えんかい

「あなた。生徒さんをいじめないでくださいな」

「……はい……」

 マグマを溶かし込んだような髪色の美人が、シェル先生をお説教している。

 先生はお座敷で正座。

 普段は自分たちにあれこれと教えてくれる、いわば目上の人である先生が叱られている光景は……まあ、なんとなく気まずいものがある。

 目線を逸らすと、違うテーブルでどんちゃん騒ぎをする先生のご兄弟――紫織から教わって曰く、悪竜兄弟のみなさんが視界に映った。

 幸いにも、ご兄弟の皆さんは、悪い人たちではないようで。あたしや紫織に食べたいメニューを聞いてくれたり、美味しいおススメを教えてくれたりと、気を使ってもらっている。

 こちらが恐縮してしまうほどだ。



 説教が終わったらしく、あたしと紫織は美人に手招きされた。 

 少し体をそちらに寄せて姿勢を正す。

「初めまして、二人とも。私はアネモネ。この人の妻です」

「は……じめまし、て」

 間近で見ると、より物凄い美人。緊張してしまう。

 紫織はあたしの背後に隠れた。さっき地味に感動していたあたしの心を返してほしい。

「ごめんなさい。この人、暴走しやすいから……迷惑かけたでしょう?」

 先生は叱られてしょぼんとしている。

「あ、でも。いつも、頼りに……お世話になってます」

「そう、です。……教えてもらってます」

「なら嬉しい」

 名前の通りに花開くような笑みを見せる彼女は、ルピネさんに似ていた。

 ……ルピネさんがこの人に似ているのか。

 容姿はアネモネさん似で、物腰はシェル先生似。

「夫とご兄弟であなたたちを連れてきてしまったようだけれど、楽しんでる?」

「楽しいです。……でも、ここでも奢りなんて」

 あたしたちは家に戻って財布を取りたいと願い出た。

 しかし、先生たちご兄弟に固辞されてしまい、結局奢られてしまっている。

「気にしないで。ここの支払いはあなたたちに迷惑をかけたお詫びだから」

「……」

 先生が完璧にいじけ始めた。

「あなた。拗ねないでくださいな」

「……アネモネ」

「なあに?」

「ごめんなさい……」

「怒ってないわ。二人を怖がらせたことをわかってくれたらそれでいいの。……気を使うのは、あなたにとって難しいことでしょうから。わかってる」

「……んぅ」

 撫でられると目を少し細める。

「お説教はおしまい。これからは楽しくお話ししましょう」

「はい」

「小樽土産、ハノンたちも食べてたわ。今度はみんなで来たいね……って」

「良かったです。末っ子たちも連れて行きましょう」

「うん。食器も綺麗だった」

「グラスはオウキとルピナスが作ってくれたものなんですよ。その他は現地で買いました」

「あら。お礼をしなくちゃ」

 ……凄く仲睦まじい。

 軽くあてられる。

「紫織ちゃんも、佳奈子ちゃんも。お土産ありがとう」

「ひゃわっ」

「ははははは、はい⁉」

 あたしと紫織はそれぞれベクトルが違う人見知り。

 超絶的な美人に話しかけられると、このように挙動不審に。

「気を使ってくれるなんて、なんてできたお嬢さんたち。優しい生徒さんで嬉しいわ」

「それは。それは、光栄……です」

「これからも夫がご迷惑おかけすると思うけれど……よろしくね」

「よろしく……」

「よよよろしくのえがいひましゅ」

 傍から見ればコミュ障全開だと思う。

 でも、どんな人だって、アネモネさんに真正面から見つめられればこうなる。

「アネモネ。酒は何が良いですか?」

 ……平然とアネモネさんに甘えるシェル先生は除外。

「あなたにお任せしたいな」

「では焼酎にします」

 メニューを見る彼は、いそいそとして嬉しそうだ。

「佳奈子と紫織も、何か頼みたいものがあれば遠慮なく」

「どうも……」



「ってか、どうやってお土産届けてるのかしら」

「? 先生、ちょくちょく自宅に帰ってるよ」

「どうやって?」

 寛光大学に勤めているなら、必然と東京または東京近郊住まいだろうに。

 オレンジジュースを飲みながら話していると、シェル先生が宴会部屋の扉を開けた。

「こうやって帰ります」

 扉の向こうは洋風な内装の別世界。

 柔らかそうな絨毯の敷かれた廊下の向こうに、赤い艶の銀髪の青年が手を振るのが見えた。

 ――完膚なきまでに異世界。

「あら、ダメよあなた。内側にいる人たち出てきちゃう」

「そうですね」

