5.着火

人の気持ちほどわからないものはない

 ご夫婦はミズリさんのとったホテルにいったん戻るそうで帰っていた。玄武さんは『下準備があるから出てるよ』との一言を残して外に出て行った。

「今日もひーちゃんは可愛かった。癒されるな」

 ほこほこしているルピネさん。

「……そ、そすか」

 あれを『可愛い』で済ませられるあたりに人外らしさが垣間見える。

「うむ。では、次こそは本題に入ろう」

「あ……はい」

「我が父曰く。藍沢佳奈子という存在は、座敷童に近い何かだそうだ」

 シュレミアさん、佳奈子に会ったことないよなあ……

「妖怪の?」

「ああ。座敷童について知っていることは?」

「え。あー、なんか東北あたりの……家の守り神みたいな」

「そうだな。一説には、座敷童は口減らしで死んだ子の霊だと言われている。ただ、今回に限ってはこれはさほど重要ではない」

 人がそういった妖怪になれるのかの方が気になる。

「ひーちゃんから軽く事情を聴いたが、お前は神秘全般に疎いそうだな。座敷童はスペルに寄った存在なのだが……スペルについて知っていることは?」

「魔法系の神秘のほとんどだって聞きました」

「そうだな。スペルは、魔法の大部分を占めるオーソドックスな神秘だ。科学でいうコードであり、コードと対立する性質を多く持つ」

「対立……」

 そういった対立というと……

「科学が発展すると、神秘が消えてくっていうような?」

 日食・月食などが最たるものだ。神話には太陽の女神様が隠れてしまう話や、月と太陽を追いかけて食べる狼の話やらが登場する。

 メカニズムが解明された今では、端から神話を信じる人もいないのではないかと思う。

「そういうことだな。とにかくぶつかり合ってしまう。人は『わからない』という不安をもって想像力を広げるものだ。科学とは松明であったが、今では夜を明るく照らしている」

 アーカイブとして捉えた性質は俺にはわからないものの、やはり実際にそういったことが起きていたらしい。

「科学は理を体系化する学問だ。体系づけられた神秘をアーカイブと名付けたのも、人々が世の物事を理解・分類し、活用と発展とともに保存していくことを目指したからだな」

「へえ……」

「魔法をアーカイブの1つに位置付けたのも、科学のように誰にでも知ることが出来る身近なところまで来てほしいと思ったから……という思いもあるよ。誰の手にも届く位置で便利な技術にしたいと」

「……アイスの魔法って知ってます?」

「図案を描いたのは私たちローザライマだ。知っているとも」

「!」

「ふふふ。なかなか大荒れな話し合いだったぞ」

「大荒れ?」

「超絶的な知覚能力で魔法のインクの質を掴んで描く天才気質と、持続時間を落としても性能を安定させようとする職人気質のぶつかりあいだ。……間で揉まれた私と弟は苦労したよ」

「なんか大変そうですね」

 シュレミアさんの血を引くご兄弟がたくさん。想像するだけで恐ろしい。

「ああ。しかし、やはり家族であるから楽しい。……済まない、話を戻す」

 こちらこそ脱線させてしまって申し訳ない。

「たとえ同じくくりに入れられようと、やはり科学と魔法は違うのだ。魔法は意味を探求する」

「意味」

「科学と違う視点で世界を見ている。炎が燃えることの意味。水が透き通る一方で、青くも見えるのには意味があるのか?」

「神様がそうしたから、とか」

 科学を抜きにするとそれしか思い浮かばない。

「始まりはそれだな。拓かれてなどいない自然の中で、偉大なる神々の存在を感じた。彼らの支配する世界において、ひたすらに生きようと意味を探していた」

 雄大どころか狂暴な生のままの自然が覆いつくす世界で、自分と同じ人間が生きていたということを想像する。

「……」

「意味を再現できたなら――それに付きまとう現象も再現できるのではないか? とな」

 ルピネさんの掌の上で丸い炎が燃え上がり、ゆらゆらと火の粉を散らす。

「!」

 俺が凝視していると、彼女がほんの少し恥ずかしそうに言葉を付け足した。

「まあ、火災報知器が鳴っても無粋なので、幻術なのだが……」

「魔法って呪文唱えたりしないんですね」

 シュレミアさんもよくわからないまま魔法を使っていた。

「……もしや、うちの父親。……それも。そういった諸々も……時間のある時にまた」

 なぜか父親の話題が絡むと歯切れが悪い。

 だが、こうまでも優しくしてもらったのは久しぶりだ。気にせず頷く。

「はい」

「ありがとう。では、一から確認しよう」

「ういっす」

「魔法とは、あらゆるものの意味と理由を探求するものだ。究極的な目標は、世界を成り立たせる意味を捉えること。それを再現できれば、世界を手中に収めたと同義。……なかなかに身の程知らずで楽しいだろう?」

