親愛と友愛

 ひーちゃんとオウキに『盗聴会に参加しないか』と誘われたが、丁重に辞退した。ルピナスとリーネアに二人を任せ、自分と父の部屋に戻る。

「……二泊三日では、あっという間だな」

 紫織たちは楽しんでくれただろうか。

 初日は自主性に任せて送り出したはいいものの。私は心配で上の空で、見兼ねた父に旅館に連れてきてもらった。

 代わりに父に買い出しを頼んでしまう事態になって……日々お忙しい父上にご迷惑をおかけするなど、申し訳ない。

「お前は俺を子どもだとでも思っているのか」

「っ……ち、父上」

 部屋に入ってきた父の背が高い。

「……? どうなされたのですか」

 父は普段、18歳前後の少年の姿だが――25歳前後の青年の姿にも成れる。

「酒の試飲は大人の姿の方が適しているからな」

 楽しそうな笑みをその凄絶に美しいかんばせに佩いて、500ml相当の小さなワインボトルを私に見せた。

 白と赤とで二本だ。

「初めて見る銘柄ですね」

「新作だそうだ。旅館経由で試飲を頂いたので、一緒に飲もう」

「ありがとう」

 父は酒好きで、こちらの世界ではヨーロッパ周辺、元の世界でも酒の名産が多い国や地域に基金を作って支援をしている。

 その関係で日本の酒蔵にも話が回っているらしく、たまに新作や珍作の酒をもらってくることがある。

「……試飲なさってきたということは、もうすでに何か飲まれたのですか?」

「吟醸を少し」

 ちょっと寂しい。

「果実酒は他にも取り寄せたので、それで許してはくれまいか」

「わかっております。何のフルーツですか?」

「ハスカップだとか」

 アイヌ語由来の名を持ち、かつては不老長寿の秘薬ともいわれた栄養満点の果実だ。酒のみならず、北海道の地元スイーツにはハスカップを使ったものも多い。

「家に届くようにしたので、帰ったらゆっくり飲もう」

「はい」

 父は楽しそうにグラスを用意してワインを注いでいる。おつまみは鮭とばとかまぼこ。どれも、ここ小樽で買ったものだ。

 その他日本酒やお菓子を並べる父に、謝罪を切り出す。

「……父上」

「なんだ」

「買い出し……頼んでしまって。申し訳ありません」

「構わない。元より、今回の旅行はお前を労わり休ませようと思って提案を飲んだ」

「……」

「ここ最近のお前は紫織につきっきりだから、引き離した方が休めるだろう」

 納得は出来るが、頷きがたい。

 私は紫織の教導役だというのに、一人のうのうと部屋で休むなど……

「自分に懐く子どもは可愛らしいが、ずっと二人きりでは息が詰まる。言い方は悪いが紫織は依存心が強い。……つまり今回の旅行は、『親離れしろ』と突き放せないお前にはうってつけだった」

 何もかも見抜かれていると気恥ずかしくなってしまう。

「これ以上言っても、面白くはないだろう」

 袖を打ち払うのは話の区切りの合図。

「酒は楽しく飲むものだ。年上が酒の場で説教がましいことを言うのは良くない」

「……ありがとう」

「それでだな。買ったかまぼこと乾物の他、洋菓子をあちこちからもらった。イチゴは俺が食べたいのだが」

「わかっている。お譲りいたそう」

 ……こうならないと表情には出にくいが、父が小樽を存分に楽しんでいたようで安心する。

 父が敬語を外しても不安定にならないのは、家族の前だけ。

 本人が悩んでいることに対して、不謹慎でいけないことだとはわかっているが……非常に優越感と特別感があって、少し幸せだ。

「私が注ぎましょうか?」

「お前のねぎらいに用意するのだから俺が働く。座っていろ」

 声音がとても優しく耳に響く。

「ありがとうございます」

 私は8人兄弟。そのうちの2人はまだ小さくて手が離れないし、母と父は寄り添って傍に居ることが多い。

 純粋に父を独り占めできるのはなんとも嬉しい時間だ。

「ルピナスとは話せたか?」

「たくさん話せた。やはり彼女はレプラコーンだ。魔術の感覚も、職人としての腕も卓越していて……楽しかった」

「そうか。あの子にとっては生殺しだな」

「?」

 もしや私は、気付かぬうちにルピナスに酷いことを……?