 先生は青年に手を振り返してから扉を閉める。

 あたしは即座に扉を開け直したが、優美な壁紙と絨毯とは真逆の、居酒屋の簡素な床天井が見えるだけだった。

「……⁉」

 困惑するあたしをよそに、紫織は先生夫妻と話し始めた。

「奥さん、すっごく美人なんですね」

「でしょう。俺に足りないものを補って支えてくれる優しい妻です」

「も、もー……恥ずかしい」

「事実を言っているだけなので恥ずかしくありません。……いつも誠に申し訳ないと思っています」

 死んだ目をしている。

「……」

 先生も自らの行いを振り返ってダメージを受けることはあるらしい。

 それでも改善が利かないから彼はこうなのだろうけれど。

「私は気にしてないわ。そんなあなただから恋しているのだもの」

 さらっと惚気のろけた。

「……しかし、迷惑をかけているのにかわりはなくて」

「いいって言ってるのに」

「もらってばかりで返せません」

「あなたがいるだけで嬉しい」

 おしどり夫婦がいちゃつき始めた。

 そして、紫織は遅れてやってきたルピネさんに甘え始める。

「ルピネさん、ルピネさん」

「どうした、紫織。そう何度も呼ばれると嬉しくなってしまう」

「……あの。今日の朝……ありがとうございました」

 初々しい空気を醸し出してきている。まあ、ルピネさん格好いいけど……

 なんだこの空気。どうしてあたしはリアルが充実した人たちに囲まれなくちゃならない。

 先生のご兄弟の皆さんがニヤニヤしてあたしを見ている。

 くそっ、結局は兄弟。全員が鬼畜気質か!

 悪竜兄弟のテーブルで囲まれる度胸はない。絶対いじり倒されるのが目に見えてる。

 でもきっと、あたしが葛藤していても、お構いなしに二人の世界が繰り広げられる。あたしの隣と向かいで。

「ん……ルピネさん。怖かったから、今日は一緒のお布団で寝てくれませんか……?」

「全く。紫織は子どもだな」

「子どもでも、いいんです。……ルピネさんと寝ると暖かくて安心します……」

「ありがとう。可愛いお前の拠り所となれるのならば、これほど光栄なこともない」

「っ……ルピネさん、す、好きです……!」

「私も好きだよ」

「あ、や……そんな。こんな、人がそばにいるところで……」

「? どうした、紫織。顔が赤い」

「ストップストップ――‼」

 外でやれ‼

 あたしが割り込むと二人が離れる。


 悪竜テーブルから拍手が響いた。

「なかなか見応えのある逢瀬だった」

「耽美ね……素敵だわ」

「女の子同士は見てて楽しいヨネ」

「可愛い子と美人なら文句なし」

「酒のツマミに枝豆追加ーw」

「店員さーん、生6つ! 他注文するやついるー?」

「カシオレ。レモン付き」

「お、アイラモルト」

「アードベッグある?」

「俺イモ焼酎飲んでみたい! 一番高いのと一番安いの持ってきて!」

「出たよ、謎の飲み合わせ」

「そのセリフは味覚破壊のレモンマニアに言えってね」

「うわなにあれ、キモ。ほとんどレモンじゃん」

「むしろ梅酒が隠し味になってるw」

「揚げチーズと餅ベーコン二皿ずつ追加で」

「ゲソ揚げ!」

「バラバラに言うな。……すみません、いま紙に書いて渡しますので。ほらメモ回したから全員書け!」

「うぁーい」

 やっぱり、どうしてもカオスだなあ……

 まとめ役っぽい人は2、3人散見できるんだけど、60人近く居る面子をまとめ上げるのは大変なんだと思う。

 こういう人たちが5万人いると考えるとぞっとする。


 ぼうっと観察していると、あたしの肩をつつく腕があった。

「っ……な、なに?」

 肌も髪も真っ白で、赤い瞳が浮き上がる悪竜。

 ウサギのような美少女があたしに微笑みかけている。

「や、座敷童」

「……そうですけど」

「オレはヒウナ。興味本位で話しかけてみたよ」

「…………」

 この人が魔術にどっぷり側の人だった場合、少し怖い。

 座敷童のサンプルとして研究したいとか言い出すかもしれないし。

「弟んと契約書書いたんだろー? 横やりなんて入れないよ。そもそもオレ、魔法使えないし興味ないし」

「……ごめんなさい」

「ま、警戒心がないよりはましかー」

 からからと陽気に笑う。

 彼女は唯一、ほんのりと酔っている。

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