夜の訪問者

 ふと、インターホンが鳴った。

「この時間に……ばあちゃんかな」

 時計は8時を指すところ。

 大家のばあちゃんは、たまに野菜や果物をおすそ分けしてくれる。夜の来客で思いつくのは彼女くらいだ。

「僕はパジャマだし、部屋に隠れているよ」

「湯冷めしないでくださいね」

「ふふ。ありがとう」

 先生が客間に入るのを見送ってから玄関に向かう。

「はーい」

『こんばんは』

 聞き覚えのある玲瓏な声が聞こえ、俺は驚愕とともに扉を開けた。


「インターホン押せたんですか⁉︎」

 ――目つぶしが入った。


「おぉおお……」

 まばたきのタイミングを狙われたとはいえ、それなりの衝撃に身もだえていると、訪問者:シュレミアさんの呟きが聞こえてきた。

「光太を見ると我がふりを直せそうな気がしてきます。無理ですが」

 皮肉を言われたことは理解できた。自虐を言ったことも。

「何の……用ですか……?」

 立ち直りつつ問うと、彼が静かに答える。

「……謝罪です」

「謝罪」

「ご迷惑をおかけしましたので」

「今の目つぶしですか」

「もう一撃入れますか?」

「いいえすみません」

「あなたの潔さは心地よいですね」

 くすりと笑う。

「中に入ってもいいでしょうか」

「あ、はい」

 玄関先で話し続けるのもあれだしな。

「遅ればせながら、いらっしゃい。どうぞ」

「ありがとう。お邪魔します」

 一礼して靴を脱ぐ。

 たったこれだけの動作なのに、並みの育ちでは持ちえない気品が満ち満ちていた。

(……この人、貴族とかなのかな)

 茶の間に案内し、椅子を勧める。

「紅茶とコーヒーどっちがいいですか?」

「紅茶でお願いします」

 ティーバッグをカップに入れて、ポットの湯を投入する。

 それぞれの前のソーサーに置くと、シュレミアさんが会釈する。

「夜半に訪ねてしまい、申し訳ありません。歓待して下さる優しさに感謝します」

「気にしないでください。この時間の方が落ち着いてるんで」

 日中は学校に行っていて、今日のように帰りが夕方になってしまうこともある。夜は夕飯だ。

 夕飯の終わったこの時間がぴったりだし、むしろこの人はそれを踏んでこの時間に訪ねて来たのではないかと思う。

「で、謝罪……でしたよね。俺、なんかされましたっけ?」

「……心が非常に広くて尊敬します。一家総勢で度重なる不法侵入があったというのに」

 つい忘れていた。

「いや、そんな。……掃除とかしてもらいましたし」

 彼が封筒をテーブルの上で差し出してくる。

 俺も一礼し、封筒を受け取る。

「開けても?」

「もちろんです。末っ子たちの面倒を見て下さったお礼も込めて」

「むしろ俺が面倒見てもらったような気分でしたよ」

「二人とも子どもらしくないんですよね」

「4歳なんて可愛い盛りでしょ……う」

 封筒を開けると、想像より額が2桁多い商品券が複数枚入っていた。

「……あの、シュレミアさん?」

「足りませんでしたか?」

「多いです」

「俺としては妥当な金額だと思ったのですが」

 学生が受け取るには金額が重い。

「住居侵入罪は3年以下の懲役または10万円以下の罰金です。申し訳ありませんでした」

 彼は改めて深々と頭を下げた。

「……じゃあ……もらいます……」

「家電量販店や家具屋で使えるものですので、新生活に役立ててください」

 いつか就職したら、ローザライマ家のみなさんにお礼をしよう。

「ありがとうございます。……受け取る代わりにってなると変なんですけど」

「姉のことですよね」

 ぽかんとする俺に、シュレミアさんが淡く笑って言った。

「巻き込んでしまいましたから、お話しします」



 パヴィちゃんの後に訪ねて来た女性は、彼の双子の姉。 

「魔術への造詣も数学の才能も同格。双子でさえなければ、仲良くしていたと思います」

 つまり、化け物じみた天才。

「俺と知り合ったばかりで騙しやすい人物を相手に、俺のふりをして話しかけることがあってすごく嫌いです」

 さらっとディスられた。

「軽いいたずらじゃ……?」

「自分そっくりな人が自分のふりをして学校に通い、友人と話し、ひぞれの授業を受けている。自分はそれに出くわすか後で知るとしたらどうでしょう?」

 味わっていないから想像でしかないが……

「嫌かも」

「でしょう。それに、あのときは、俺の家族たちと連続したタイミングで出てきたから……」

「……ご家族も不仲なんですか?」

「いえ……訴えても、妻以外『へー、大変だね』としか」

 恐怖が伝わらないのは可哀想だな。

 双子が多いから反応が薄いのだろうか?