「父上……私はどうしたら……?」

「いや、いい。気にするな」

「そうおっしゃるのでしたら」

 父の言うことはいつも正確だ。安堵して息をつく。

「説明してもお前はたぶん分からないから……」

 たまに父はよくわからないことで悩んでいる。

「……出来の悪い娘で申し訳ありません」

「お前で出来が悪かったら俺は壊れている」

「撤回してください。父上が壊れているのは常識だけだと思います」

「その表現で擁護しているつもりなところが俺にそっくりだ」

 くすくすと笑う。

「お前は本当によくできた娘だ。俺の娘だとは思えないくらいに」

「……紛れもなく父上の娘です」

「可愛らしい」

「んぅ」

 父の愛は非常に深くて重たい。

 撫でられると安心する。

「父上。撫でていては、お酒が飲めないでしょうに」

「そうだな」

 なぜか父は、大人の姿の時の方が酔いやすい。

「……ん。飲み終わったな」

 父は空になったグラスと酒瓶を持ち上げ、無音の詠唱で時間を巻き戻す。

 飲み終わってしまったワインが逆戻りすることはないが、グラスはワインが注がれて口をつける前に。ワイン瓶はワインが入れられる前へと時間が巻き戻る。

「…………。父上の魔法はいつも鮮やかですね」

「これくらいしか出来ないからな。器用にこなすお前が羨ましい」

「むう」

 ガラス類を包み紙に丁寧に包み、”貯蔵庫”にしまった。おつまみは真空パックで閉じて、それもまた”貯蔵庫”へ。

 布団は元から敷いてあったのであとは寝るばかりか。

 しかし、私たちは眠る必要のない種族だ。

 何をして朝まで時間を潰そうかと思っていたら、父が私にこう言った。

「お前を甘やかすのもあまりない機会だ。何かしてほしいことがあればしてやれるぞ」

 私はなんと果報者なのだろう。

 せっかくのこの機会、きちんと活かして甘えて――他の兄弟の自慢にしよう。

「では、髪を梳いてほしいです」

「わかった。おいで」



  ――*――

 お風呂場で顔を合わせたのは、ルピナスさん。

 とってもスタイルの良い美人さんが私をじっと見ています。……白い双丘がお湯に浮いている迫力……

「ねえ、紫織」

「ひゅひゃい⁉」

「何でそんなに驚くのさ」

「お、驚きます……」

 気まずくて。

 正直に言ってしまうと、私がこの人と睨み合えたのは、他ならぬルピネさんが盾になってくれていたからです。

 私は、ルピネさんから離れてようやく現実を見ることが出来ました。

 今回の旅行で自分が成長したとすれば、そこだけ……

「別に、キミに怒ってるわけじゃない。だってキミは、長い眠りから目覚めたばかりの子どもなんだから。精神が体に追っついてないのはわかってるよ」

「え、あ」

「……キョドってないでこっち見なよ」

「ご、ごめんなさい……」

 胸が大きいです。

「まあいいや、のぼせさせてもルピネちゃんに悪いし」

 ルピナスさんは湯船から上がってにっこりと笑います。

「外で待ってるから、あがったらお話ししようね!」

「はわ……⁉」



  ――*――

「佳奈子」

「なに、京?」

「ありがとう。見限らないでいてくれて」

 青い火花の散る瞳をした京は、透明な表情であたしを見据えている。

「私がいちばん、あなたを見縊っていた。ごめんなさい」

「別にいいわよ」

 京があたしや紫織、コウまでをも先導していたのは、顔を見られたくなかったからじゃないかと思っている。

 彼女は怖かったのだ。異常な自分を見られることが、何よりも恐ろしかった。

 ましてやここは、彼女にとって複雑な思いのある場所。みんなの意思決定を行うときに、先導していれば意見を誘導しやすい。

「……中学の京はどうだったの?」

「もともと浮いてたよ」

 きっとそうなんだろうとは、わかっていたけれど。

「校外学習の日に、佳奈子の前でやったみたいな発作が起きて」

 感情を失ったような無表情で喋る。

「私はそれを覚えていなくて、みんなと話してることとずれていって。最初はちょっとしたいたずらくらいだったことが、エスカレートしてった」

