魔法使いの見習い少女

 包丁を使うのは緊張します。

 ぷるぷる震える手でお肉を切ろうとすると、玄武様が止めました。

「危ないから、最初は上から下にをおろしていけ。何で横に切ろうとするんだ」

「う、だ、だって分厚いから……」

 鶏肉は分厚くて、包丁で切れる気がしません。

 まずは薄く切ってからと思ったのに……

「横に切るには、お前さんも包丁も力不足だな」

「だめなんですか」

 切れ味と技術が足りないということでしょうか……

「ダメって言うか、チャレンジ精神旺盛だなって思ってるよ」

 玄武様は苦笑しながら、私の傍に立って包丁を私の手の上から握りました。

「手ぇ添えてやるから、ゆっくりやんな」

「は、い」

「力加減教える」

「……お願いします」

 しっかりと芯が通ったような腕で、私に力加減を伝えてくれます。

「包丁ってのは、手前に引くと切れる刃物だ。包丁の先っぽからゆっくり下ろして、引く」

「わ」

 お肉がゆっくりと切れていきます。まな板まで包丁が届きました。

 直に刃がくっつく寸前で止まって……新品のシリコンまな板には傷一つついていません。

「これは……私がやったら傷だらけでは……!」

「誰だって初っ端から上手くいくわけじゃない。思う存分失敗しろ」

「ううう……」

「傷がついたって別にいいだろ。何もプロの料理人に成れなんて言わねえさ」

「……はい」



 主に、私が切って盛り付けをした不格好なサラダ。

 ――主に、玄武様が作った鶏の炊き込みご飯。小皿には『塩気があった方がいいな』と用意して下さった漬物と梅。

 見た目の差は歴然です。

「…………」

「なに落ち込んでんだ。きちんとやり遂げたろ」

 玄武様はとても優しいです。頭を抱える私を慰めてくれます。

「ううう。女の子として、こんな……」

「女の子だってだけで料理上手いなんてねえわな」

「うっ」

 私のお料理の経験は、小学校の家庭科でカレーを作ったことのみ。

 リハビリが進んで――というかスペルの制御を学び始めて体力が戻った私は、毎日の運動のほかに、勉強と家事の練習をしていました。

 この通り、まだまだです……

「誰だって練習だ、練習。俺だって始めは肉切ったりなんかできなかったんだ。気にすんな」

「……はい……」

「あと、家事を教えてるのは、紫織が女の子だからじゃないよ。お前さんが男だったとしてもおんなじようにしてるさ」

「?」

「俺とかシェルさんたちが『お金だけ援助します。神秘の扱いは教えます。生活は自分で頑張れ』って明日からいなくなったらどうする?」

「カップ麺を食べます」

 それなら私にも作れる料理です。

「不健康」

「じゃ、じゃあレストランに行きます!」

「……外食してたら尽きるような援助だったら?」

「…………飢えます」

「こんなんで死ぬな」

 玄武様は大いに笑って、私の額を指で突きました。

「うう」

「自分のことを自分で出来るのは生活の支えになるし、お前の自信にもなる。まだ実感がないかもしれないけどな」

「……」

「いつかわかるよ」

 私はシェル先生たちローザライマ一家に“弟子”として引き取られ、このマンションに暮らしています。

 普段はルピネさんやご兄弟、または玄武様に家事を教えられ、アーカイブ:スペルの使い方と制御の方法を先生たちから教わっていて。

 食事の時には皆で談笑して……とてもありがたい環境に居ると認識できたのは、つい最近です。

 私の実家はこんなに温かくなくて、料理なんて教えてもらえませんでした。

「自分一人でも生きていけるって自信にもなる」

「む、無理です……」

 毎日早起きして畑を耕すなんて、それだけで農家の皆さんを尊敬してます。

「心構えの話だよ。あとレンコン残すな」

「食べたことなくて……」

 実家で出たこともありません。

「良かったなあ、ここにいるのが俺で。シェルさんだったら『黙って食べろ』で手ぇはたいてるぞ?」

「ふええ」

 何度かやられています。

 ルピネさんや玄武様によれば、本気でトラウマがあるだとか、どうしようもなく味が苦手で受け付けないだとかなら考慮されるそうなのですが……私のような食べず嫌い相手には厳しいです。