「……だから発展したんじゃないかなって思いますけど」

「ふふ、そうだな。どんな学問も、なりふり構わず挑んだ者たちが居るからこそだ。その通りだな」

 落ち着いた微笑ばかりだったのが、どことなく無邪気な笑みを見せられ、少々どぎまぎする。

「意味によって現象を扱うスペルは、魔法の王道だ。スペルの化身ともいえる妖怪や幻獣といったものは、その存在を意味と理由に頼っている。言い換えれば成り立たせるには条件が必要だ。……ここまではいいかな?」

「はい」

「そのうちの1つが座敷童。藍沢佳奈子という少女がなろうとしたものだ」

「なれるんですか?」

「……なにも珍しいことではないよ。人間は、生きているときでさえ『いまの自分とは違う自分』になりたがる存在だ。死んで肉体という枷が外れれば、どうかな?」

「……」

「まあ……その可不可は長くなってしまうのでさておき。佳奈子が座敷童かどうかだけ考えてみよう」

 ルピネさんは挙措の一つ一つが優美で、翰川先生とはまた違うタイプの美女だ。

 そんな人に微笑みかけられると緊張してしまう。

「まず、広く解釈するならば、お前は『座敷童と同年代の同居人』ということになる。アパートは不特定多数の同居人がいる大きな家だ」

「おお……」

「『複数人で遊んでいたらいつの間にか増えている』、『お菓子がいつの間にかなくなっている』などのエピソードを含めて、今回の佳奈子失踪の動機を推理しよう」

「全然いつの間にかじゃなかったんですが……堂々と『おごって』とか」

「申告をしてはいけないというルールもあるまい。佳奈子はそういう座敷童なのだと思え」

「ぬらりひょんみたいですね……」

 座敷童は、もっとささやかに可愛い悪戯っ子のイメージなのだが……。

「……何においても、幻想を抱くのは人のさがだな」

「え?」

「お前はエルフだとかにも期待しそうだから……無残に散る前に打ち砕いておいた方が親切かと思ってな。どうだ?」

「勘弁してください」

 幻想生物の有名どころで夢を壊されてはたまったものではない。

「そうか? ……いつかそれと知ってから鉢合わせても、心を強く持てよ、光太」

「もうすでに期待が削がれてるんですよ……」

 表情からして、ルピネさんが俺を心底心配してくれているのが伝わってくる。

 実在するという情報はテンションが上がるに十分なのに、期待させて叩き落すなど鬼畜の所業である。

「ああ、私たちが鬼畜であるというのは間違ってはいないな」

「家族丸ごとドS宣言?」

「また話がそれてしまったな。戻そう」

「え、ちょっ」

「佳奈子とやらは、このアパートを利用して座敷童の条件を満たそうとした」

「……。はい。そうですよね」

 悉くスルーされる俺の訴え。いい加減に泣けてきた。

 彼女は満足げに微笑み、話を戻す。……美人の笑顔が見られたからもういいか。諦めよう。

「佳奈子は座敷童らしく、お前から災いを取り除くことで、お礼に駄菓子やご飯を奢ってもらっていたのだ」

「災い?」

「本当に気付かんか?」

「……とくには……」

「なかなかに奥ゆかしいな、佳奈子は」

 ハンバーガーを奢らせて一気食いする女は奥ゆかしいだろうか。

「そうではないよ。お前の持病……紫織のかけた“呪い”のことだ」

「はあ」

 ピンとこない。

 俺の察しの悪さを責めることなく、ルピネさんはコーヒーの水面をスプーンでくるんと一回し。一口飲んでから、ゆったりと口を開く。なんとも気品に満ちた人である。

「気づかなくても仕方のないことだ。魔するものたちは、存在の継続に条件を課される代わりに、常人よりも強固な能力を使える」

「能力……ってことは」

 座敷童の能力は――

「幸、運。家に幸運をもたらして……いや。もっと上手い言い方が……」

「上手く言わなくたっていいさ。本質がわかっているのならば」

 ソーサーに戻されるカップが立てる音はささやかでしかなく、会話の邪魔にもならない。

