帰還

 足が透けることを危惧して、看護師さんに案内を頼む。

 看護師さんは、『VRによって矢印やマークで案内してくれるのに物珍しい』と思っているだろうけど、夜に近いこともあってか迷惑そうな顔はされなかった。

 ……コウがいつの間にか大人になってて凄くびっくりした。

 昔は怖い番組があるたびあたしの後ろに隠れてたくせに。

「ここですよ」

「……ありがとう、ございます」

 感覚を取り戻した足が震えている。電動の扉は、許可証を翳すだけで開く。

「…………」

 おばあちゃんがあたしを見て笑う。

 今にも泣きだしそうな顔をしてあたしを見ている。

「…………ごめん、なさい」

「どこ行ってたの。ばあちゃん心配したのよ?」

「……」

 言葉が出ない。

 固まってしまう。

 言い出しておばあちゃんがまた倒れたら、どうしよう。

「……佳奈子ちゃん?」

「…………ぁ、う」

 もう泣きそう。


 思ったことを言えるコウが羨ましい。あれはあれで強さなんだって今わかった。

 翰川先生が来たばかりの時に、あいつの怒鳴り声が聞こえてびっくりした。

 あたしでさえ、いつもへらへらしているあいつが大声出したところを見たのは、数えるほど。……今日のもそうだ。

 でも、いまのあいつは翰川先生に家庭教師を頼んでいる。

 酷いことを言ったあとに、きちんと謝って仲直りできることだって、誰にもできることじゃない。

 大人になればなおさらだ。


「……」

 あたしも……ちゃんと謝りたい。

 卑怯者の私を許してくれるかはわからない。

「おばあちゃん」

「……どうしたの、佳奈子ちゃん」

 だからって、何も言わないで黙っているのはもっと卑怯だ。

「あた、し」

 何か伝えようとしているのを察したおばあちゃんは、あたしをじっと見返している。

「……」

 時計の秒針が何度回っただろう。

 ようやく、口を開けた。

「あたしね。……あたし、本当は」

「うん」

「本当は、あなたの、孫じゃないの……」

「…………」

 顔を見られない。

「偽物、なの。……あなたの孫になり替わった他人――」

「佳奈子ちゃんは、ばあちゃんの孫よ。誰だろうと、可愛い孫娘」

「――‼」

 おばあちゃんは、気づいていた。

 いつから?

 彼女が息子夫婦と孫を失ったのは30年前だ。

 若くして息子を授かり、女手一つで手塩にかけて育て――あっけなく失った。

 彼女は、息子家族が暮らすはずだった部屋――いまのあたしの部屋に、いくつもの子供のおもちゃを並べてランドセルと勉強机を揃えていた。

 さまよっていたあたしは、部屋の中で見えない孫に話しかける彼女を利用した。

 あたしに生前の記憶はほとんどなかった。

 幽霊になってからの方が長くて。

 消えたくないと思った。

 だから、彼女の孫に成り代わった。

 ――成り代わって欲が出て、座敷童になろうとした。

「……ばあちゃんね。実家の親が遺してくれたこのアパートを預かって、大家さんになったのよ。大変なこともあったけど、住民の皆さん良い人だった。……物事を真っすぐ見られなくなったばあちゃんは、その人たち怖がらせちゃったの」

「……」

 ありったけのおもちゃと子供服。

 生活感のない部屋で、彼女はずっと孫と遊んでは話しかけていた。

 そこに孫娘の幽霊は居ないのに。

「でも。いつしか、気づいたら佳奈子ちゃんがいたわ。本当に、孫娘が蘇って生きている気がして……本当は死んでいたはずなのにってわかったときには。あなたのこと大好きだった」

「……ん……」

 おばあちゃんの手は、骨ばって堅くてがさがさしている。

 大家として、アパートのみんなのおばあちゃんとして働き続けたその証明は、卑怯者な幽霊もどきのあたしの手より暖かい。

 撫でられると、何も言えなくなってしまう。

「……夢の続きを見せてくれて、ありがとうね」

「……っ……ご、めん……あたし、そんなに、綺麗な人じゃない。あたしは消えるのが怖くて、あなたの思い出に入り込んだだけ。それだけなの……‼」

「わかってるの。でももう、ずうっと一緒にいるわ。食べさせたかったお料理を喜んで食べてくれた。着せてやりたかったお洋服も着てくれたでしょう?」

「だって、それは、あたしじゃなくて……“佳奈子”にすることでしょ……? あたしは偽物だった。あなたを騙していただけだった‼」

「困ったねえ。……ばあちゃんが喜んだ気持ちは、偽物じゃないのにねえ」

「っ……!」

「……女の子がそんな顔して泣かないの。お顔拭きなさいね」

 おばあちゃんはタオルを手に取って、あたしの顔を拭いてくれる。

「……」

 コウと喧嘩して、消え去ってしまう恐怖で泣きわめくあたしを抱きしめてくれたことを思いだす。

 打算で始めた演技はいつしか必要がなくなった。

 あたしは、おばあちゃんの孫娘として、アパートの帳簿管理を手伝ったり大掃除に住民にけしかけて働かせたり、たくさんのことをした。

 その思い出は――偽物じゃなかった。

 おばあちゃんもそうだと思ってくれるなら、これほど嬉しいことはない。

「……おばあちゃん」

「なあに? 佳奈子ちゃん」

「おばあちゃんのこと、あたしも好きよ」

「……まあ。ほんとう?」

「ほんとう。……ほんとに。好き」

 タオルを受け取って、ぐしぐしと目を拭う。

「……だから。あなたの、孫で居させて……」

「……」

「何言っても信じてもらえないかもしれない。でも、あたしが消えたくないからじゃなくて、ずっと……こうして……」

 言葉に詰まる。

 訳が分からなくて、消えてしまいそう。

「……佳奈子ちゃん。言ったでしょう?」

 おばあちゃんはあたしの手を握って、優しい声で言う。

「佳奈子ちゃんはばあちゃんの自慢の孫娘。……たとえ佳奈子ちゃん自身から断られたって変わらないわ」

 あたしはそれきり、訳の分からない感情のまま、大泣きしておばあちゃんに縋りついた。

 こんなに泣いたのは、コウと昔大喧嘩した時以来だ。

「止め方、わかんないぃ……」

「わかったら変ねえ」

「ぅぇ、ふぅ」

 タオルが柔らかい。

「…………」

 子どもみたいに泣き続けるあたしを、おばあちゃんはずっと撫でていてくれた。

 暖かくて安心する。

「……どこいたの、佳奈子ちゃん?」

「公園。コウが、迎えに来てくれたの……」

「良かったねえ」

「……?」

 おばあちゃんが嬉しそうに笑う。

「佳奈子ちゃんは、コウちゃんのこと好きだものねえ」

「……うん、好きよ」

 おばあちゃんの手を握って、涙をこらえながら答える。

 いつもなら否定していた言葉を肯定する。

「おばあちゃんとおんなじくらい、大好き」

「……そう。良かったわねえ、佳奈子ちゃん」

「うん。……心配、かけてごめ、んね」

「いいの。無事で帰ってきてくれたら、それだけでばあちゃん嬉しいんだから」

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