こうたと

 出会ったばかりのあの日のように、札幌駅目指して地下鉄に乗る。

 今回は、行きも翰川先生と一緒だ。

「……先生には、懐かしいって感覚あるんですか?」

 懐かしいと感じるには、記憶が今の自分から遠く思えることや、忘れかけていた記憶がふと蘇ってくることが必要だと俺は思う。

 忘れるプロセスが要求される後者はないとして、こういう感覚は彼女にあるんだろうか。

「あるよ。キミのものとは形態が違うかもしれないが」

「?」

「僕は自分が刻んだ時間を全て記憶している。記憶からは、容量というか質量というか……そういった物理的な量を感じ取れる。演算で記憶を引っ張り出したとき、その記憶に辿り着く際に要した情報量など鑑みて、それが多ければ懐かしいと感じる」

 あんたはコンピュータかと言いそうになったが、スパコンの代わりができる演算能力があるのだからあり得なくもなかった。

「……なんだか規模とレベルが違いますけど、要はその。記憶が今の自分から遠いって思ってるんですね?」

「だな」

「じゃあ、俺と同じです」

「!」

 先生はふわっと笑って俺の手を握った。

「キミとお揃い。とても嬉しい」

 やっべ超絶可愛い。

「……どうしてその質問を?」

「俺が今、なんだか懐かしく思えてるから……そういや先生にはこういうのあるのかなって」

「キミは共感性の高い素敵男子だな」

「いやあ、俺なんか共感性なんて何も……」

「人が何を感じるのか。それをどう思うのか。みんなバラバラで、違うこともあれば同じこともある。決め付けで見ず、素直に質問をするのは良いことだよ」

 先生にかかれば、褒めるところのない俺を褒めるのも容易いのかもしれない。

「……先生って、褒め上手ですね」

「褒めても何も出ないぞ」

「っふ、ふ」

 なぜかツボに入った。

 先生も笑う。



 札幌駅に到着し、ICカードを改札にかざして通る。

 混雑を避けるため、通路の壁際を歩く。

「そういえば、これと学生証。先生が届けに来てくれましたよね」

 俺はカードと学生証の入ったパスケースをスーパーで落とし、先生はそれを拾って、翌日に届けに来てくれた。

「んむ。そうだったな」

「逃げてすみません」

 本気で怖かったので自転車で逃げた。

「……実は僕のしたことをミズリに伝えたら『そりゃ怖いって』と叱られた。悪いのは僕だ……」

 落ち込んでいる。

「いや、でも、俺も……疑わないで聞いておけば、無駄に走り回らずには済んだんで……」

 アイス争奪戦の件であれこれ精神的なダメージが入ることも、先生の人間性を誤解することもなかった。

「ふふ。キミには申し訳ないが、僕はキミの走りを見て、リーネアに代役として推薦したのだぞ」

「……まじすか」

 駅から繋がる商品店舗の入り口を見つけ、エレベーター待ちの列に並ぶ。

 先生は階段を登れないわけではないが、時間がかかって疲れてしまうそうなので。

「危険な目に遭わせてすまなかった」

「いいえ。もう過ぎた事ですし」

 5階で降りる。

 ここは喫茶店付きの雑貨屋があるフロアだ。

「先生は、どうしてここで待ってたんですか?」

 あの日翰川先生が俺を待っていたのと同じテーブルで、彼女と向き合う。

「キミを驚かせ怖がらせてしまった僕だが。しかし、やはりパスケースを届けるべきだと思ったし、将来が恐らくは明るくないキミに、学問に触れて欲しいと思った。……時間をおいたら少し落ち着いてくれるかと思って、ここで待っていたんだ」

「……俺の自業自得みたいなもんでしたから、気にしないでください」

「恐怖を与えたのは事実。僕の落ち度だ」

 彼女はとても誠実な人だ。

「……先生はどうしてペンギン好きなんです?」

 皇帝ペンギンがモチーフの、ぺんぎんさんバッグ。彼女のかたわらにいつもどこからか現れている。

 とても可愛くて彼女らしいアイテムだが、そこまで入れ込むようなきっかけはあるのかと。

 もちろん、『なんとなく好き』という理由でも良いと思う。何かを好きになることは理屈だけではない。

「研究所から助け出され、体調も落ち着いてきた頃。僕はローザライマ家に遊びに行かせてもらい、本棚にあった動物図鑑にハマった。カノンに見せてもらった動物番組にもハマった」

「お、おお……」

 出だしの重さはともかく、要は呪いが解けた直後の俺と同じだ。

 俺も、テレビを見られるようになってからは動物のドキュメンタリー番組や動画集にハマったものだ。

「カトレアがローザライマ家に遊びに来た際、僕に自己紹介して、さらに詳しい図鑑と解剖図、生物学の本をくれたんだ!」

 カトレアとはシェルさんのお姉さんの魔王だ。

 動物好きで、本人も生物の研究をしている。

「ぺんぎんさんの項目もあって……彼らは骨格的に、骨が空気椅子の状態。なのでよちよち歩き」

「そうなんだ」

「足があるのに上手く歩けない彼らに、親近感のようなものを抱いたのだな……カトレアが詳しく語った話を聞いて、自分でもよくわからないまま泣いていた」

 歩くのが上手くないペンギンは、一度水中に入れば自由自在に泳ぐ。

 上手く歩けなくとも自分の分野では誰より自由な翰川先生と似ている。

「泳ぐの上手いですよね」

「うむ。時速は7〜12キロ程度ながら、彼らは泳ぎが上手い」

 こういうことがスラスラ出てくるんだもんなー……

「人間の泳ぎは二次元的だ。真っ直ぐ前に進むことはあれど、泳ぎながら潜ったり浮上したりをペンギンほど小刻みに素早くこなすのは難しい。水泳ならば横。潜水なら縦とでも言えばいいかな」

