巫女の姉妹
美織が家に居る。
可愛い妹が私と同じ家に。
「……何にやにやしてるの、お姉ちゃん?」
中学校から帰ってきて、普段着に着替えた美織が、台所でうっとりする私を怪訝そうに見ています。
薄情に見えるかもしれませんが、美織がドライなのは昔からです。
「ふふふふ……美織と一緒だから嬉しい」
「金曜からずっと一緒でしょ。……うちも嬉しいけど恥ずかしい」
「ごめんね。お弁当、どうだった?」
「……美味しかったよ」
赤い顔の美織がお弁当箱をカバンから出します。
私の隣に立って洗い始めました。
「お姉ちゃん。毎日、お弁当……ありがとね。早起きして作ってくれて……」
「どういたしまして」
ローザライマ家の皆さんに面倒を見てもらうようになってからというもの、毎日朝6時のランニングは習慣になっていました。
今は、その習慣が美織のお弁当作りに代わっただけ。苦労はありません。
「学校はどうだった……?」
いじめとまではいかないものの、美織は男子からからかわれてしまっていたそうで、心配していました。
「なんとかなったよ。……悔しいけどシェルは頼りになるね」
「さすがシェル先生。頼りになる常識人!」
どう解決したのかはわかりませんが、きっとスマートな解決法を伝授したのでしょう。凄い人です。
「お姉ちゃん眼科行った方がいいんじゃない?」
美織とお話ししながら、今日の献立を二人で作る。
凄く幸せです。
美織には野菜を切ってサラダを盛り付けてもらいました。形が不ぞろいで不器用なところが、料理を始めたばかりの自分が思い出されて愛おしいです。
休日には美織のお願いで私とルピネさんがお料理を教えています。なんて健気な妹なのでしょう!
夕食は美織リクエストの焼き魚とお味噌汁がメインです。
「……ルピネさんは?」
「ルピネさんはお仕事でヨーロッパに出てるの」
海外の魔法の学校で仕事があるのだそうです。
「じゃあ、しばらく帰ってこないんだ」
「? うん。そう」
「……お姉ちゃんと二人きり……」
美織が何やら呟いていますが、お料理美味しくなかったでしょうか?
「焼き魚美味しくない……?」
「はっ。……だ、大丈夫。凄く美味しいよ。この魚、なあに?」
「良かったあ。えーとね、それはツボダイってお魚だよ。脂がのってるでしょう」
「うん。お姉ちゃんが触れたお魚美味しいよ」
「うふふ。焼いたの私なんだから」
触ったのは当たり前です。美織ったら。
「……お姉ちゃんが良妻賢母で辛い……!」
お風呂上がりの美織が謎のセリフを叫びました。
「ど、どうしたの?」
私はアイロンをかける手を止めて妹を振り向きます。
「どうしてそんなにうちに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるの? お母さん、アイロンなんてしてくれなかったし、うちがしようとしたらお父さん怒ったのに」
「…………」
実家を出て、自分の両親の悪質さがわかるようになりました。
「私が美織にしてあげたいからするの。……いままで……何にも出来なかったから」
守りたいと思っていたのに、自業自得で眠り続けて夢の世界でのうのうとしていたことを思い返すと今でも自分に怒りが湧きます。
「お姉ちゃん、結婚しないでえぇ……! 結婚するならうちを嫁入り道具にしてえ……‼」
「あわわわ」
妹が錯乱し始めました!
「だ、大丈夫だよ。お姉ちゃんはまだ恋人も……」
「お姉ちゃんほどの女の子が独り身なんて周りの男見る目ないんじゃないの⁉」
今度は怒り始めました。よくわからないです、この妹!
