3.七海紫織の抱く感情と幸せ

巫女の葛藤

「……紫織。佳奈子が来ている」

 ルピネさんが私に呼び掛けています。

 今日は、京ちゃんと佳奈子ちゃんと、翰川先生とお買い物に行く約束の日。

 待ち合わせ場所に現れない私を心配して来てくれたのでしょう。

 でも、答えられないです。

「おなか痛いです」

「……」

「痛い……」

 おなかも心も痛いです。

 私が勝手なのに、どうしてこんなに私は。

「出られないほどか?」

 頷くと、ルピネさんが困ったように苦笑して撫でてくれました。

「わかった。佳奈子に伝えよう。いいな?」

「……はい」

「落ち着いたら、電話をしてきちんと謝りなさい」

「はい」

 私は18歳。高校に通ってはいません。

 どころか、中学は一切通わず。小学校も、5年生の途中からずっと。

 そのどれもが私の――

「ひ、ぐ」

 私は罪深い。

 好きになった男の子に、将来を潰しかねないほどの迷惑をかけて。

 家の中でせめて守ろうとした妹からは手を離してしまった。

 だというのに、私は罪を償うわけでもなく、ベッドの中で一人蹲っている――



  ――*――

「……妄想トリップじゃないってことね。それなら安心」

 紫織には、妄想の世界――というか別世界からの電波受信――に浸ってしまうという癖があった。

 そこに入り込むと、あたしたち友人ではなかなか引っ張り出せないし、紫織と話も通じなくなってしまう。

 彼女が現実逃避をするとよく起こるそうで、小学校で浮いたのもそれが原因なんだとか。

 でも、今回はトリップじゃない。

 彼女は自らと向き合い、現実と戦っている。

「お腹痛いのは?」

 そこだけ純粋に心配だ。

「最近、体調を崩していたが……それも含め、精神的なものが大きいだろうな」

 ルピネさんが息を一つ吐く。彼女は紫織の教導役として、紫織のことを常に思いやって支えている。

「お前たちの学校が始まると、自分のしたことといまの境遇に思い至るから」

「でもそれはあたしたちのせいじゃないわ。紫織のせいでもないでしょ?」

 コウはもう紫織を許している。

 それに、紫織からもシェル先生からも、《呪い》が強固になってしまった経緯は聞いた。寂しい家庭環境で不安定だった紫織がたった一人で背負い込むべきだとは到底思えない。

 まず真っ先に罪の意識を抱くべき人が居るとしたら、彼女の家族と元の教導役であるべきだ。

「……ありがとう、佳奈子」

「あたしだけじゃなくて、京もそう思ってる。伝えてくれる?」

「もちろんだ。なんだか私も救われた気持ちになるよ」

 ルピネさんは紫織のことを我がことのように感じるらしく、共感性の高い優しい人だ。

「紫織の弁明をしておくと……どの世界のどこの国であれ、神と関わる巫女は浮世離れするものなのだ。お前が座敷童の記号に引きずられるように、紫織も自らのスペルの性質に引きずられている」

