2.森山光太と人間(外)関係

少年の恋話

 家に帰ると、エプロン姿の翰川先生が笑顔で出迎えてくれた。

「光太、お帰り」

「……た……ただいま!」

 あまりの可愛さに、危うく翰川先生への愛を叫んでしまうところだった。

「今日のご飯はハンバーグだぞ。仕込んで冷蔵庫に入れておいたから、夕食時になったら焼いて食べよう」

「はい。……手洗いうがいしてきますね」

「うむ」

 彼女は満足げに頷き、台所へと戻っていった。

 洗面所へと向かい、手洗いうがいと制服からの着替えを済ませて出る。

「翰川先生」

「どうした、光太」

 先生は脱いだエプロンを畳んでいるところだった。

「俺、先生に鍵渡した覚えないんですよね」

 ここは俺の家で、翰川先生の住居は俺の真下の部屋だ。

「? うん。僕ももらっていないよ」

「……ですよね」

 不法侵入と言わざるを得なかったが、もういろいろと諦めている。

 翰川先生の奥さん成分が見られたので納得しておこう。

「ハンバーグ焼くの、俺やりますね。6時くらいになったら焼きます」

 まだ夕方の5時前だ。

「む。いいのか?」

「作ってもらったんで。先生は座ってゆっくりしてください」

「光太は将来、いい旦那さんになるな……」

「どこ目線ですか、それ。嬉しいですけども」

 なんとなく、あることを想像して顔が火照ってしまった。

「っ」

 邪念を振り払う。

 咳払いしてから口を開く。

「先生。今日、学校の数学でわからないところが――」

 超至近距離に、青髪黄瞳の美女の笑顔があった。

「――……」

 心臓が止まるかと思うほど美しかった。

 むしろ、この笑顔が直撃して呼吸を続行できた自分を褒め称えたいと思った。

「光太は何を想像したのかなー? 楽しいことかな? 恥ずかしいことかな?」

 くすくすと笑う先生。

「えーと。恋話コイバナ好きでしたよね」

「うん」

「その。……やっぱいいです」

「な、なぜ……⁉」

 涙目の先生。

 しかし、彼女は転んでもただでは起きない不屈の女性だ。

「うう……どうせ光太のことだから京を相手に恋に落ちたのだろうと思ったのに。結婚したことをなんとなく想像して恥ずかしくなったのだろうと思ったのに!」

「わかりきってんじゃねーか‼」

 今度こそ俺の顔は耳まで赤くなっているに違いない。



「なるほど。つまり、普段のほんわかな京とのギャップと、一見冷徹にさえ思える判断力と明晰さ、そして変わらぬ優しさに心打たれ……気付けば胸が高鳴っていた、と」

 俺が今日の出来事について話せば、翰川先生がさっくりとまとめあげた。

「……そっすね……」

 話すときもつっかえつっかえしていたお陰で、もう夕飯時だ。ハンバーグを食べながら同意する。

 ナツメグの香りが効いて美味い。

「キミの言う青い火花は、パターンを行使したときのものだな。リーネアも同じ現象が起こるぞ」

「なるほど。翰川先生のと同じですか」

「うむ。僕はオレンジだ」

 前にシュレミアさんの瞳にも銀色の火花が散ったのを見たことがある。

「不思議ですねー……」

「僕からしてみれば、キミの方が不思議だ」

 首を傾げている。

「キミは性格が良い。話を聞くに男子にも女子にも気さくに話せるタイプだし、優しくて家事のできるしっかり者だ」

「いや……そりゃ、モテないのは仕方ないですって」

 家事のアピールなんてする場面ないし。

 女子から好かれたことなど生まれてこの方ない。

「くっ、この鈍感め。……いや、そうじゃない。キミがモテるモテないじゃない。キミはそこはかとなく自己評価が低いように思える」

 そりゃあ、自暴自棄になってた時期の自分とか、張り倒して説教してやりたいしなあ……

 ぼーっとしていると、翰川先生が困った顔をする。

「何か嫌な思い出でもあるのか?」

「……初恋が敗れ去ったんですよ。告白するまでもなく終わったんです」

 俺は、ヤケクソで話し始めた。



  ――*――

 小学校高学年あたりから、もうそんな感じだったんですけども。

 俺は《呪い》のせいもあって浮いてました。

 だって、俺が居るだけで、周りの生徒は話に気を遣わなきゃならない。

 昨日見たテレビの面白いエピソードなんて絶好の話題でしょう。テストが近づけば勉強の話し合いだってしたい。

 なのに、通りかかるだけで俺は昏倒。命の危険さえある。

 親しくもない俺は居るだけで迷惑だったわけなんです。いじめとまではいきませんけど――まあ、楽しくないんでそれはここまで。


 中学の陸上部は幸いにも俺に気を使ってくれる面子が多くて助かってました。ストレス発散と言えば、もっぱら走ることだけでしたんで……

 でまあ、マネージャーしてた同学年の女子に初恋をしたんですよ。

 なんとなくです。重いドリンクを運ぶ姿が一生懸命で、分け隔てなく笑顔でタオルとドリンクを渡してくれたから。