「美織はお姉ちゃんが恋しいのかお姉ちゃんにお嫁に行ってほしいのかどっちなんですか!」
「うわ――ん!」
叱って宥めて、泣き止んだ美織曰く……『姉がお嫁に行く未来を垣間見てしまい、ようやく和解できたばかりなのにもう離れ離れなのか』と思ってしまったのだそう。
「……じゃあ何でお姉ちゃんに恋人が居ないのを怒ったの?」
「自慢のお姉ちゃんに彼氏さんが居ないとなると、周りの男に問題があると思った」
「いまのお姉ちゃんには、その《周り》が居ないんです」
私は学校に通っていません。
親しい友人は女の子が多いですし。
それに……
「……」
唯一の男の子は……
「お、お姉ちゃん? ごめんね……!」
美織が私に飛びつきました。
そこでようやく、私は自分の目から涙が流れていることに気付きました。
「あ……美織。だいじょうぶ、だから」
「うち、知って……お姉ちゃん、ずっと寂しい、のに。うち一人、学校……! お姉ちゃんごめんなさいぃっ……‼」
鈍い私と違って感受性の高い美織は、自らの顔に素直に表情を映し出す子です。
荒んだ実家のせいでいじけているように見えましたが、こういうところは昔から変わらないのですね。
「大丈夫だよ」
妹の優しさが変わっていないことを嬉しく思いました。
可愛い妹を撫でながら、私はなぜ自分が泣いてしまったのかを自己分析することにしました。
「…………」
私が思い出したのは、《周り》の友人で唯一男子である森山光太くんのこと。
初恋の相手の彼は、将来を台無しにされたというのに、その大きな心と優しさで私を許して、友達だと言ってくれました。
正直に言うと今でも好きです。
でも――もう、恋を続けるのは無理です。
光太くんや佳奈子ちゃん、京ちゃんと違って時間が有り余る私は、時間を有意義に使って自分の気持ちを考え、紙に書き出したりして把握しようと努めていました。
わかったのは、光太くんが許してくれたとしても、私は絶対に自分を許せないということ。
これでは、万が一いつか光太くんも私を好きになってくれて、両想いになれても……光太くんの方が苦しい。
自分に対して罪悪感を抱き続ける女性と付き合って息苦しくない人はいません。
「お姉ちゃん……?」
「いきなり泣いてびっくりさせちゃったね。ごめんね、美織」
「…………」
身が引き裂かれるようですが、私の恋はもうとっくに終わっているのです。
やっとわかった自分はどれほど鈍いのやら。
「……お姉ちゃん。明日、デートしよ?」
敏い美織は、私の心の痛みを感じ取って慰めてくれます。私と大違いの、良く出来た女の子。
きっと将来は良いお嫁さんになりますね。
美織の心遣いに応えるよう、私は心を静めて妹を抱きしめました。
「美織のお誘い嬉しいな」
「あとね。あと……土日は、お姉ちゃんのお友達とも会ってみたい」
プロンプトというレアなアーカイブが発現した美織は、同じ神秘持ちである京ちゃんと、不思議な力を使える佳奈子ちゃんと会ってみたいそうなのです。
二人には妹が会いたがっていることを先に打診しておきましたが、快くOKしてもらえました。
「わかった、都合を聞いてみるね」
「ありがとう」
「駄目だったら次の休日だよ」
「うん!」
美織に勉強を教えて、明日も学校がある美織を寝かしてから、私も自分の勉強をします。
「中学で習う数学ってお役立ちです」
美織の中学生用の教科書を読んでみていました。
シェル先生は数学教授さんで、数学が大好きで教えるのが上手な人。小学校時代で知識が止まっていた私に次々と新しくて面白い学問を教えてくれました。
そんな先生が『数学は降って湧くものではなく、積みあがるものです』と言っていたことがあります。
数学の入り口である中学の教科書を読むと、先生の言っていることの意味が分かる気がしました。
自分が取り入れた知識の根っこはこの教科書に書かれていて、寛光大学の試験問題の数学はそこから繋がっています。
考えれば考えるほど奥が深くて見通せない数学は魅力的です。
宇宙を泳ぐような気がしてきます。
「……?」
小さな電子音がして、スマホにメールが着信しました。
てっきり、京ちゃんか佳奈子ちゃんからの返信かと思っていたのですが――光太くん。
「はわっ⁉」
先ほど感情の分析と整理を終えたばかりで、終えたばかりだからこそ、いきなりとなるとですね……!
『from: 光太くん
マカロン焼いてみた
ウサギのはずだったのに、潰れてシロクマに……!』
「…………」
何してるんでしょう、光太くん。お料理上手なのは知っていましたが、まさかマカロンを焼くなんて。女子力高すぎませんか。
しかもウサギ。……私が好きな動物。
さっそく胸の痛みがぶり返してきました。
なんとか抑えて、メールに添付されていた画像を開きます。
白い生地は割れることも潰れることもなく焼けていますが、本来なら細長いはずの耳が丸くくっついて、確かにこれはシロクマです。
「……」
シロクマのすぐ上には、黄緑の生地も見えました。
たぶん、あの形はカエルです。
『from: 光太くん
佳奈子リクエストで焼いてみた
失敗してごめんだけど、食べてくれますか……?』
ああ、そうか。
私は鈍いのだなあ。
すぐに返信を打ちました。
『綺麗に焼けてて失敗なんかじゃないよ! ぜひ頂きたいです』
そして送信。
佳奈子ちゃん経由で渡してくれるというので、了承の返事を返します。……前に佳奈子ちゃんを邪険にしてしまったから私も謝りたかったんです。
きっと、光太くんは佳奈子ちゃんの背を押したのでしょう。
彼は優しい。
そして――京ちゃんに恋している。
「…………」
私の恋は見事に失恋で終わりました。それでも、あの初恋は永遠の思い出です。
いつか将来、苦い気持ちの宝物になればいいなあ。
「美織みたいに髪の毛短くしようかな」
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