 苦手な理由を聞かれて『なんとなく嫌だから』と答えた時は増量され、おかげで苦手な食べ物が減りました。

 調理人のみなさんが料理上手なのも大きいです。

「レンコンは食感を楽しむ野菜だ。醤油が染みてて食べやすいと思う」

「……た、食べます」

 穴の開いた不思議なお野菜。

 意を決してお箸で摘まみ上げ、口に入れます。

「…………。美味しい、です」

 言われた通り、お出汁と醤油の風味が利いています。

「そりゃあ良かった」

 けらけらと笑われると気恥ずかしく思いました。

 玄武様たちは、私にいろいろなものを食べさせてくださいます。

 そして、私に出来ることは私に教えてくれて……今までの自分が恥ずかしくなることも多々あります。

「お前って割とお嬢様だよなあ。わざとじゃねえのがいっそ清々しいや」

「頑張り、ます。……頑張ってます」

「知ってるよ。大丈夫。……あと、様つけなくていいからな」

「? 神様なんですよね」

 何度も言われていますが、シェル先生から『玄武は神様なので敬意を払うように』と教わったのでそう呼んでいます。

 私は無意識に無礼をしてしまう未熟者。

 なので、まずは呼び名から心がけようと思っています。

「いや、俺が神様なんだっつったら、シェルさんもルピネ姉さんもそうなんだよ。種族分類とアーカイブの位からいっても俺より格上だ」

「先生は先生でルピネさんはルピネさんなのです。でも、玄武様は玄武様です」

「見かけによらず頑固なタイプか……」

 シェル先生は確かに厳しい先生です。

 でも、小学5年生からずっと眠り続けていた私のために勉強も教えてくださいますし、私の健康を気遣ってスペルの安全な制御の方法から教えてくれています。先生です。

 玄武様は神様なので様です。

「理論がわからん……ルピネ姉さんにもつければいいのに……」

「ルピネさんは『様を付けられるほど立派ではないし、先生と呼ばれるのも気恥ずかしい』って……なので“さん”です」

「俺も“さん”でいいんだけどなあ⁉ なんで姉さんの言うことは聞くんだ!」



 お昼ご飯を食べ終わって、食器も洗い終わったところで、買い出しに出ていたルピネさんが帰ってきました。

「! お帰りなさいっ、ルピネさん」

「ただいま。……醤油のいい匂いがするな」

 ルピネさんは嗅覚が鋭いのだそうで、いつもすぐにお料理の香りを感じているそうです。

「お帰り。今日は炊き込みご飯だ。姉さん、飯食べた?」

「いや、まだだ。頂いても?」

「おう。紫織の手料理だ」

「はわっ⁉」

 あれはほぼすべて玄武様が仕上げを……!

「女の子の手料理とは、ご馳走だな」

 くすくすと笑うルピネさんは、私の前で立ち止まって微笑みます。

「ありがとう。頂くよ」

「……ふ、ふわぇう」

 ルピネさん、美人さん……

 歩く姿さえも綺麗……


「姉さん……魔法学校でも女の子からモテてたよな」

「? いきなりどうした」

「いや、別にどうということでもないんだけどさ」

「私などただの一般市民だよ。芸能人とは違う」

「鏡見てこいって言ってもわかんないんだろうな……」


「……紫織。紫織」

「ふわ」

 肩を叩かれると、玄武様の整った顔が傍にありました。

「どうした。大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。ルピネさんに見惚れてぽーっとしてただけです」

「それは大丈夫なのか……?」

 私が呆けていた間に、ルピネさんはお昼ご飯を終えてお片付けをしていました。きっちりした人です。

 食器を洗い終えたルピネさんが、私と玄武様のいるテーブルに着席しました。

「さて、紫織。お前にお知らせがある」

「は、はい?」

「お前を連れて旅行に行こうと思っている」

「っ……ハネムーンですか⁉」

 ルピネさんと私の⁉

「新婚旅行ではないぞ?」

「……姉さん、紫織無視して話続けてくれ」

「? わかった」

 否定されてしまいました。もちろん半分冗談です。

「旅行といっても、近場ではあるが……小樽市だ」

「小樽」

 小さいころに家族旅行で行きました。8年も眠っていたせいかおぼろげな記憶ですけど……ガラス細工が綺麗で、小さなウサギの置物をお母さんに買ってほしいってねだった覚えがあります。