 あの噂は本当だったのか。

「お母さんは助けてくれないし、もういいかなって」

「口調がオウキさんと似てるのは偶然?」

「……精神が安定しないから、仮で口調と性格だけ決めたの。『明るくて面倒見がいい優等生』。オウキ先生に、もらっ……た」

「可愛くていいと思う」

 高校で『あざとい』とか『狙ってる』とか言われているのを聞いた。あたしも演技かと思ったけど……真実は深刻だった。

 仮人格を与えて育てて、出来上がったのが今の京。京はある意味『生まれ直した』人間なのだ。

「あたしは京のこと好きよ。お世辞抜きでね」

「……佳奈子、結婚してください」

「好きな男子に言いなさいよ」

「今の会話、覚えてなかったらごめんなさい」

「別にいいわよ。昔のコウだって、あんたみたいな感じだったし」

 中学校時代のあいつはいろいろと悲惨だった。

「ありがと……おやすみ」

「うん。おやすみ」

 京は布団にくるまったまま眠る。

 可愛いヒロインだ。



  ――*――

「あれ? ルピナスは?」

「姉さんなら風呂行ったよ」

「そっかあ」

 父さんはアイスを食べてまったりしている。

 勉強会が終わるとともに、大人による盗聴会も自然と収束した。ひぞれはミズリに回収されて戻ったし、姉さんは『紫織とお話しする』と言って出て行った。

 姉さんが何をどうお話しするのかはわからなかったが、大人げないことはしないだろう。……たぶん。

「アイス美味しいねえ」

「そうだな」

 小さいカップアイスのアソートだから、いろんな味を食べられて嬉しい。

「ところで、今回札幌にも行こうと思ってるんだけど」

「……来なくていいよ」

「えー……」

「冬ならいい」

 そう、冬なら大丈夫。

 夏はこれ以降はダメだ。どうしても思い出したくないことを思い出してしまう。

「冬は無理だよ。研究生が大詰めに入っちゃうし」

「…………」

「そんな顔しなくても」

 父さんたち大学教員組はまったりしているように見えるけど、普段も案外忙しい。

 ……父さんの体質も考えると、雪の降る冬の札幌は猶更厳しいな。

「……わかった。いいよ」

「わー。ありがと」

「でも、あんまりゆっくりもてなすのは難しい」

「もちろん。ルピィとホテル取ってそっち行くよお」

 父さんが『わー、札幌だー☆』と楽しそうにしている。

 喜んでくれてるから、いいか……

「あ、そうだ」

「?」

「父親として、リナの愚痴を聞いてあげるね」

「愚痴?」

「今回、キミにしては珍しく自分から働いたから」

 にこにこする父さんを見ていると毒気が抜かれる。

「……………………ミズリがキモい」

「あっははははは! 俺もそう思う!」

 爆笑された。

 パーソナルスペースの狭い俺にとって、夫婦という間柄であれどひぞれに見境のないミズリは恐怖の対象だ。見ているだけで怖い。

「……ミズリって、じいちゃんの叔父さんなんだろ。一応親戚だから、我慢してるんだけど……」

 父さんにとっては大叔父だ。

「ツッコミ入れてないで見て見ぬ振りすればいいんじゃないかな?」

「父さんは自分の部屋にGから始まる昆虫が入ってきたら見て見ぬふりをするのか? 仕留めるか追い出すか殺るかするだろ?」

「あ、ごめん無理。……まさかそのレベルとは」

 あんなの誰だって怖いだろ。

 でも、北海道に来てからというもの、ミズリやそれ以外の面子からもお世話になっているのは事実。

「ミズリとかひぞれとか、シェルたちにお礼しようと思ったのに、生意気なことばっかり言っちゃうし……」

「みんなわかってると思うけどなあ」

「どうしてもミズリが気持ち悪いんだ」

「あれは仕方ないでしょ。……人見知りなのに頑張ったねえ。偉い偉い」

「……ん」

「イルカさんの写真は喜んでもらえたのかい?」

「送ったら『Fu〇k』まみれのメールが返ってきたから放置してる」

「リナリアのお友達って強烈だよね」

 あんたに言われたくない。

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