「あのときは家族に伝わらずに苛立って……いえ、これでは言い訳ですね」

 言い訳を打ち切り、俺に向き合って頭を下げる。

「あなたが悪いわけではないのに死ねだとか喚いて、醜態を晒しました。さぞや不快であったでしょう。申し訳ありません」

「……大丈夫です」

 彼のお兄さんお姉さんにしごかれた方がきつかった。

「泣くと疲れて寝てしまうので。兄姉を止めるのが遅れました。すみません」

「俺も無神経でしたし……愛されてていいじゃないですか」

「みんな俺に過保護なんです」

 前にオウキさんも『シェルには事情がある』といっていたから、それに関わることなのだろう。

「……わかりました。でも、お陰で数学93点ですよ。奇跡ですよね」

 明るい方向に持って行こうと思い、話を替える。

「奇跡ではありません」

「へっ?」

「あなたが努力をしたからです」

「……」

「マーク式でもない限り、数学に奇跡はありません。もう少し自分を褒めなさい」

 からかうように微笑する。

「専門性の高い問題ならまだしも、高校レベルなら基本を身につけていれば解けます」

「そういうもんなんですかね……」

「とはいえ、兄さん姉さん相手では緊張して疲れたでしょうに、その翌日にミスを抑えて高得点を収めたのはなかなかのことです」

「そ……そうすかね?」

 シュレミアさんに褒められると照れる。罵倒されつつも数学を教わった甲斐があったというものだ。

「はい」

 思ったが、シュレミアさんは翰川先生に似ている。

 容姿ではなく――気品や行動原理が似ていると感じる。

「……シュレミアさん」

「シェルでいいですよ。あなたも他の『シュレミア』と出会ったことですし」

 彼の姉の名もシュレミアだ。

「じゃあシェルさん」

「なんでしょう」

「翰川先生の一般常識はシェルさんが教えたんですか?」

 シェルさんがぶるぶると震え始めた。

「ユングィスが甘やかすから……‼︎」

「ユングィス……?」

「ひぞれとその兄弟を保護したミズリの一族の名です。義足が今ほどの性能ではないという事情もありましたが、本人の頭脳と腕は自由なのに何でもかんでも先回りして……!」

 思い出し怒りで震えているようだ。

「ひぞれに食器も持たせないので、ペットにでもするつもりなのかと問い詰めたことさえあります」

「甘やかし過ぎ……ってことですか」

 頷きで肯定する。

「ひぞれの状況では人に助けを求めるのも大切ですが、自信に基づく自立心を持たせるのも大切です。将来を潰すわけにはと、世話をしたがるユングィスを押しのけて礼儀や振る舞いを教えました」

 だから翰川先生の動作から気品が端々に感じられるわけか。

「俺が教えられるのは礼儀作法で、常識は無理です。だから、他の人を参考にしろと……なのになぜかひぞれは俺から学習を」

「……シェルさんだから懐いたんじゃないですか?」

「ヒヨコではないのですから、刷り込みのようなことは……」

 ぶつぶつと言う彼に、気になったことを質問する。

「翰川先生を他人に紹介するときってどう伝えますか?」

「とても美しく優しく頼りになる賢い天才」

 短所を大幅に省く人物評価はこの人譲りか。

「……軌道修正は無理だと思いますよ」

「なっ……諦めません!」

 表情をキッと真剣なものに変え、俺に訴えかける。


「ひぞれは頭が良く機転も利きますし、空気という目に見えない書物も読めるんです!」

「ふぶうっ」

 茶を噴きそうになった。


「アーカイブ代表の中では稀有な……光太、聞いているのですか⁉︎ 俺はずっと空気を読めと言われてきたので、そういった書物があるのだろうとですね、」

「……その話題止めてもらっていいすか……」

 紅茶がえぐいところに入った。

「なぜ⁉︎」

 涙目から人間味が感じられる。



 落ち着いたシェルさんが口を開く。

「ひぞれは守るべき愛おしい存在。手が空いたときは構ってやりたくなり、不幸な境遇に居れば助けて、笑ってもらいたいと思います」

 人を助けようとするのも、この人譲りなんだろうな。

「アネモネやルピネなどから学習していれば、常識も身につけられたはずなんです。今からでも遅くはないのです」

「シェルさんは誰から常識を教わったんですか?」

「両親ですね」

「他の人から習おうと思いました?」

「…………」

 俺の問いは痛いところをついたようで、眉間にしわを寄せて黙り込んだ。

 しばし考え込んだ彼が首を傾げる。

「父はメンタルが不安定で自尊心が崩壊したワーカホリックですし、母はそんな父を父の状態に構わず心から愛する人です」

 ご家族の情報に『やばい』という感想しか浮かばない。

「ですが、敬愛しています。確かにあなたの言う通りだ。異常性に薄々気づいてはいつつも……」

 異常なのがわかっていることに安心した。

「ひぞれもそう思ってくれるなら光栄で、とても嬉しい」

 客間の扉が開き、翰川先生が叫ぶ。

「シェル。好きだぞ!」

「俺も好きです」

 即答され、彼女の顔が真っ赤になる。

「……ん……」

 やっぱり先生は可愛い。

 競り負けるところとか特に。

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