「あー……」

 人間が水中で連続で方向転換することは難しい。そもそもそれが必要とされる場面はないだろうし、体力が足りない。

「ペンギンは器用に方向転換して、生きて泳ぐ魚を三次元的に狙うのだ。また、外敵から逃げるのにも小回りの利く泳ぎは活かされる」

「……自分が食べるだけじゃなくて食べられる側にもなるって、普通なんですよね」

 つい捕食者目線で考えがちだが、そういうこともある。

「だな。捕食者には捕食者の、被食者には被食者の生存戦略がある。キミもまたカトレアと会う機会があれば、動物話に花を咲かせるといい」

「そっすね。会えたらいいなあ」

 彼女はバッグに手を突っ込み、一枚のプリントを見せてくれた。端にペンギンのマークが入っている。

「僕は研究室のシンボルをぺんぎんさんにしているぞ」

「予想以上にクオリティ高いロゴっすね」

 円の中に皇帝ペンギンの後ろ姿が描かれており、上の方から青、緑、黄色へとグラデーションがかっている。

「オウキがデザインしてくれたんだ」

 職人さんが。そりゃデザインのプロだわな。

「それ以降、研究室で配るプリントが僕と相方からのものだと証明する必要があるときはこれを使っている」

「へー……ってか、これどっかで見たような気が……」

 ネットのどこかで。

「? 外的なところではあまり使っていないはずなんだが」

「勘違いしてるかもなんで、思い出せたら言いますね」

「了解した。無理に思い出そうとしなくてもいいぞ」

「先生と違って記憶緩めなんで……」

 ぬるくなってきたコーヒーを飲む。

「美味いっすね」

「良かった。前に飲んで美味しかったやつなんだ」

 先生はアップルパイを食べて微笑む。

 俺たちの計画では、ここの喫茶店で軽食をとり、あとはあちこちの店を回ろうということになっていた。

「……」

「☆」

 アップルパイを幸せそうに食べる先生を見て、思い出した。

 佳奈子が寛光の公式ホームページで隠しページを見つけたとかで、『ひーちゃん先生ファンクラブ』って――

「…………」

 そのサイトでは、さっき見せられたロゴとはグラデーションの色が逆さで使われており、さらにペンギンは大人ではなく子ペンギン。

 間違いなく、翰川先生のファンが有志で作ったクラブサイトだ。

(……寛光って、ヤバいな)

 今更その程度で憧れは揺らがないが、背筋は十分に冷えた。

「……ごちそうさま」

 手を合わせて一言。

「待たせてすまない。食べ終わったよ」

「全然待ってないですよ。どこ行きます?」

「ん。少しそこの雑貨屋さんを見ていきたい」

「いいっすね」

 輸入物のお菓子や、喫茶店で出てるのと同じコーヒー・紅茶が入っている。

 先生は一目散に輸入物コーナーに向かった。

「光太、光太っ。これ、見覚えあるだろう?」

「……うわーお……」

 なっつかしー。

 リーネアさんがお土産に持ってきた『世界の細菌チョコレート』だ。

 相変わらずエグいデザインだなー。

「新しい形が仲間入りしているな。バクテリオファージだ。ウイルスにも手を出したとは」

「……この月面着陸しそうなやつですか」

「アポロ月着陸船のことか? 確かに、細い多脚だから少し似てるな」

 正直言って、フォルムが気持ち悪いので食べたくない。

「生物の体内も一種の宇宙だし、ウイルスは細菌に着陸して感染する。細菌を月にたとえるとは、なかなか詩的だな、光太」

「そんな深い意味で言ったわけじゃ……いや、いいっす……」

 ちなみに先生は『ネコクッキー』という、そのまんまな名前のクッキーを買ってバッグにしまっていた。



 本屋では寛光大学の過去問集を見たり、一冊だけあった過去問解説本を買って読んで楽しんだり。

 ゲームセンターでは、先生がクレーンゲームで簡単にお菓子をゲットしたり。音ゲーを二人でプレイしたり。

 あっという間に時間が過ぎていく。

「……さて、光太」

「はい」

 きっと『帰ろう』かな。

 寂しさを覚えつつ答える準備をしていると、先生が笑った。

「家電と家具を見に行こう」

「え」

「シェルからの商品券があるだろう?」

 以前渡された、冷蔵庫三台買えそうな合計額の商品券。先生に言われて持ってきた。

「でも、早くないっすか。まだ9月ですよ?」

「目星をつけるのは今からでもいいんだぞ。今から値段を見て相場を捉えておくのも良い」

「安売りしてくれるのって春の時期な気が……」

 彼女は俺の手を握って、願うように告げる。


「せっかくのキミとのデートだ。……僕がキミにできることを精一杯したい」

 心臓が撃ち抜かれた。


「……い、いいんですか。そこまで世話してもらっちゃって……」

 ただでさえ、先生には世話をかけまくっている。

「キミと過ごすのは楽しいよ」

 胸が締め付けられる。

「……ありがとうございます」

「大船に乗ったつもりでいてくれ。僕は仕事の関係で家電には詳しい」

「ではお願いします」

「任された!」

 あー、もう、翰川先生は最高に可愛いなあ。

 ……帰っちゃうのが寂しいなあ。

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