚いている神々の中に居るのか?」

 この子を連れて行こうとすると喚いてうるさかった。一旦黙らせたが、復活してからは今も窓の外でうるさい。

「…………。いない」

 極限まで薄まった感情が、少しだけ揺れる。

「いなくなった」

「その人たちに会いたいか?」

 首を傾げる。

 この子は自分の感情を理解できていない。

「スペード。ハーツ。いない。神、上位、正しい? しからばいなくなったのも正しい。……正しい」

「……神は正しくなどない。神には感情があり、感情があって間違えない人などいない」

 俺の先祖にあたる女神は暴君だ。この子を会わせたらさぞかし驚くだろう。

「?」

「少なくとも、スペードとハーツをお前から引き剥がしたのは間違いだ。俺はそう思うよ」

 誰からも何も教えてもらえていないこの子が、かつての自分と被って見える。

「……不明瞭。感情、選択。影響なし」

「賢いが、まだ成長途中だな」

 子どもらしいところもあるものだ。

「んぅ」

 撫でると目を細める顔に、ほんの少しだけ、感情が垣間見えた。

 本当なら、スペードとハーツが育ててやりたかったであろう、この子自身の意思と感情が。

「喋り方はこれから教える」

「?」

「空っぽで小さな鬼。名を何と言う?」

「シュレミア、と。アリア」

「呼び名にはアリアを選ばせてもらおう」

「……?」

「これからよろしく、アリア」

「……」

「ところで、外のは追い出していいか?」

 この子が良いのなら、何人でも首級にしよう。



  ――*――

「お父さん抱っこ」

「ぼくも抱っこ」

 末っ子ふたりはいわゆる子供体温。

 膝に抱き上げると温かい。

「お父さん、何かいいことあった?」

「……旅行が楽しかったです」

 心が軽いから、自分は楽しかったのだとわかった。

「珍しいね」

「自覚症状が出るの、遅いですよね」

 末っ子たちが酷い。

「色々とありまして」

「ぼくも楽しかったですよ」

「わたしも楽しかった」

「それは良かった」

 今はイギリスのホテルでゆっくりしていた。

 セプトとパヴィは、残念ながら二人ともそれぞれ俺に似ていて、子供らしくない。

 いくつか魔法と数学の疑問について答えているうちに、双子が揃って寝落ちする。二度寝の姿勢に入ってしまった。

「大はしゃぎね」

「ああ」

 シャワーから上がってきた妻が笑う。

 寄り添ってきた妻の髪をタオルで拭い、魔術で水分を適度に飛ばす。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「ふたり、ベッドに寝かしましょうか」

「そうだな」

 妻はパヴィ、俺はセプトを抱き上げて、隣室のベッドに寝かせる。

「ふふ。あなたにそっくり」

「……中身はお前に似て欲しかった」

「気にやむことないのに」

 妻はとても心が広い。

「ねえ、あなた」

「なんだろうか、アネモネ」

「……あなたと旅をするの、久しぶりで嬉しかった」

 子どもたちが生まれる前は二人で世界を旅した。懐かしい。

「すごく幸せよ」

 俺の妻が可愛い。

「俺も幸せ……だと思う」

 未だ自分の感情に自信はないが、暖かさを感じる。

「ふふふ。……ね。明日の朝、日本に戻るでしょう? 今日はこれからどうするの?」

「二人が起きるのを待って、大学に行こう。知り合いに誘われている」

 表舞台には出てこないが、魔法と数学に優れた学府だ。双子が喜ぶだろう。

「わかったわ」

 ベリーパイをつまむ。

「ところで、聞いてなかったけど……アスさんのお電話、なんだったの?」

「カルミアと結婚したいと仰っていた」

 姉は電話越しでも可愛かった。

「まあ。めでたいわね。お祝いを贈らなくちゃ」

「結婚まで長引きそうなのが問題だな」

 俺としても、さすがに父母や兄姉を呼ぶ事態は避けたい。

「二の足を踏むようだったらオウキが張り飛ばして前向かせるでしょう。きっと大丈夫よ」

「……そうだな」

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