 なんとなく好きで、かといってどうしようかと思ってうじうじしてたら、陸上部の先輩が『告白してみればいいじゃん』と俺の背中を押したわけなんです。


 で、『明日、告白しよう』と思ったその日。

 家に帰る途中で部室に忘れ物したことに気付いて、戻ったんです。

「森山お前のこと好きらしいよ」

「えーっ……まじで。キモ」

「だよなあ」

「あいつ何言われてもへらへら笑ってんじゃん」

「こっち気ぃ使ってんのわかってんのかよってな」



  ――*――

「背中を押した先輩と、そのマネージャーの会話が聞こえて。俺はそこで心が折れたわけですよ」

 乾いた笑みしか出ない。

 時間が経ったので心の傷口はふさがっているが、未だにトラウマだ。

「地味にキツい体験してるな、キミ……」

「仕方ないじゃないっすか。逆の立場だったら俺もきっと考えますよ。『いつでもどこでも昏倒する癖にデートとかどうすんの?』みたいなね」

 ボロクソなセリフは、意外と耳に残っている。

「……キミはその後どうしたんだ?」

「どうもしませんよ。……家帰ってしばらく沈みましたけど」

 忘れ物は明日取りに行くことにした。

「先輩は告白しないのか聞いてきましたけどね。白々しいなーと思いながら誤魔化しました」

「むう……酷い奴だな」

「怒ってくれるだけでもなんか嬉しいっす。ありがと、先生」

 ご飯を食べ終えてご馳走様をする。

「先生、今日はどうします?」

「む。お泊りしてもいいのか?」

「そりゃもちろん。先生が良いのなら」

 俺も勉強教わりたいし。

「ありがとう。では、恋話を続行しよう」

「えっ」

 この話終わらないの?

「幸いにも、今週の土日と月で3連休なのだろう? 勉強はそのときに本腰を入れればいいさ」

 来週月曜日は俺の通う平沢北高校の開校記念日。土日を合わせれば3連休。

「いやあ……その。これ以上、話しても楽しいことはないと思いますよ?」

「僕はキミと出会えて幸せだ。きっと、佳奈子や紫織もそうだと思うんだ。だからもっと自信を持ってもらいたい」

「……高く買ってもらえるのは、嬉しいですけど……」

 偶然に偶然を重ねて出会えた翰川先生は、俺のことを気に入ってくれている。自惚れではなく、実際に可愛がってもらっていると思う。

「というか! 恋愛に卑屈なまま京に恋をして、中途半端な告白でもしてみろ。リーネアが沸騰すること請け合いだぞ?」

「うっ」

「別に『自信家になれ』といいたいのではない。『自分の短所と長所をわきまえ、人に対して誠実に振る舞える人物であれ』ということだ」

 胸を張る翰川先生。

「それ一番難しくないです?」

「ああ。しかし、人として基本中の基本でもある。僕もそうありたいと思う」

「…………」

 確かにそうだ。

「でも自信を持つったって……どうしたらいいのか」

 三崎さんは学年トップの成績を維持する才女。人柄は明るく優しく、誰にも分け隔てのない優しさを見せる人気者。老若男女問わずファンの多い人だ。

 そんな彼女と俺が釣り合うかと聞かれれば――自信を持って否だと答える。

「見た目は平凡、脳みそも平凡。特技は逃げ足。趣味はランニングと料理」

 どこに出しても恥ずかしい凡人だ。

「……特技を逃げ足だという人は平凡じゃないと思うよ、光太……」

「えー。これ以外特技なんてないですもん」

 屋上侵入がバレたときは先生たちを相手に学校中を逃げ回ったことがある。1時間逃げ回って先生たちの方がギブアップしてきたので、逃げ足だけは自信がついてしまった。

 その後、俺が反省文を書いたのは言うまでもない。

「何で屋上に入り込んだんだ?」

「言いません。ある人の名誉に誓って、言えません」

 そればかりは友人との約束なのだ。いくら相手が翰川先生でも、伝える気はない。

「……。了解だ」

 俺の意図を汲み取って、翰川先生が苦笑しつつ退く。

「特技を逃げ足だとキミは言うが、それはやはり長距離選手としての才能なんじゃないか? 前々から、キミの持久力はリーネアと張るかもしれないと思っていた」

「あの人そんなに体力あるんですか?」

「ある。フルマラソンを全力疾走して息切れ一つしない」

「そのレベルと比べられたらどうしようもないと思います」

 人外と一緒にしないでほしい。

「……僕から逃げ回ったのだから胸を張ってほしいんだが」

 彼女から追いかけられたときのことを思い出す。

 瞬間移動使って自動追尾してくるんだもんな……

「いろいろ励ましてくれて、ありがとうございます」

「むう」

「勉強教えてください。……恋愛への度胸はまた今度ってことで」

「仕方ない。では、今日も楽しい理数タイムだ!」


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