「お前が言おうとしている“家”と、座敷童の寓話に登場する“家”は違うよ。家と家業が等号で結ばれていた時代の表現だ。もっと単純に」

「一番得をする人は家主? とかですか」

「この場合は彼女の祖母が家主に当たるな。しかし、座敷童は“家”全体に福をもたらす守り神だ。……さて、本質は何かな?」

 家主も同居人も、大小の差あれど幸福を得る。

 その二つの共通点は、どちらも座敷童のいる家に住んでいること。

 つまり、座敷童の能力とは家に住まう人々に幸運を分け与えることなのだ。

「…………」

 シュレミアさんの『あなたはとても幸運ですね』というセリフが脳裏によぎる。

 あれは皮肉ではなくて、ただの事実――俺が幸運に恵まれているということを教えてくれただけ。

 エンジンのかかりの遅い俺の脳に油を差すように、彼女が口を開く。

「お前は『アーカイブ』がNGワードだったと聞く。道端でそれを喋る人間がいないとは限らないのに、お前が倒れたのは一度きりだ。加護があったから一度きりだったとも言える」

「……」

「長期間の旅行に行けなかったのは、距離制限でもあったせいではないかな? 例えば、家……このアパートのある土地一帯であるだとか。道内全域とまではいかないようだが、かなりの広範囲だな」

 つまり、と彼女が締めくくりに入る。

「同居人に加護を与えることが出来なくなってしまったから、佳奈子はいなくなったのだ」

「ばあちゃんとか他の人じゃ駄目なんですか?」

 住人は俺だけではない。

「長年お前だけに絞っているのもあると思うが、存在の確立に第三者が必要なんだ。幽霊や妖怪は夜闇に隠れる一方で、誰かに観測されなければ弱ってしまうことが多い。祖母のような身内ではダメだ」

 つくづく、シュレミアさんのヒントは、本質を突いているのに説明がなくてわからない。

「その第三者が、つかずはなれず、自分を認識しながらも決して深く切り込んだ話をしない“子ども”ならばなおよし。……将来の話やら、家の事情やらを話し合ったことはあるか?」

「ないと思います」

 集まれば適当に駄弁ってゲームするくらいの軽い仲だ。俺は現実逃避しまくっていたわけだし。

「だろう。子どもは集まれば楽しく遊び、帰りの時間にさようならをして別れる。お前は理想の相手だったんだ」

「確かにお世辞にも真面目な生徒じゃ……そもそも、18歳にあるまじき自由奔放っぷりでしたけども……」

 翰川先生と出会う以前の自分が恥ずかしすぎる。進路希望調査をふざけて書くとか『あほかお前は』って怒鳴ってやりたい。

「ひぞれと出会ったことでそれも崩れてしまった。お前は呪いを解かれ、自らの行く先を見る力を取り戻した。子どもではなくなったのだ」

「う……」

 自分が大人になれる気がしない。

「佳奈子はお前を手助けしなければ存在できない。しかし、勉強を教えようにもひぞれやリーネアが居る。高校で理系のトップクラスであろうと、あの2人には及ぶまい」

 ありえない演算能力・記憶力を頭脳に積んだ天才と、超絶的に直感的ながら言語化可能な天才。

 いくら理系が得意な佳奈子でも、あの2人より秀でているかと問われれば否だ。

「家事はお前の方が上手く、他人の世話までできるほど」

「……そっか」

 言い方は悪いが……

「佳奈子に出来ることが……本当になくなったんですね」

 あいつは家事が苦手だ。

 150以下の身長で動かれても、見ているこちらがはらはらするから、俺やばあちゃんがつい手出ししているうちに苦手になっていた。

「……甘やかしちゃった気が……」

「気にかけていたから手出ししたのだろう? 仕方あるまい。我が家でも、弟妹達の接し方について話し合ううちに殴り合いのけんかをしているよ」

「殴り合い要ります?」

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