「なんとなくわかってる」

 その性質があるからこそ紫織は今の性格になったのかもしれないし、そういう性格だからその性質のスペルが色濃く発現したのかもしれない。

 性質が先か、性格が先か。それは卵とニワトリのジレンマのようなものだろう。

「それでも大丈夫でしょ。紫織は強いもん」

「ああ。時間はかかるだろうが、必ず立ち直る」

 力強く頷くルピネさんは、凛として美しい。

 彼女が傍に居る限り、紫織はきっと大丈夫だと思える。

「でも、ほんとに落ち込み続けるんだったらあたしか京呼んで。遊びに引っ張り出してやるんだから」

 買い物ツアー楽しみだったのに。

 この埋め合わせは、これからたくさん一緒に遊ぶことでしかなされないものだ。

 その思いを込めて宣言すると、彼女が苦笑する。

「お前も強いな」

「……強くないわよ」

 あたしはいつも虚勢を張っているだけだ。

 今だってそうなのに。

「私たち鬼は魂が見える種族だ。お前の魂はいつも鮮烈に輝いて美しいよ」

「…………。ルピネさん、さらっと口説き文句言うから女の子にモテるのよ。ぜったいそう」

 赤くなりかける頬をつねって誤魔化していると、心配そうな顔のルピネさんがあたしの顔を至近距離で覗き込んでくる。

 心臓が止まりそうなくらいに綺麗。

「大丈夫か?」

「な、何? 何が? 『大丈夫』なの?」

「来週の水曜日だ」

「……あたし、誰にも言ってないんだけど」

 知っているのは京とコウくらい。

 あの二人はこういうことを言いふらす性格をしていない。

「父が言っていたからな」

 鬼畜の人には隠し事が通じないみたいだ。

「大丈夫よ。あたしはもう子どもじゃないんだから。きちんと自分のしたことを謝って、京とも話せるようになってみせるわ」

 前は出来なかったけど、今度こそやってみせる。

 乗り切れば、コウや京と学校で堂々と話せるようになるはず。

「そうか。何かあればいつでも相談に乗るからな」

 どこまでイケメンなんだこの美女は。

 あたしが何度衝動でプロポーズしそうになったかわからないのか。

 ルピネさんは、なんだかとってもプロポーズしたくなる人だ。訳が分からないが現実にそうなのだから仕方あるまい。

「ありがと、ルピネさん」

 京と翰川先生を待たせている。名残惜しい気持ちを振り払って頭を下げる。

「どういたしまして」

 踵を返して戻ろうとすると、ルピネさんが私の手に紙片を握らせてきた。

「?」

「辛くて勇気が出なくなったら、その番号に電話を掛けるといいい」

 ふんわりと笑ってあたしの額を指でつつく。

「魔法の贈り物だ。お前の助けになるよ」

 ――手の中の紙片は空気に溶けて、電話番号が頭の中に刻まれた。

「…………」

「行ってらっしゃい、佳奈子。二人によろしく」

 うっかり愛の告白をしそうになったのは秘密だ。



 紫織とルピネさんのマンションから出て、傍の公園に向かう。

 木陰の涼しいベンチに座っていた京があたしの元に駆けてくる。京は好奇心旺盛な翰川先生をじっとさせる役を引き受けてくれていた。

「佳奈子っ。どうだった?」

「体調崩してるんだって。大した事なさそうだけど、様子見で今日は寝かせるってルピネさんが言ってた」

 ルピネさんに後で聞いても、彼女はアドリブで合わせてくれるだろう。

「……そっか」

 京は察しているようだったけれど、飲み込んで頷いた。

 翰川先生は寂しそうな笑顔でいる。

「季節の変わり目だからな……大事ないと良いのだが」

「病院にも行くらしいし大丈夫でしょ」

「うむ」

 彼女は頷いてから赤い顔でもじもじし始めた。

「今日は、その……よろしく頼む」

 既に可愛い。

「任せてください、先生! 先生に似合う服を探しましょう」

「ん……僕に似合う服、あんまり……」

「髪の色味で取り合わせ考える必要はあると思うけど、そんなに心配することないわよ?」

 あたしは『似合わない服』というのは、『服に着られる』感が出てしまう服だと思っている。

 しかし、翰川先生は見ての通りの絶世の美女。どんな服でも彼女に従いそうな気さえしてくる。

「そうですよ。先生は可愛いです。ミズリさんを喜ばせるような可愛い服を着ちゃいましょう!」

「み、ミズリか。……ミズリ喜んでくれるかなあ」

 なんだか自信なさげだ。

 ちなみに彼女の夫であるミズリさんは彼女に対して純粋な愛を注ぐ変態なので、一切の心配は要らないと思う。彼女がスカートを履いた姿だけで鼻血を噴きかねない。

「スカート丈は、膝下より長くしましょ」

 翰川先生の義足は膝の少し上から。

 体構造的に、スカートは立った時よりも椅子に座った時の方が相対的に足を隠す部分は短くなる。

 継ぎ目が見える心配がないように、彼女を安心させられるような服を選んであげたい。

「そろそろ涼しくなってきますし……ストッキングもどうですか。生地厚めでしっかりしてそうなの見つけたんですよ」

「すとっきんぐ……?」

 発音がたどたどしくて自信なさげだ。

「はい。太ももまで長さがあるんです」

「ん……」

「最近は柄のついたストッキングとかもあるし、いろいろ選んでみましょ」

 カラフルなボーダー柄なんてのもある。

 下手をすれば足の太さを強調しかねないものだけど、翰川先生なら心配ないだろう。

「二人とも優しい……」

 胸がきゅんとした。

 コウは日々この人と向き合っているのか……ちょっと羨ましいな。

「それじゃ、ゆっくり出発しよう。先生、何かあったらすぐ言ってくださいね」

「うん。頼りにしている。ありがとう、大好き」

 あまりの可愛さに心臓が痛い。

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