 そのときは買ってもらえませんでしたから、少し寂しい思い出です。

「これは我が父が決めたことでな。この件においては、私とお前に拒否権はない」

「お父さん公認の旅行……」

「ああ、もう。いちいち他の世界に飛ぶな!」

「ふわっ!」

 玄武様に肩を叩かれると、現実に引き戻されました。

 玄武様は”つながり”を断つのを得意としている神様だそうで、妄想の世界も断ち切れるのだとか。

 要は、ルピネさんのあまりの格好良さにトランスしがちな私にはありがたい神様なのですね!

「ふふ、紫織はものをよく考える子だからな。傍から見ればぼうっとしているように見えてしまっても仕方がないか」

「姉さんってマジでなんか……」

「どうした、玄武」

「……いいや……もういい……たぶんわかんない……」

「お前はたまに不思議な子になるな」

「姉さんに言われたく……ああああ、もー……!」

 葛藤する玄武様。何か悩みがあるのでしょうか。

 私ではお力になれないかもしれませんが……お世話になっている玄武様のためならお手伝いしたいです。

「……あの、玄武様。どうしたんですか?」

「なんでもないよなんでもないんだ。……なんでもない」

 玄武様はすっくと姿勢を正して、ルピネさんに向き直りました。

「姉さん、もう本題入ってくれ」

「すでに入っていたつもりだったのだがな?」

 不思議そうにするルピネさんは、もう一度旅行についてのお話に戻りました。

「父とその友人たちとで、預かっている生徒たちと小樽に行って観光を楽しもうという話が持ち上がってな」

「ふ、複数人ですか?」

「光太も来るぞ」

「……光太くんが……」

 今となっては大昔の、初恋の男の子。

 彼に対してはとても大きな罪悪感があって、今ではちょっと複雑な気持ちです。……光太くんの方が複雑な気持ちなはずなのに、私はすごく卑怯。

 前にこの家に光太くんが来てくれた時、私は彼の顔を見ていられなくて俯いてしまいました。彼は私に笑いかけてくれたというのに……

「ああ。光太の家庭教師夫妻だとか、光太と同年代の女子だとか……その他にも何人か来る」

 さらには、知り合いではない人たちと旅行すると思うと、小学校での記憶がよみがえって……不安です。

 不安な私に、ルピネさんが笑って頬を撫でてくれます。

「お前は可愛いのだから自信を持て。人はお前の鏡。お前が誠実に接すれば応えてくれるさ」

「……ルピネさん、けっこんしてください……」

「乙女が求婚の文句を安売りするな」

 格好いいところも好き……

「買い出しも旅行の準備ですか?」

「ああ。主にお前の服や身の回り品だ」

「?」

「目覚めて初めての遠出だろう。何が起こるかわからないし、夏だから汗をかいて風邪を引いても困る。多めにもっておいて損はない」

「そうなのですね」

 私は世間知らずで常識もまだまだ。生活の場も勉強です。

「お前が行くというのならば、父とひぞれに知らせねばな。……おいで、紫織」

 手招きする姿が優しくて綺麗で、まるで聖女。

「似合いそうな服を買ってきてみたが、お前の好みとは違うだろうから」

「ルピネさんの選んだものなら何でも嬉しいです!」

「? いや、私も自信がないのだが」

「紫織、いいからこっち来い。タグ切りもあるから」

 優しい玄武様と綺麗なルピネさんに囲まれて、毎日幸せです。



「玄武様は?」

「俺は留守番……っつーか、紫織たちが旅行行ってる間に東京に戻るよ。仕事もあるからさ」

「! ……い、今までお世話になりましたっ」

「気にすんな。お前さんが寛光に来ればまた会う機会もあるし」

「お料理頑張りますね」

「頑張れ」

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